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鶴見区

鶴見区は、横浜市の最東端に位置し、東京湾に面する。北は川崎市の川崎区・幸区に接し、西は横浜市の港北区・神奈川区に接する。鶴見川が区内を北に蛇行して流れ、東京湾に注ぐ。北東部は鶴見川と多摩川に挟まれた平地で、北西部は末吉台地の東端から続く丘陵地。湾岸部は埋立地が広がり、市境は京浜運河を越えて扇島で東京湾に接する。中心市街地は鶴見駅周辺で、横浜市の副都心に指定されている。区内北西部には自然が残り、獅子ケ谷市民の森、三ッ池公園などがある。

かつては、全域が武蔵国橘樹郡に属した。

主な地名

朝日 - 安善 - 市場(市場上、市場下、市場東中、市場西中、市場富士見、市場大和) - 潮田 - 江ケ崎 - 扇島 - 小野

梶山 - 上の宮 - 寛政 - 岸谷 - 駒岡

栄町通 - 汐入 - 獅子ケ谷 - 下野谷 - 尻手 - 末広 - 末吉(上末吉、下末吉) - 菅沢 - 諏訪坂

大黒 - 大黒ふ頭 - 大東 - 佃野 - 鶴見(鶴見中央) - 寺尾(北寺尾、東寺尾、東寺尾東台、東寺尾北台、東寺尾中台)- 寺谷 - 豊岡

仲通 - 生麦 は
馬場 - 浜 - 平安 - 弁天 - 本町通 ま
向井 - 元宮 や
矢向

※ 扇島は、全域が企業私有地であり、一般人の立ち入りはできない。

鶴見区を通る鉄道には、南北に貫通する東海道本線(貨物線、品鶴線(横須賀線)を含む)、京浜急行線と、臨海部の工業地帯をカバーする鶴見線がある。また、区の北縁をかすめるように南武線が通っている(区内には矢向駅があり、尻手駅が区域に接する)。

バス交通は、横浜市営バスと川崎鶴見臨港バス、東急バスが担当している。区の内陸部(馬場、獅子ヶ谷、駒岡など)は駅から遠いため、交通手段を専らバスに頼っており、バスの本数が非常に多い。

主な道路には、国道1号および国道15号、首都高速道路の神奈川1号横羽線および湾岸線がある。湾岸線では、鶴見つばさ橋と横浜ベイブリッジが有名である。


鉄道
京浜東北線
- 鶴見駅 -
鶴見線
鶴見駅 - 国道駅 - 鶴見小野駅 - 弁天橋駅 - 浅野駅 - 安善駅 -
海芝浦支線:浅野駅 - 新芝浦駅 - 海芝浦駅
南武線
- 矢向駅 -
京浜急行本線
- 生麦駅 - 花月園前駅 - 京急鶴見駅 - 鶴見市場駅 -

バス
横浜市交通局(横浜市営バス) 潮田・末吉・生麦地区を主に運行。
鶴見営業所
川崎鶴見臨港バス 東寺尾・北寺尾・獅子ヶ谷・馬場・駒岡地区を主に運行。
鶴見営業所

市場一里塚(市場西中町。旧・東海道の一里塚。起点である日本橋から5里(約20km)。)
入江川せせらぎ緑道、東寺尾ふれあいの樹林、こどもログハウス「ピッコロ」(東寺尾)
入船公園(弁天町)
海芝公園(末広町)
花月園競輪場(鶴見)
上台遺跡・上台北遺跡(下末吉)
環境エネルギー館(末広町)
キリン横浜ビアビレッジ(生麦。麒麟麦酒横浜工場内にあり、製造過程を見学できる。本格的なレストランとパブを併設し、できたてのビールを飲むことができる。)
建功寺(馬場)
潮風大通り:潮鶴橋から産業道路をつなぐ大通り。旧名は「三十六米道路」。周辺は沖縄関係、ブラジル関係、在日コリアン関係の店舗が多い。近年、エスニックな感覚が若者を中心に隠れた穴場的人気を集めている。特に沖縄県出身者が多く在住し、リトルオキナワが形成されている。特に、潮風大通りからゴム通りにかけての向井町3丁目から4丁目にかけてのエリアは、沖縄風の料理店や雑貨店が多い。

神奈川区

横浜市の北東に位置する神奈川区は、東西方向に長く(約8.0km)、東は横浜港、西は緑区鴨居町に接している。区役所は区の東側にあり、最寄り駅はJR東神奈川駅、京急仲木戸駅と神奈川駅、東急反町駅である。区内の町の総数は99、面積は23.59km2。

最大面積 羽沢町(3.1km2)
最小面積 大野町(0.024km2)
最高地点 羽沢町(77.30m)
最低地点 子安通(0.40m)
最北端 松見町4丁目
最南端 瑞穂町(瑞穂埠頭)
最東端 宝町
最西端 菅田町

湖沼・河川・運河 白幡池、入江川、新田間川(あらたまがわ)、帷子川(かたびらがわ)、砂田川、滝の川、恵比須運河、宝運河
JR東神奈川駅・京急仲木戸駅周辺はかなっくシティと呼ばれ、再開発が行われている。

旧東海道沿いには寺社や旧跡が多く点在し、かつての往時をしのばせる。海岸線の殆どは埋立地で、京浜工業地帯の一部であり、多数の工業施設や、横浜市中央卸売市場、横浜郵便集中局等の横浜市を支える施設が集中している。そのため、入江川は国道15号をくぐると枝分かれして運河になり、工場を縫う様に貨物線も通っている。AV機器で有名な日本ビクターの本社もこの地域にある。

大野町・金港町・栄町はヨコハマポートサイド地区として再開発が行われ、オフィスビルや高層マンションが多く建ち並ぶ地区となった。神奈川区で一番高い建物「ザ・ヨコハマ・タワーズ」(143m)もここに建っており、2006年には金港町に大型商業施設、横浜ベイクォーターが完成した。また、2007年には「ナビューレ横浜 タワーレジデンス」(150m)、「パークタワー横浜ステーションプレミア」(143m)、2008年には「パークタワー横浜ポートサイド」(120m)といった建物が建つ。

2006年現在、山内町・橋本町にも波が広がり「コットンハーバー地区」として再開発が始まっている。この山内埠頭から東神奈川駅へ至る地域は「東神奈川まち・海軸」として、横浜市の重点整備地域に指定されている。また、京急神奈川新町駅から新浦島町へ至る地域は「神奈川新町・新浦島町軸」として、道路・歩道の整備が行われる予定である。
第一京浜、第二京浜沿いにはオフィスビル・雑居ビル・商店・住宅等が立ち並んでいる。第一京浜よりさらに海側には、臨港幹線道路が整備中である。

この地域は、中区山下町~みなとみらい~新町と続く、横浜港を取り囲む臨海部の再開発の一部分になっている。地域の発展に備え、東海道貨物支線を旅客化する構想も上がっている。

横浜市は、横浜港の正面に位置する瑞穂埠頭 (横浜ノースドック) の返還を米軍に求めている。

「神奈川」の由来には諸説あるが、過去によく知られているものは、いずれも非科学的な民間語源説であり、地名語源としては認められない。

昔、神奈川宿の西の町と仲の町の間に小川があった。その川は水源が解らないので、上(かみ)がない川、上無川(かみなしがわ)と呼ばれていた。いつからか、文字が脱落して「かな川」と呼ぶようになった。これは江戸期の文人が、江戸の品川を下無川、神奈川を上無川とペア地名と見たもので、いわゆる民間語源説である。言語的にも「かみなし」が「かな」となったとするのは無理がある。東海道を歩いた文人が庶民から聞いて広めた俗語源というべきもの。
日本武尊が東方へ赴く際、上無川で船出の用意をしていた。日本武尊が船に乗る時、倭姫命に貰った宝剣が水面に映り、金色に輝いたので、この地を金川(かながわ)と名付けた。それから長い月日が流れ、源頼朝がこの地を訪れた時、金川の風光を賞し、「金は西の方角を司ると言う。西は上にあたり、皇城の方角でもある。ここは神が大いに示す地である。」と言い、大いに示すを「奈」の字とし、金川から「神奈川」となった。これも典型的な地名伝説であり、ほとんど文字遊びの域を出ず、地名の学問的な由来としては認められない。
古文書には、「神奈河・神名川・上無川・狩野川・かの川・かな川」等と記されており、これらが変化して「神奈川」になったと言われている。埼玉県にある「かな川」などの例を見ても、「かな」とはある種の地形、つまり川の形状を表した語彙と考えるのが自然であろう。「かの」川のと表記もあるところから、伊豆の狩野川などと同義ではないかとの考えもある。そうすると語構成から考えて、「曲がった」川などの可能性もあるか(櫻井澄夫説)。なお大日本地名辞書の吉田東伍などは神奈川とは、滝野川のことだと考えていて、上無川であるとは考えていない。川の大きさから考えて、その地域を代表する地名が集落名になったであろうことを考慮すると、妥当な意見であろう。

西寺尾一~四丁目
松見町1~4丁目
新子安一~二丁目
子安台一~二丁目
神之木町
神之木台
子安通1~3丁目
入江一~二丁目
守屋町1~4丁目
恵比須町
宝町
西大口
大口仲町
大口通
七島町
白幡町
白幡東町
白幡西町
白幡南町
白幡上町
白幡仲町
白幡向町
浦島丘
鳥越
立町
富家町
西神奈川一~三丁目
二ツ谷町
台町
鶴屋町1~3丁目
金港町
幸ケ谷
亀住町
栄町
山内町
星野町
新浦島町1~2丁目
出田町
橋本町1~3丁目
千若町
千若町1~3丁目
大野町
桐畑
高島台
上反町1~2丁目
沢渡
松ケ丘
泉町
反町1~4丁目
松本町1~6丁目
栗田谷
旭ケ丘
広台太田町
三ツ沢東町(みつざわひがしまち)
三ツ沢西町(みつざわにしまち)
三ツ沢南町(みつざわみなみまち)
三ツ沢上町(みつざわかみまち)
三ツ沢中町(みつざわなかまち)
三ツ沢下町(みつざわしもまち)
二本榎
中丸
斎藤分町
平川町
白楽
六角橋一~六丁目
神大寺一~四丁目
片倉一~五丁目
三枚町
菅田町
羽沢町
羽沢南一~四丁目
神奈川一~二丁目
神奈川本町
東神奈川一~二丁目
新町
浦島町
青木町

区の内陸に位置する旧城郷村地域(現:六角橋・神大寺・片倉・三枚・菅田・羽沢)は、農村であり、田園地帯が広がっていた。「谷戸田」と呼ばれる谷あいの湿田で米麦の栽培を行っていたが、条件は極めて悪く、収量もそれほど多くなかった。そのため、明治・大正期には、丘陵に広がる畑で大根(特に、片倉・神大寺の黒葉大根)や植木(菅田)の生産など蔬菜・園芸中心の近郊農業が定着した。

西区

横浜市のほぼ中央に位置する。埋立地である、みなとみらい地区の開発により面積は拡大したが、横浜市18区の中で最も小さい。中央部を流れる帷子川流域近辺は平地で、近辺を東海道線や国道1号なども通過しているが、最北部と最南部の内陸側は高台となっている。中心部から海側にかけては商業地だが、その他の地域の大半は住宅地である。

川: 帷子川、新田間川、石崎川

野毛山動物園
横浜みなとみらい21
横浜美術館
横浜開港祭(臨港パーク・6月)
ヨコハマカーニバル(横浜駅周辺・8月)
久保山斎場(東京裁判処刑者火葬地)

桜木町4~7丁目※
花咲町4~7丁目※
紅葉ケ丘
宮崎町
老松町
東ケ丘
赤門町2丁目※
霞ケ丘
西戸部町1~3丁目
伊勢町1~3丁目
御所山町
戸部本町
中央一~二丁目
戸部町1丁目~7丁目
高島一~二丁目
平沼一~二丁目
西前町2~3丁目※
藤棚町1~2丁目
境之谷
元久保町
東久保町
久保町
浜松町
西平沼町
岡野一~二丁目
南幸一~二丁目
北幸一~二丁目
楠町
浅間町1~5丁目
南浅間町
浅間台
宮ケ谷
南軽井沢
北軽井沢
みなとみらい一~六丁目

都道府県 神奈川県
市 横浜市
団体コード 14103-8
面積 6.98km2
総人口 87,365人
(2007年7月1日)
隣接自治体・行政区 横浜市:神奈川区、中区、南区
保土ケ谷区
区の木 もくせい
区の花 すいせん

中区

神奈川県庁や横浜市庁、横浜地方裁判所、神奈川県警察本部が存在し、神奈川県と横浜市の行政機関が集中している中心的な区である。金融機関や企業の支店なども多い。近年は都心回帰や、みなとみらい線開通の影響によりマンションが増えたため、人口は増加傾向にある。

なお下記に記された通り歴史的に国際色豊かで、区人口における外国人登録人口の割合は、10.1%であり、全国値の1.57%と比べ高い。横浜市の中区が占める割合は20.5%である。また、中華街を擁するため中国籍の割合が45.0%と最も高い。横浜市全体の35.5%、全国値の25.8%の割合と比べると高いことが分る。次いで韓国・朝鮮籍の割合が20.0%だが、横浜市の22.6%、全国値29.8%と比べると低い。

北部の平地には港側からビジネス街、繁華街、そして住宅街が主体になっている。中南部は内陸側が高台で「山手町」を中心としたいわゆる「山手」と呼ばれる地区は昔からの住宅地である。海岸側は全て埋め立てられて自然海岸は無く、北は新港・山下公園などの観光地で、南は埠頭・製油所などの重化学工業地帯で、横浜港の中心となっている。

川は北部を大岡川と分流である中村川が横断しており、一時期タマちゃんが現れ話題になったことがある。交通は区内の中央をJR根岸線が縦断し、国道や首都高速は北部を縦横断して中南部は海岸沿いを通っている。

日本大通
横浜公園
新港一~二丁目
海岸通
海岸通1~5丁目
元浜町1~4丁目
北仲通1~6丁目
本町1~6丁目
南仲通1~5丁目
弁天通1~6丁目
太田町1~6丁目
相生町1~6丁目
住吉町1~6丁目
常盤町1~6丁目
尾上町1~6丁目
真砂町1~4丁目
港町1~6丁目
山下町
元町1~5丁目
新山下一~三丁目
内田町
桜木町1~3丁目
花咲町1~3丁目
野毛町1~4丁目
宮川町1~3丁目
日ノ出町1~2丁目
初音町1~3丁目
黄金町1~2丁目
英町
赤門町1丁目
吉田町
福富町西通
福富町仲通
福富町東通
伊勢佐木町1~7丁目
末広町1~3丁目
羽衣町1~3丁目
蓬莱町1~3丁目
末吉町1~4丁目
若葉町
若葉町1~3丁目
曙町1~5丁目
弥生町1~5丁目
万代町1~3丁目
不老町1~3丁目
翁町1~2丁目
扇町1~4丁目
寿町1~4丁目
松影町1~4丁目
吉浜町
長者町1~9丁目
山吹町
富士見町
山田町
千歳町
三吉町
石川町1~5丁目
山手町
諏訪町
妙香寺台
麦田町1~4丁目
上野町1~4丁目
千代崎町1~4丁目
北方町1~2丁目
小港町1~3丁目
本郷町1~3丁目
本牧町1~2丁目
錦町
本牧ふ頭
本牧原
本牧宮原
和田山
本牧十二天
本牧緑ケ丘
本牧満坂
本牧荒井
本牧和田
本牧三之谷
本牧大里町
本牧元町
本牧間門
豊浦町
柏葉
かもめ町
鷺山
竹之丸
西竹之丸
大和町1~2丁目
立野
西之谷町
打越
山元町1~5丁目
大平町
大芝台
簑沢
塚越
寺久保
仲尾台
滝之上
矢口台
豆口台
池袋
根岸台
根岸旭台
根岸加曽台
根岸町
根岸町1~3丁目
千鳥町
南本牧

面積 20.62km2
総人口 142,667人
(2007年7月1日)
隣接自治体・行政区 横浜市:西区、南区、磯子区
区の花 チューリップ

南区

命名された(のちに西区が中区から分離しているので現在の中区から見ると西にある)。

区の中央部を京浜急行電鉄、鎌倉街道(神奈川県道21号横浜鎌倉線)が南北に縦断して通っている(鎌倉街道地下部には横浜市営地下鉄も通っている)。北部には首都高速道路狩場線、西部には横浜横須賀道路が走っている。幹線道路周辺では大きなビルやマンションが建ち並ぶが、それ以外のところでは大半が住宅地である。区内には大岡川が流れており、春になると沿岸は多くのサクラが咲き誇る。南部にある弘明寺は横浜市の寺としては最古の寺であり、弘明寺観音とも呼ばれる。かつて真葛焼の窯場があった。清水ヶ丘公園は横浜高等商業学校、横浜国立大学教育人間科学部付属横浜中学校・小学校は横浜高等工業学校の跡地である。

井土ケ谷上町(いどがやかみちょう)☆
井土ケ谷下町(いどがやしもちょう)
井土ケ谷中町(いどがやなかちょう)
浦舟町(うらふねちょう)1~5丁目
永楽町(えいらくちょう)1~2丁目
榎町(えのきちょう)1~2丁目
大岡(おおおか)一~五丁目☆
大橋町(おおはしちょう)1~3丁目
庚台(かのえだい)
唐沢(からさわ)
共進町(きょうしんちょう)1~3丁目
弘明寺町(ぐみょうじちょう)
山王町(さんのうちょう)1~5丁目
山谷(さんや)
清水ヶ丘(しみずがおか)
宿町(しゅくまち)1~4丁目
白金町(しろがねちょう)1~2丁目
白妙町(しろたえちょう)1~5丁目
新川町(しんかわちょう) 1~5丁目
高砂町(たかさごちょう)1~3丁目
高根町(たかねちょう)1~4丁目
通町(とおりちょう)1~4丁目
中里(なかざと)一~四丁目☆
中里町(なかざとちょう)
永田北(ながたきた)一~三丁目☆
永田山王台(ながたさんのうだい)☆
永田台(ながただい)☆
永田東(ながたひがし)一~三丁目☆
永田南(ながたみなみ)一~二丁目☆
永田みなみ台(ながたみなみだい)☆
中島町(なかじまちょう)1~4丁目
中村町(なかむらちょう)1~5丁目
西中町(にしなかちょう)1~4丁目
八幡町(はちまんちょう)
花之木町(はなのきちょう)1~3丁目
日枝町(ひえちょう)1~5丁目
東蒔田町(ひがしまいたちょう)
伏見町(ふしみちょう)
二葉町(ふたばちょう)1~4丁目
平楽(へいらく)
別所(べっしょ)一~七丁目☆
別所中里台(べっしょなかざとだい)☆
堀ノ内町(ほりのうちちょう)1~2丁目
蒔田町(まいたちょう)
前里町(まえさとちょう)1~4丁目
真金町(まがねちょう)1~2丁目
万世町(まんせいちょう)1~2丁目
南太田(みなみおおた)一~四丁目☆
南吉田町(みなみよしだちょう)1~5丁目
三春台(みはるだい)
宮元町(みやもとちょう)1~4丁目
六ツ川(むつかわ)一~四丁目☆
睦町(むつみちょう)1~2丁目
吉野町(よしのちょう)1~5丁目
若宮町(わかみやちょう)1~4丁目

面積 12.63km2
総人口 196,230人
(2007年7月1日)
隣接自治体・行政区 横浜市:西区、中区
保土ヶ谷区、磯子区
戸塚区、港南区
区の花 さくら
区のマスコットキャラクター
区のキャッチフレーズ みなっち(桜の花びら)
南の風はあったかい

保土ヶ谷区

保土ケ谷区(ほどがやく)は、横浜市を構成する18区のうちのひとつ。

横浜市の中央部にあり、関東ローム層からなる多摩丘陵の南東の端にあたる。関東平野にありながら起伏に富み、最高地は海抜99.0mに位置する。

河川: 帷子川、今井川

かつて、瀬戸ヶ谷から保土ヶ谷駅一帯まで大規模な古代遺跡があったが、開発のため消滅した。 古代、旭区から当区にかけて、広大な榛谷御厨(はんがやのみくりや)が存在した。「はんがや」が「ほどがや」に転訛したという説がある。

かつては程ヶ谷(ほどがや)と書き、江戸時代には東海道五十三次程ヶ谷宿として栄えた。

保土ケ谷区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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保土ケ谷区のデータ 国 日本
地方 関東地方
都道府県 神奈川県
市 横浜市
団体コード 14106-2
面積 21.81km2
総人口 204,728人
(2007年7月1日)
隣接自治体・行政区 横浜市:神奈川区、西区、南区、
戸塚区、旭区、緑区
区の花 すみれ
区の鳥
区の色 カルガモ
ほどがやグリーン
保土ケ谷区役所

磯子区

市の東南に位置し、根岸湾に面する。沿岸部の低地の大半は埋立地であり、それを囲むように丘陵地が広がっている。区内の大部分は宅地化されているが、南部の円海山周辺には緑地が残されている。 氷取沢一帯は、大岡川の水源となっている。

かつて山手・根岸から延びる沿岸丘陵の隆起は海岸までせり出し、現在でも京浜急行屏風ヶ浦駅の地名にその残影が残る。丘陵部は横浜開港時より根岸湾遠景が尊ばれ避暑地として別邸や別荘を構えるものが多く、旧プリンスホテル跡地やひばり御殿等が歴史に名をとどめる。明治から昭和にかけて数回に渡り丘陵部手前の埋立てが行われ、県道(現在の国道16号)が根岸湾に沿って整備された。また関内・伊勢佐木町から同区八幡橋・芦名橋を経由し杉田迄市電が延伸され人口の集積が進んだ。当時の区勢は国道16号や掘割川周辺から丘陵部までの低地にある住宅街に偲ぶことができる。

1960年(昭和35年)頃から根岸湾の埋立てが行われ、重化学工業地帯が誕生した。埋立に利用した土砂は丘陵部のものを利用し、その際に同時整備したのが現在の汐見台である。当初から電気・ガス等ライフラインを地下埋設にし、全車道に歩道が設置され、下水道完備、保存緑地等、昭和30年代当時としてはかなり最新構造の都市基盤をもって整備された。その後のライフライン地下埋設は横浜都心部や港北ニュータウンで整備されていくが、現在に至っても横浜市全域の都市基盤へ応用されるには至っていない。昭和40年代には桜木町から国鉄(現JR東日本)根岸線が延伸され、沿線丘陵部の宅地開発が進み、昭和50年代には駅周辺のマンション建設が進み、昭和60年代迄人口が急増した。

現在では根岸線に加えて、首都高速道路湾岸線、国道16号、横浜市道環状2号、横浜市道環状3号による交通網に支えられ、都市基盤完成度では横浜市内屈指に至る。新規分譲住宅地が少ない為、以前の人口急増は過去のものとなったが、古くからの住宅地では高齢化も進み、若年層流出により商店街の維持を困難にしている地域もある。戦後初期にベッドタウン化を経験した区である為、今後の高齢化も他区より先行することが予測され、今後の地域活力の維持が大きな課題である。

既に区民の6割以上が横浜生まれであり、中区や南区に次ぎ、区民の横浜出生比が高い区である。

上町(かみちょう)
馬場町(ばばちょう)
坂下町(さかしたちょう)
下町(しもちょう)
東町(ひがしちょう)
西町(にしちょう)
鳳町(おおとりちょう)
原町(はらまち)
丸山(まるやま)一~ニ丁目
滝頭(たきがしら)一~三丁目
広地町(ひろちちょう)
中浜町(なかはまちょう)
久木町(ひさきちょう)
磯子(いそご)一~八丁目
磯子台(いそごだい)
岡村(おかむら)一~八丁目
新磯子町(しんいそごちょう)
新森町(しんもりちょう)
新中原町(しんなかはらちょう)
新杉田町(しんすぎたちょう)
汐見台(しおみだい)1~3丁目
森が丘(もりがおか)一~ニ丁目
森(もり)一~六丁目
中原(なかはら)一~四丁目
栗木(くりき)一~三丁目
田中(たなか)一~ニ丁目
杉田(すぎた)一~九丁目
杉田坪呑(すぎたつぼのみ)
上中里町(かみなかざとちょう)
氷取沢町(ひとりざわちょう)
峰町(みねちょう)
洋光台(ようこうだい)一~六丁目

面積 19.02km2
総人口 164,304人
(2007年7月1日)
隣接自治体・行政区 横浜市:中区、南区、金沢区
港南区、栄区
区の木 梅
区の花 コスモス

金沢区

金沢区(かなざわく)は、横浜市を構成する18区のうちのひとつである。一説に、鎌倉に幕府が開かれた際に、刀鍛冶が集まったことからこの名がついたと言われている。鎌倉幕府の影響として、称名寺や金沢文庫などの史跡も多く残っている。

横浜市の最南端に位置し、横須賀市、逗子市、鎌倉市、磯子区、栄区に接する。海岸線を埋め立てた金沢工業地帯と同時に造成された人工海岸「海の公園」をはじめ、横浜・八景島シーパラダイスや横浜ベイサイドマリーナなど、マリンスポーツを楽しむことの出来る複合施設も最近は賑わっている。

横浜市唯一の自然海浜(野島海岸)と、市内最高峰(大丸山)を有する。

朝比奈町(あさひなちょう)
海の公園(うみのこうえん)
大川(おおかわ)
乙舳町(おっともちょう)
片吹(かたぶき)
金沢町(かなざわちょう)
釜利谷町(かまりやちょう)
釜利谷西(かまりやにし)一~六丁目
釜利谷東(かまりやひがし)一~八丁目
釜利谷南(かまりやみなみ)一~四丁目
幸浦(さちうら)一~二丁目
柴町(しばちょう)
昭和町(しょうわまち)
白帆(しらほ)
洲崎町(すさきちょう)
瀬戸(せと)
大道(だいどう)一~二丁目
高舟台(たかふねだい)一~二丁目
泥亀(でいき)一~二丁目
寺前(てらまえ)一~二丁目
富岡西(とみおかにし)一~七丁目
富岡東(とみおかひがし)一~六丁目
鳥浜町(とりはまちょう)
長浜(ながはま)
長浜(ながはま)一~二丁目
並木(なみき)一~三丁目
西柴(にししば)一~四丁目
能見台(のうけんだい)一~六丁目
能見台通(のうけんだいどおり)
能見台東(のうけんだいひがし)
能見台森(のうけんだいもり)
野島町(のじまちょう)
八景島(はっけいじま)
東朝比奈(ひがしあさひな)一~三丁目
平潟町(ひらがたちょう)
福浦(ふくうら)一~三丁目
堀口(ほりぐち)
町屋町(まちやちょう)
みず木町(みずきちょう)
六浦(むつうら)一~五丁目
六浦町(むつうらちょう)
六浦東(むつうらひがし)一~三丁目
六浦南(むつうらみなみ)一~五丁目
谷津町(やつちょう)
柳町(やなぎちょう)

もと武蔵国倉城郡(後の久良岐郡)六浦庄内金沢村(昔はカネサワ)と呼ばれた。鎌倉時代には鎌倉に隣接する港町として栄え、北条氏により鎌倉市との境に国指定史跡として残る朝比奈切通しや、称名寺、金沢文庫が造られた。

江戸時代に入ると、1722年に米倉忠仰が下野国皆川から陣屋を金沢に移し、六浦藩が成立する(横浜市域では唯一の大名)。米倉氏は元来武田氏家臣であったが滅亡後家康に仕え、5代将軍綱吉の時諸侯に列した。その後米倉家は8代続き、1871年、明治政府の廃藩置県により8代藩主米倉昌言は六浦県知事となる。現在は陣屋跡に当主一家が住まう。なお、米倉家菩提寺は秦野市の蔵林寺にある。

1887年(明治20年)には、伊藤博文らにより現・金沢区洲崎町の料亭東屋で大日本帝国憲法の草案が起草された。作業の途中、盗人に草案の入った鞄が盗まれた話は有名である。

面積 30.68km2
総人口 211,698人
(2007年7月1日)
隣接自治体・行政区 横浜市:磯子区、栄区
横須賀市、鎌倉市、逗子市
区の木 山桜
区の花 牡丹

港北区

港北区(こうほくく)は、横浜市を構成する18区のうちのひとつである。

横浜市北東部に位置し、東急東横線を中心とする東部には、一戸建て住宅中心の閑静な高級住宅地が、横浜市営地下鉄を中心とする西部にはマンション中心の新興住宅地が広がっており、その一方で広い区内には随所に豊かな自然も残っていることから、市内でも人気の高い地域である。また南部の新横浜駅周辺は現在、新横浜副都心として再開発が行われている。

人口・世帯数はともに横浜市のみならず、日本の政令指定都市の行政区の中で最大である。

1939年(昭和14年)4月に都筑郡下の各町村が横浜市に合併した際、神奈川区から分区する形で成立した。都筑郡下の各町村は都筑郡一体での行政区成立を望んだが、地理的条件などを勘案し、神奈川区の大綱・日吉・師岡の各地区に城郷地区の一部、そして都岡・二俣川を除く都筑郡の各町村を以って一行政区とされた。成立当時の名前の候補として、菊名区が挙げられたが、横浜港の北にあるということで港北区に決定した。

誕生当時は、現在の港北区・緑区・都筑区・青葉区に保土ケ谷区の上菅田町・新井町をあわせた区域だったが、1969年に緑区(現在の緑区・青葉区及び都筑区の一部)を分区し、上菅田町・新井町は保土ケ谷区に編入。さらに1994年11月に行政区再編成により、区の北西部地域が都筑区に分区編入されて現在の港北区に至る。

東急東横線の沿線を中心に住宅・商業地域が発達している。横浜線、横浜市営地下鉄沿線は緑を残しつつもニュータウンや大規模なマンションなどが立ち並び、今なお開発が進んでいる。新横浜駅周辺は横浜の副都心として発展している。数年後には高さ20階建ての駅ビルが完成しすべてののぞみ、ひかりが新横浜に止まることになる。

2002年のFIFAワールドカップ?の決勝の舞台となった現日産スタジアム、当時の横浜国際総合競技場があることでも知られる。

元々鉄道沿線の駅前を中心に商店街などが連ねていたが、最近大規模開発が行われている新横浜駅周辺が商業の中心地になりつつあり、港北ニュータウンの発展も含めて企業の進出も多い。日吉地区も地下鉄路線の開通を睨んでサンテラス日吉などの商業施設が増加している。

現在でも田園風景が多く残っており、市内でも農業が盛んな区の一である。
古くは鶴見川を中心に稲作や果樹(モモ・ビワ・イチゴ)など東京などに向けた近郊農業が盛んに行われていた。
現在は新羽・大熊農業専用地区などを中心にホウレンソウ、小松菜など軟弱野菜の生産が行われている。
戦前、全国的に有名だった綱島の桃「日月桃」があった。

綱島(綱島東・綱島西・綱島台・綱島上町)
大曽根(大曽根台を含む)・樽町
太尾(ふとお。大倉山駅周辺。なお、2006年現在「大倉山」は地名ではない)
大豆戸(まめど)
菊名(錦が丘、富士塚を含む)
篠原(新横浜、仲手原を含む)
岸根
日吉(日吉・日吉本町・下田・箕輪町の四町)
城郷(旧橘樹郡城郷村のうち港北区に編入した二町。小机・鳥山)
師岡(もろおか)
新田

面積 31.37km2
総人口 319,853人
(2007年7月1日)
隣接自治体・行政区 横浜市鶴見区、神奈川区
緑区、都筑区
川崎市幸区、中原区
高津区
区の木 ハナミズキ
区の花 ウメ

戸塚区

戸塚は江戸時代、東海道の宿場町として栄えた。明治になると東海道線が開通、戸塚駅が開業する。近代化に伴って日立製作所など、多くの工場が進出し、高度経済成長以降は丘陵地の造成が進み、東京・横浜のベッドタウンとなっている。横浜市の副都心として指定されている。

都市整備は市中心部に比べて大幅に遅れている。特に新興開発地である東戸塚地区と異なり、戸塚駅の西口再開発事業が商店主の反対もあって計画が遅れ、一帯の再開発が課題となっていたものの、2007年6月より本格的に事業が着手され工事も開始された。2012年度中の完成を予定している。これにより、戦後の闇市以来の歴史を有する「旭町通商店街」は消滅する。

面積は横浜市の区の中で最大である。人口は第3位。

区域は北東から南西にかけて延びており、中央部を暴れ川と呼ばれた柏尾川・東海道線・国道1号が縦断する。柏尾川流域は古くからの工場が多く、その他ほとんどの丘陵地が住宅地として開発されている。谷戸や沢の地形が多い。

深谷町に広大な在日米軍深谷通信所(送信施設)があり、瀬谷区の上瀬谷通信所(受信)とともに、国内屈指の通信施設となっているが、深谷に関しては全面返還が内定している。なお近隣住民は、テレビなどの受信障害のため、現在も米軍から補償を受けている。

地名
秋葉町、影取町、柏尾町、上柏尾町、上倉田町、上品濃、上矢部町、川上町、汲沢町、汲沢一~八丁目、小雀町、品濃町、下倉田町、戸塚町、鳥が丘、名瀬町、原宿一~五丁目、東俣野町、平戸町、平戸一~五丁目、深谷町、舞岡町、前田町、俣野町、南舞岡一~四丁目、矢部町、吉田町

元々の戸塚区は、現在の瀬谷区(1969年分区)、泉区(1986年分区)、栄区(1986年分区)などを含み、きわめて広大な面積であった。これは、成立当時の横浜市が旧武蔵国であったのに対し、周辺町村を吸収合併し続けていく過程で、旧相模国鎌倉郡であった町村のほぼすべての部分を戸塚区としてまとめたからである。したがって、区内に「湘南」という地名を冠する機関があるが、戸塚区、瀬谷区、泉区、栄区は、“横浜でありながら鎌倉・湘南でもある”(湘南には相模の南という含意もある)ためであって、なんら不自然ではない。
「戸塚」の語源は、区内にある富塚八幡宮の「富塚」(とみづか)から来ているとする説が有力である。同社は富属彦命(とつぎひこのみこと、相模国造二世の孫と伝える)を主祭神とし、社殿背後には彼を葬ったという前方後円墳があるが未発掘。区内には縄文時代以来の遺跡も多い。上矢部町の富士山古墳(円墳。径25メートル)からは多様な埴輪が出土した。
律令制下では、相模国鎌倉郡に属した。中世までは高座郡であったとする説もあるが、面積や境界での不自然さがあり、説得性に欠ける。境川が文字通りの郡堺と考えられる。
吉田町一帯は、中世の豪族山内首藤氏が治めた吉田荘の一部である。
平安後期から鎌倉期には鎌倉党の一族がいたもようである。始祖鎌倉景政を祀る「御霊社」「五霊社」などが区内近隣に遺っている。

港南区

港南区(こうなんく)は、横浜市を構成する18区のうちのひとつである。行政区再編成により、1969年(昭和44年)10月1日、南区より分区して発足した。かつては農村地帯が広がっていたが、1950年代から虫食い的に宅地開発が始まった。1970年代には野庭(のば)団地、港南台団地などといった巨大団地が形成され、人口は爆発的に増加した。発足時の人口は約9万5千人であったのが、現在では約22万人の暮らす、成熟した住宅都市として成長している。

他に特筆すべきは、廃藩置県前の旧国の相模と武蔵の国境が走っているという希有な行政区ということである。
区の北東を京浜急行本線が通り、また北東から中央部にかけて横浜市営地下鉄ブルーラインが通り、さらに南にはJR根岸線が通っている。区の中央部には横浜横須賀道路が縦断しており、鎌倉街道との交点に日野インターチェンジ、環状3号の交点に港南台インターチェンジがそれぞれ設けられている。区の南北には鎌倉街道、東から北にかけて環状2号、南には環状3号が通っている。

商業地は主に上大岡駅周辺と港南台駅周辺で、区役所や警察署など官公庁は港南中央駅周辺に集中している。特に上大岡駅周辺においては、横浜市の副都心として位置付けられており、市街地再開発事業が進行中である。

大久保一丁目~三丁目
上大岡東一丁目~三丁目
上大岡西一丁目~三丁目
上永谷一丁目~六丁目
上永谷町
港南一丁目~六丁目
港南台一丁目~九丁目
港南中央通
最戸一丁目~二丁目
笹下一丁目~七丁目
下永谷一丁目~六丁目
芹が谷一丁目~五丁目
野庭町
東芹が谷
東永谷一丁目~三丁目
日限山一丁目~四丁目
日野一丁目~九丁目
日野中央一丁目~三丁目
日野南一丁目~七丁目
丸山台一丁目~四丁目

面積 19.86km2
総人口 221,907人
(2007年7月1日)
隣接自治体・行政区 横浜市:南区、磯子区、戸塚区、栄区
区の木 クロガネモチ
区の花 ヒマワリ、キキョウ、アジサイ
区の鳥 シジュウカラ

旭区

1950年代から、横浜市中心部や京浜工業地帯への通勤者のベッドタウンとして宅地化が進み、丘陵地や農地に万騎が原、上白根、左近山、ひかりが丘、横浜若葉台団地などの大規模団地が造成され人口が激増した。1999年4月には日本最大級のよこはま動物園ズーラシアが開園した。横浜市編入以前は都筑郡に属し、郡役所が都岡町に置かれたが、後に都筑区川和町に移転。隣の瀬谷区との区境は武相国境である。相模鉄道沿いの二俣川・鶴ヶ峰地区は、横浜市総合計画「ゆめはま2010プラン」で副都心に位置付けられており、2007年現在では鶴ヶ峰駅南口地区において再開発事業を行っている。[1]

今後は2010年度より中尾町の二俣川県有地に所在する県の行政機関のうち、県立がんセンターと運転免許試験場において、県有地内での相互移転を含む大規模な改修が行われる予定。

区の南部を相鉄本線が横断し、二俣川駅から南にいずみ野線が分岐する。区の北西から東に帷子川が貫流し、これに国道16号(旧八王子街道)が平行する。帷子川は大幅な改修工事により旭区役所および鶴ヶ峰駅近辺において流域の移動や暗渠化を併せた整備が行われている。区を北西から南東に国道16号保土ヶ谷バイパスが貫通しており、区内の道路と接続し旭区の大動脈となっている。中央部は東西に中原街道が通っており、他にも鎌倉街道および東海道新幹線が通る。

相模鉄道二俣川駅の北側には運転免許試験場・がんセンター・公文書館など県の施設が集まり、二俣川駅と鶴ヶ峰駅の間の県道厚木街道沿いに旭区役所・旭警察署・旭郵便局が設置され、区の中心となっている。

なお三ツ境駅の北側も旭区であり、瀬谷区との境に聖マリアンナ医科大学横浜西部病院や程ヶ谷カントリー倶楽部がある。

古代、武蔵国都筑郡に属し、保土ヶ谷区から当区にかけて、広大な榛谷(はんがや)御厨(榛谷氏は坂東八平氏のうち秩父氏の流れ)が存在し、善部(膳部)、半が谷などの地名が残る。 二俣川も参照。

1063年 - 白瀧山成願寺(現在の白根不動)が鎌倉権五郎景政により建立される。
1295年 - 鶴ヶ峯の戦い。
1926年5月12日 - 相模鉄道の前身で、相模川の砂利運搬を主な業務とする神中鉄道が二俣川駅~厚木駅間を開業させる。
1930年10月25日 - 鶴ヶ峰駅が開業。(1933年12月27日に横浜駅まで開通)
1969年10月1日 - 保土ヶ谷区から分区し発足した。
1990年 - 二俣川駅周辺地区の再開発が始まる。
2003年 - 鶴ヶ峰駅南口地区の再開発が始まる。

タカナシ乳業の本社所在地。
一昔前までは農家や、帷子川沿いにスカーフの染色工場が点在していたが、スカーフ工場については現在全て姿を消した。現在は区内の大半が住宅地であるが、大規模小売店舗は団地周辺を除くと国道16号を含めて道路沿いの郊外型が少なく、駅近辺に集中している。

川島町
西川島町
白根町
白根一~八丁目
中白根一~四丁目
上白根町
上白根一~三丁目
鶴ケ峰一~二丁目
鶴ケ峰本町一~三丁目
市沢町
左近山
小高町
三反田町
今宿町
今宿一~二丁目
今宿東町
今宿西町
今宿南町
都岡町
川井本町
川井宿町
上川井町
下川井町
若葉台一~四丁目
矢指町
金が谷
金が谷一~二丁目
笹野台一~四丁目
今川町
四季美台
中沢一~三丁目
中尾一~二丁目
二俣川1~2丁目
本村町
本宿町
南本宿町
大池町
万騎が原
柏町
さちが丘
東希望が丘
中希望が丘
南希望が丘
善部町
桐が作

面積 32.78km2
総人口 248,292人
(2007年7月1日)
隣接自治体・行政区 横浜市:保土ヶ谷区、戸塚区
緑区、瀬谷区、泉区
区の木 ドウダンツツジ
区の花 あさがお
区の昆虫 ホタル

緑区

区域は鶴見川流域に沿って東西に細長い。中央を鶴見川やJR横浜線が東西に縦走している。鶴見川流域は平地であるが、南側は丘陵地となり住宅地が多く、旭区に隣接する。北側は緑産業道路である都市計画道路川崎町田線に沿って工業団地となっている。JR横浜線や都市計画道路横浜市道山下長津田線に沿って住宅地や団地が広がるが、南側丘陵部は近年宅地化された新興分譲地も多い。鶴見川と恩田川合流地点から上流は市内でも珍しい広大な農業用地となっており、稲作や梨生産が見られる。

河川:鶴見川(谷本川)、恩田川

1939年 都筑郡が横浜市へ編入し、神奈川区のうち大綱地区・日吉地区・師岡地区・城郷地区の小机・鳥山と都筑郡のうち都岡村(現旭区)・二俣川村(現保土ヶ谷区・旭区)、柿生村・岡上村(川崎市多摩区→麻生区)を除く新治村(現緑区・保土ヶ谷区)・田奈村(現緑区・青葉区・瀬谷区)・川和町(現都筑区)・中里村(現緑区・青葉区)・山内村(現青葉区・都筑区)をもって港北区とする。(都筑郡の消滅)
(旧都筑郡西谷村は1927年に横浜市へ編入し、同年行政区の設置により保土ヶ谷区の一部となっている)

1969年 新治(うち上菅田町・新井町は保土ヶ谷区へ編入)・田奈・川和・中里・山内地区を緑区とし、港北区より分区して成立。
1980年 長津田町・瀬谷区瀬谷町・旭区上川井町の一部より瀬谷区卸本町を新設する。
1986年 緑区北部支所を市ヶ尾町に開設。分区準備期間に入る。(山内支所を閉鎖)
1994年 区の北部を青葉区・都筑区へ分区し、現在の区域となる。

主な産業 - 農業・工業
農業 - 鶴見川・恩田川合流点から上流の川沿いで盛ん。恩田川沿いは水田、谷本川沿いは「浜なし」ブランドの梨畑が広がる。
工業 - 鴨居駅近辺から中山駅近辺にかけて工業施設が集まっており、トステム・雪印乳業の工場や、白山ハイテクパークという研究開発施設の集積地(ジャーマンインダストリーセンター、マクニカ、村田製作所、ケンウッドなど)が所在する。
商業 - 区内の駅前に集中している。なお西部は環状4号線周辺を軸としてショッピングセンターの進出が相次いでいる。

長津田町
長津田一~七丁目
長津田みなみ台一~七丁目
鴨居町
鴨居一~七丁目
竹山一~四丁目
東本郷町
東本郷一~六丁目
白山一~四丁目
上山一~三丁目
中山町
寺山町
台村町
森の台
新治町
三保町
青砥町
小山町
十日市場町
霧が丘一~六丁目
いぶき野
北八朔町
西八朔町

面積 25.42km2
総人口 173,411人
(2007年7月1日)
隣接自治体・行政区 横浜市神奈川区、保土ヶ谷区、港北区
旭区、瀬谷区、青葉区、都筑区
東京都:町田市
区の木 カエデ
区の花 シラン
区のうた 「緑区、この街が好き」、「緑区音頭」

瀬谷区

最高地 北町 海抜93.6m
最低地 阿久和南三丁目 海抜36.7m

横浜市の西端に位置し、区域は大和市との境界である境川に沿って南北に細長い。

北部は東京都町田市、緑区、南部は泉区、東部は旭区に接している。相鉄線を挟んで北部は平地が広がり、南部は川沿いに段丘上になっている。

気象庁横浜地方気象台の情報や注意報・警報は横浜・川崎である。横浜市内ながら、冬には氷点下も出す地域で、気候は夏暑く、冬寒い。

大和市との境に境川が流れている。

台風や大雨の場合、床下浸水等の被害がしばしば起きる。特に1991年(平成3年)の台風の時は鹿島橋を架け替えるほどであった(鹿島橋の管理は大和市がおこなっている)。現在の環状4号線の開通する前には、跨線橋のある辺りで雨水幹線の工事をしていた。
他に大門川、相沢川、和泉川、阿久和川がある。和泉川と阿久和川は源流が区内にある。

2004年度の区内の緑被率は35.9%で、横浜市の31.0%を上回っている。

かつて区北部には国鉄所有の土地があり、その跡地を中心にして工業団地が造成された。東名高速横浜町田インターチェンジや国道16号、国道246号に近いことから、横浜総合卸センター(卸本町)や横浜インナーパーク(北町)などの工場団地が集中している。生活協同組合連合会やCOOP神奈川、富士シティオ、花王、イトーヨーカドーの物流拠点、読売新聞・日本経済新聞・東京新聞の印刷工場、佐川急便、日本通運、ヤマト運輸などの流通拠点がある。またセコム、清水建設、太平洋セメントグループのテイヒュー(旧帝国ヒューム管)横浜本社・工場、オリックス、などが工場や事務所を置いている。

区内には開発されてない土地もあり農業も盛んである。上瀬谷の農業専用地区は、横浜市内にある農業専用地区の中でも一番広く、920,000 m2ある。

北部を中心にウド栽培が行われ、その産地は海軍道路周辺に集中する。これは、既に撤廃されている上瀬谷通信隊の周辺における建築物の高さ制限、同地に旧帝国海軍による弾薬庫の遺構が多数残されていたことなどの理由によって、農作物として半地下で栽培できるウドが選ばれたためである。

下瀬谷地区では、露地野菜やハウス栽培が中心。阿久和地区を中心に芝の栽培が盛んである。阿久和・宮沢地区では、酪農、肉牛、養鶏の農家がある。また各地に直売所がある。

鷹見塚…江戸幕府開幕の頃におかれ、5代将軍徳川綱吉の時に一時廃れたが、8代将軍徳川吉宗の代に復活した鷹狩りを行う際の指揮台として用いた物見塚。区内には2箇所設置された。現在では瀬谷区4丁目の環状4号線沿いに1箇所残るのみである。
白鳳庵…個人の私邸に、30種約3,000株のあじさいが植えられており、開花時期に合わせて一般開放されている。入り口の門は、横浜税関、神奈川県庁の正門を経て、現在の場所に移築された由緒のある門である。
乳出神の碑…東野第一公園にある。碑によると、この周辺にわき出ている清水を持ち帰って飲むと、母乳の出が良くなったという言い伝えがあるという。昭和42年頃までは乳出神を祭った泉があったが、近年の造成工事によって清水は断たれた。

瀬谷一~六丁目
中央
相沢一~七丁目
瀬谷町
本郷一~三丁目
中屋敷一~三丁目
上瀬谷町
竹村町
目黒町
五貫目町
卸本町
北町
東野
東野台
橋戸一~三丁目
北新
下瀬谷一~三丁目
南瀬谷一~ニ丁目
南台一~ニ丁目
宮沢一~四丁目
二ツ橋町
三ツ境
阿久和東一~四丁目
阿久和西一~四丁目
阿久和南一~四丁目

阿久和…新羅の古語で水を意味する「アカ」にちなむともいい、また、「アクワ」は「川の流れの曲がった様」を意味する。以前は泉区の新橋町等も含まれていて、現在瀬谷区になっている地域は上阿久和で、泉区の新橋周辺は下阿久和と呼ばれていた。字として、鎌取、東原、運上野、宮沢台、向原、狢久保、吉原、小金、宮腰、細川、宮下、西村、蟹沢、雨池、猪窪、馬場畑、赤松戸、隼人、榊山、藤ケ谷、中村、土橋、善光寺谷、大久保原、山王塚、岡本、慶林谷、日向山がある。
三ツ境…『新篇武蔵風土記稿』の「二俣川村」に「密經(みつきょう)新田 小名(こな) 三經(みつきょう) 東北の方なり」の記録が残されている。「三ツ境」のいわれについては、二俣川村、都岡村川井分、中川村阿久和分の三村の境を意味するとか、三ツ境の「境」は「橋」であるとか、旭区東希望が丘の三経山長楽寺に関係した仏教の「密経」に因(ちな)む、とかの諸説がある。

栄区

栄区は横浜市の南部に位置し、東西に長く(東西約7km、南北約6km)、東は金沢区、磯子区、西は戸塚区、南は鎌倉市、北は港南区に接している。旧相模国鎌倉郡(一部が高座郡に属していたとする説もある)に属し古来より鎌倉とはゆかりの深い地域である。なお金沢区との区境は武相国境である。

区の中央を、かつてしばしば氾濫したいたち川(いたちがわ、「いたち」の表記は『けものへんに由』)が東西に流れ、また西側を柏尾川が南北に流れて低地を形成し、その東側・南側を三浦半島に連なる丘陵地がとり囲むように広がる。柏尾川西岸を中心とした低地には工場、また丘陵地を造成した団地が多く、また丘陵地は市民の森という森林公園にもなっている。本郷台駅を中心に、いたち川沿いに広がる本郷地区と、西部の柏尾川沿いの豊田地区からなる。

交通の面では、区の北西地域をJR根岸線(京浜東北線)が横断し、また区の西部には柏尾川に沿って南北に東海道本線と横須賀線が縦断し東京あるいは小田原・横須賀方面と接続されている。区北部・南部に東西方向にそれぞれ環状3号道路と環状4号道路が通っている。

商業地は主に本郷台駅周辺と大船駅周辺。区役所や警察署など官公庁は本郷台駅周辺に集中している。南側の鎌倉市と接する部分にある大船の繁華街は横浜市栄区と鎌倉市の双方にまたがっており、大船駅のプラットフォームも横浜市栄区と鎌倉市の双方にまたがっている。

山林の面積は212haで、市域全体の約17.5%を占める。一方住宅地は市域の60.4%に過ぎず、横浜市全体と比較すると、宅地割合が少なく山林割合の多い地域である。

山:円海山(山頂は磯子区)
河川: 柏尾川、いたち川
湖沼: 瀬上池

栄区地域の歴史は、原始・古代にまでさかのぼることができ、古代、鎌倉郡尺戸郷、荘園時代の山内荘が存在した。横穴墓の分布が特徴的である。相模国鎌倉郡であったため、特に、鎌倉時代には幕府との結び付きが強く、いたち川流域の豊かな田園が食料生産を担い、古代から伝わる製鉄の技術とともに東北地方に対する軍事政策のうえで重要な役割を果たしていたと考えられており、鎌倉道や数多くの史跡が残されている。また、鎌倉が近いことから、中世の動乱期にたびたび戦場となっており、 中村氏の一族、中村常宗が笠間に移り住み勢力を張った。

近代の発展としては、明治21年の大船駅の開業と翌年の横須賀線の開通による大船駅周辺の市街化と、 昭和42年の大船PX(占領軍物資倉庫群)返還以降の本郷台駅周辺の公共施設や高層住宅の建設、そして昭和40年代から50年代にかけての丘陵地の大規模な住宅開発があげられる。

区名は、公募により本郷区、南戸塚区、湘南区、栄区、桂区、大船区、根岸区、光区、戸塚南区、上郷区などから選定し、本郷、豊田の両地区の共栄を期し、新しい区として未来に向けて、大きく栄えていくことを祈願し、明るく、華やかなイメージのある、簡潔で、語調もよい区名を決定した。 (公募時に「戸塚A区」とされていたので「A」→「栄(えい)」とされたという説もある。)

上郷町
公田町
中野町
鍛冶ケ谷町
鍛冶ケ谷一~二丁目
小菅ケ谷町
小菅ケ谷一~四丁目
桂町
笠間町
笠間一~五丁目
長尾台町
田谷町
金井町
飯島町
長沼町
本郷台一~五丁目
若竹町
元大橋一~二丁目
庄戸一~五丁目
長倉町
東上郷町
犬山町
尾月
上之町
亀井町
野七里一~二丁目
小山台一~二丁目
柏陽
桂台北
桂台中
桂台西一~二丁目
桂台東
桂台南一~二丁目

面積 18.55km2
総人口 124,639人
(2007年7月1日)
隣接自治体・行政区 横浜市:磯子区、金沢区、
戸塚区、港南区
鎌倉市
区の花 キク

泉区

総面積23.56平方キロメートルは、市内18区中第9位、市総面積のうち5.42%。
横浜市の南西部に位置し、相模野台地と呼ばれる関東ローム層に覆われた比較的平坦な台地の一部で、区の西側を境川と和泉川が南北に流れ、北側を阿久和川、東側を宇田川(村岡川)が流れている。台地の辺縁には湧水が分布する。河川流域に農業地帯が開け、製糸業が行われていた。区内は歴史的な経緯より中川地区と中和田地区から成る。
西側は境川を市境として藤沢市、大和市と接し、北側は瀬谷区、旭区、東側と南側は戸塚区と接する。相鉄いずみ野線と横浜市営地下鉄の2本の鉄道路線、及び県道長後街道(旧・大山道)が区を横断している。
1965年以降に市営上飯田団地、県営いちょう団地などの大規模な公営団地の建設が相次いで行われ、1976年に相鉄いずみ野線が開通して、沿線を中心に、急速に宅地開発が進んだ。
かつて戸塚区に属し、日立製作所戸塚工場・横浜工場、ブリヂストンの従業員らのベッドタウンでもあり、戸塚とのつながりが深い。持ち家比率と、一戸建て率が市内一位である。

境川、阿久和川、和泉川に沿った丘陵上に縄文時代の遺跡が分布する。弥生台は開発時に弥生時代の土器が出土したことによる。
古墳(高塚古墳)は今のところ区内では未見である。横穴墓は上飯田町・柳明遺跡などが挙げられる。
律令制下の動向は明らかでない。相模国鎌倉郡であった(下飯田町本郷が高座郡涓堤郷であったとする説もあるが不明)。高座郡との境界は境川である。ゆえに広義での鎌倉であった。
新橋町、岡津町が鎌倉郡大島郷と推定されている。
平安時代半ばの人物で鎌倉党の祖鎌倉景政を祀る「御霊社」「五霊社」が区内に存在する。大庭御厨を根拠とする鎌倉党のテリトリーであった可能性がある。境川やその支流をたどって開発を進めていったのであろう。また対岸の渋谷氏の影響も考えられる。
同様に「サバ神社」(左馬、鯖などの字を充てる)がいくつかある。これは一時期鎌倉(現在の寿福寺の地)に住んでいた左馬頭源義朝(または源満仲)を祭神とする。義朝は大庭御厨に乱入して殺傷事件を起こしており、鎌倉党とは微妙な関係にあった。
岡津町のマンション「ルネ戸塚弥生台」付近は「玄蕃山」と呼ばれ、鎌倉幕府御家人と伝える「島田三郎」(史料にはみえず。甲斐氏か)ゆかりの「島田の塚」があった。
岡津は、横浜市立岡津小学校一帯に城が築かれ、少弐氏や甲斐氏が支配したといわれる。また、現在の富士スーパー付近は近世、処刑場であった。
やがて同じ郡内に鎌倉幕府や鎌倉府がおかれ、政治の中心地となる。首都鎌倉に向かうための鎌倉街道上ノ道が通っていた。また、新田義貞による鎌倉攻めはたつ道(横浜市道環状4号)であったという。
飯田は鎌倉党の一族ともいわれる飯田氏の苗字の地。飯田五郎家義は石橋山の合戦で敗れた源頼朝を救ったことで知られる。その館跡は現在「富士塚城址」という碑が建つ公園近辺という。飯田氏は当地の御家人として『吾妻鏡』などに名を遺している。
和泉町の長福寺・須賀神社は、北条氏によって滅ぼされた泉親衡ゆかりの寺社という。ただし親衡は信濃の御家人であり、泉姓から付会した伝承と思われる。同地の和泉中央公園の湧き水が「和泉」の地名の発祥といわれている。
上飯田町の本興寺は、寺伝では日蓮ゆかりの地であるという。のちに鎌倉にあった不受不施派寺院が慶長の法難にともなって移転してきた(現在、再興された同名寺院が鎌倉市大町2丁目にあり)。日什門流で戦前まで顕本法華宗本山、現日蓮宗由緒寺院。

岡津町
新橋町
弥生台
中田町
和泉町
上飯田町
下飯田町
池の谷
緑園一~七丁目
白百合一~三丁目
西が岡一~三丁目
領家一~四丁目
桂坂
中田東一~四丁目
中田北一~三丁目
中田西一~四丁目
中田南一~五丁目

青葉区

区の東側は東名高速道路(第一東海自動車道)と国道246号が走っており、それに沿うようにして東急田園都市線が走っている。区の西側は横浜高速鉄道こどもの国線が走っている。区の北西側は、東京都町田市や川崎市麻生区が接している。

地勢上、横浜都心部よりも、東京都心部に通勤通学する人が多く、このことを揶揄して「青葉都民」や「横浜都民」などとも言われている。東京都内への就業率は6割以上に達すると言われ、横浜市内で市外就業率が一番高い。

東急田園都市線の市が尾駅周辺は青葉区役所、青葉警察署(旧緑北警察署)、県税事務所、緑税務署などを擁する行政上の区の中心部である。区の中心を南北方向に鶴見川が貫流する。人口は港北区についで2番目に多い。

市町村制施行前は現在の青葉区の区域は都筑郡恩田村、奈良村(後に田奈村)、下谷本村、上谷本村、成合村、鴨志田村、寺家村、鉄村、黒須田村、大場村、市ヶ尾村(後に中里村)、荏田村、石川村(後に山内村)、大棚村、牛久保村であった。
1889年4月1日 市町村制施行により、都筑郡田奈村、中里村、山内村、中川村が誕生。
1939年4月1日 都筑郡田奈村、中里村、山内村、中川村が横浜市港北区に編入。
1969年10月1日 港北区から分立し緑区になる。(旧中川村の地域を除く)
1986年11月 緑区北部支所を市ヶ尾町に開設。分区準備期間に入る。(山内支所を閉鎖)
1994年11月6日 港北区と緑区を再編し青葉区・都筑区を新設。
大部分は旧緑区から変更されたが旧港北区から青葉区になった地区もある。現在の新石川四丁目20番地付近・国道246号線東京方面沿いの地区がそれで、再編前は旧港北区中川町及び牛久保町であった。この地区はマンション群があり100世帯ほどが居住している。
発足当時の青葉区役所は、緑区北部支所の場所を受け継いだものであったが、現在の青葉区役所は福祉保健センター(旧保健所・旧福祉事務所)や公会堂・スポーツセンターなどが併設された青葉区総合庁舎となっている。
1998年3月20日 東名高速道路横浜青葉インターチェンジ開設。
2002年10月20日 コミュニティ放送局、FM-salusが開局。

青葉台一~二丁目
区内最大商業地域
あかね台一~二丁目
あざみ野一~四丁目
あざみ野南一~四丁目
市ケ尾町
区の行政中心地域
美しが丘一~四丁目
美しが丘西一~三丁目
梅が丘
荏子田一~三丁目
荏田北一~三丁目
荏田町
荏田西一~五丁目
榎が丘
大場町
恩田町
柿の木台
桂台一~二丁目
上谷本町
鴨志田町
鉄町
黒須田
桜台
さつきが丘
寺家町
下谷本町
しらとり台
新石川一~四丁目
すすき野一~三丁目
すみよし台
たちばな台一~二丁目
田奈町
千草台
つつじが丘
奈良一~五丁目
奈良町
成合町
藤が丘一~二丁目
松風台
みすずが丘
みたけ台
緑山
もえぎ野
元石川町
もみの木台
若草台

寺家ふるさと村
東急田園都市線青葉台駅からバスで青30・寺家町循環行きに乗り「寺家ふるさと村」下車、または青31・鴨志田団地行きに乗り終点下車徒歩2分。
こどもの国
横浜高速鉄道こどもの国線で終点「こどもの国」下車徒歩3分、または小田急線鶴川駅や東急田園都市線青葉台駅から奈良北団地方面行きバスで「こどもの国」下車。
佐藤春夫旧居跡(鉄町)
『田園の憂鬱』を執筆。

都筑区

都筑区(つづきく)は、横浜市を構成する18区のうちのひとつで、港北ニュータウンを中心とする旧港北区の北西部(山田、中川、茅ヶ崎地区等)と旧緑区の北東部(川和、池辺、東方、荏田南、荏田東地区等)からなる。 農家数では市内18区中最大である。

南部の鶴見川沿いを除いて全域が丘陵地帯であり、起伏はなだらかだが高低差は大きい。東部を第三京浜道路、西部を国道246号、南部を鶴見川に囲まれる形になっており、中央部を横浜市営地下鉄が通っている。

かつてこの地一帯が「都筑郡」という地域であったことから、分区に際して名付けられた。都筑郡各町村が横浜市に編入されたときに「都筑郡」は消滅したが、「都筑」という地名は区名として復活。また、街作りが新しい「都を筑く」という区民の総意で進むことを願う意味も込められている。

現在の都筑区川和町には旧都筑郡役場が置かれ、かつての都筑郡の中心地であった。なお、当時の都筑郡の範囲は現在の都筑区より大きく、現在の緑区・青葉区・旭区の全域、保土ケ谷区の西谷町・上星川町・川島町・東川島町・上菅田町・新井町・今井町、港北区の高田西一丁目~五丁目・高田東一丁目~四丁目・新吉田東一丁目~五丁目と八丁目・新吉田町・新羽町、および新吉田東六~七丁目と綱島東四丁目の各一部、並びに川崎市麻生区の旧柿生村・旧岡上村の部分が含まれた。

南部の鶴見川沿いは古くからの工業地帯となっており、特に池辺町は大規模工場だけでなく中小企業の工場が立ち並んでいる。また港北ニュータウンの開発と共に、企業の本社や研究所も多く所在するようになった。

古くは池辺町、牛久保町、大熊町、大棚町、折本町、勝田町、川向町、茅ヶ崎町、中川町、東方町、(東・南・北)山田町など、雑木林や谷戸に囲まれた横浜の農村地帯で農業が生活の基盤であった。
戦後、港北ニュータウンの中に農業を引き続き営むための「農業専用地区」が整備され、現在も東方農業専用地区などを中心に「横浜ブランド農産物」として、ホウレンソウやコマツナなど軟弱野菜の生産が意欲的に取り組まれている。ちなみに小松菜の生産量は日本一である。
戦前の川和町では菊が江戸時代から栽培され、「川和の菊」として有名であり、皇族や著名人などに親しまれた。
桜並木
大棚町
勝田町
茅ケ崎町
茅ケ崎中央
茅ケ崎東一~五丁目
茅ケ崎南一~五丁目
中川一~八丁目
牛久保町
牛久保一~三丁目
すみれが丘
北山田一~七丁目
南山田町
南山田一~三丁目
東山田町
東山田一~四丁目
新栄町
勝田南一~二丁目
牛久保東一~三丁目
牛久保西一~四丁目
川向町
東方町
折本町
大熊町
池辺町
佐江戸町
川和町
荏田東町
荏田東一~四丁目
荏田南町
荏田南一~五丁目
大丸
見花山
平台
葛が谷
富士見が丘
仲町台一~五丁目
加賀原一~二丁目
二の丸
川和台
長坂
高山
早渕一~三丁目
中川中央一~二丁目
大棚西
あゆみが丘

面積 27.88km2
総人口 185,563人
(2007年7月1日)
隣接自治体・行政区 横浜市港北区、緑区、青葉区
川崎市高津区、宮前区
区の木 (里山の木)ヤマモミジ、ヤマザクラ、コナラ、シデ
(人里の木)サルスベリ、モクセイ、ウメ

武蔵小杉

武蔵小杉(むさしこすぎ)は神奈川県川崎市中原区の武蔵小杉駅を中心とした地域の通称である。

正式な町名としては小杉町を中心としてその周辺の小杉陣屋町および小杉御殿町などを含める。東急東横線では、ちょうど渋谷と横浜の中央に位置する。

中原区の行政及び商業の中心地区である。

JRと東急が十字に交差しており、十字に4分割されるエリアごとで違った趣をもっていることが特徴的。

北西エリアから南西エリアにかけては、二ヶ領用水が流れているため、古くからの住宅地である。特に南西エリアは法政通り商店街などを抱え庶民的な雰囲気をもっており、かつ、飲食店も充実しており、現在のところは武蔵小杉で商業が最も盛ん。ただし、このエリアは風俗店やパチンコ店舗なども混在しており、工場地帯に隣接する街としての一面を持っているとも言える。また、北西エリアには中原区役所が近いなどオフィス街の面を有する。

また、駅北側の東横線沿いは古くは繁華街であった新丸子駅周辺から連続する商店がある。

これに対し、駅南東側は平成に入るまで大規模な工場地帯であった。しかし、南側を中心に再開発事業が進行しており、この事業に合わせて他北の2エリアもそれぞれで施設の移転や取り壊しなどが計画もしくは実行されており、今後街の様相は大きく様変わりしていくと考えられている。再開発については後述。

再開発やJR横須賀線の駅新設計画によって地価が近年大きく値上がりしており、首都圏でも注目度の高いエリアとなっている。

愛称的呼称として地元住民を中心に「コスギ」と呼ばれる。一方、川崎市が再開発にあたり「ムサコ」という名称を推奨したが、反発が大きく根付いていない[要出典]。なお「ムサコ」は武蔵小金井の愛称としても使われている。

北側地区
南武線北側の武蔵小杉タワープレイス等があるエリア。再開発の事業主体は新日石不動産、三井不動産レジデンシャル他。

* ホテル・ザ・エルシィ跡地 - 2007年9月末で営業を終了したホテル・ザ・エルシィの跡地には隣接する2棟のビルと合わせて大型商業施設の建設が検討されている。
* 新日本石油社宅跡地 - 新日本石油社宅が2009年3月末で廃止、新日石不動産、三井不動産レジデンシャルが共同で何らかの施設を建設する。
* ペデストリアンデッキ - JR武蔵小杉駅北口に設置。
* 街区公園
* 日本医大武蔵小杉病院 - 建替えが検討されている。
* 大西学園 - 建替えが検討されている。

JR横須賀線(湘南新宿ライン含む、いわゆる品鶴線)に武蔵小杉駅が2009年度末に開設され、同時に南武線との乗換連絡通路も新設される予定。また、東横線(目黒線)は東京地下鉄副都心線や西武池袋線(西武有楽町線)、東京地下鉄有楽町線、東武東上線、相鉄本線(相鉄いずみ野線)との直通運転が予定されている上、川崎縦貫高速鉄道(川崎市営地下鉄)の乗り入れ計画もあり、鉄道交通網が急速に整備される予定である。

道路整備も並行して行われる予定である。現在の道路事情は決していいわけではないので、地元住民や利用者からの期待が寄せられている。

日吉

日吉(ひよし)は、神奈川県横浜市港北区の地名。住居表示上の「日吉」以外に、日吉本町・箕輪町・下田町も一般に「日吉」と呼ばれる。また、旧日吉村が矢上川をはさんだ現在の川崎市側にも広がっていたことから、川崎市ではその地域も日吉地区と呼んでいる。

最寄駅は、東急東横線の日吉駅。戦前から戦後にかけて、東急が住宅街として開発し、1933年(昭和8年)に慶應義塾の進出が決定した。

22年)市町村制施行に伴う町村合併で、神奈川県橘樹郡のうち、駒林村・駒ケ橋村・箕輪村・矢上村・南加瀬村・小倉村・鹿島田村が合併して、日吉村が成立。大字矢上字下町の矢上橋西詰に村役場を設置し、村内に七大字を置いた。母体各村は箕輪村を除き、江戸時代の東海道川崎宿の助郷村の関係であった。

1925年(大正14年)橘樹郡住吉村の大字北加瀬を編入。その後、1928年(昭和3年)川崎市より、次いで同年横浜市よりそれぞれ合併の勧誘を受けるが、日吉村では全村合併を前提に話を進めていたため、なかなか進展しなかった。

日吉村は矢上川を挟んで大きく東部と西部に分かれており、東部四大字(北加瀬・南加瀬・小倉・鹿島田)は二ヶ領用水を通じた稲作を主体としていたため、川崎市域との結び付きが強かったのに対し、西部四大字(駒林・駒ケ橋・箕輪・矢上)は桃などの果物生産出荷を通じて横浜市域との結び付きが強く、1926年(大正15年)の東急東横線開通後はその傾向が一層強くなっていた。

1933年(昭和8年)に東京横浜電鉄(現在の東京急行電鉄)が慶應義塾予科を誘致した際、横浜市より水道を引いたことで、合併問題は深刻化する。八大字で住民投票が行われるが、西部四大字と東部の南加瀬が横浜市合併という結果となったため、話はこじれた。一時は村議会一致で全村横浜市合併を決議したが、反対派による実力行使騒動があり事態は紛糾。村議会はこの決議を白紙撤回した。

結局神奈川県知事の裁定により、1937年分村合併が実施される。矢上川以西は横浜市神奈川区に編入され、日吉町・日吉本町・下田町・箕輪町の四町が置かれた。矢上川以東は川崎市に編入され、川崎市は五大字(矢上・北加瀬・南加瀬・小倉・鹿島田)を継承した。警察は神奈川警察署(横浜市側)と川崎警察署(川崎市側)の所管に分けられた(1954年(昭和29年)から神奈川県警になり、警察署はその後いずれも分署)が、郵便は中原郵便局のままであった。1960年(昭和35年)横浜市側は港北郵便局(郵便番号が導入された1968年(昭和43年)から〒222、のち綱島郵便局完成で〒223)に移管されたが、電話はその前に電電公社に分社されたためそのままにされた。このため、横浜市側の電話も川崎電話に編入され「044」となり、1990年(平成2年)9月30日までこの状態が続いた。(準市外局扱い。同じ横浜市内へも「045」をダイヤルする必要があり、また川崎市域へダイヤルする際も「044」をダイヤルしないと通じなかった。)

分割合併後の日吉は主として横浜市側のことを指すが、これは地名(日吉町・日吉本町)や日吉駅が横浜市にあるためである。川崎市側には日吉小学校・日吉中学校があり、幸区内の行政単位として「日吉地区」も存在している。

昭和30年代までは近郊農業地域であったが、昭和40年代以降は急速に都市化が進展した。東横線日吉駅を中心に住宅地化した横浜市側に対し、地域の中央に貨物の新鶴見操車場を持つ川崎市側は整備が遅れていたが、横須賀線新川崎駅の開業で一転して立地条件が良くなり、整備が進んだ。ただし、操車場跡地の大部分は未だに更地となっており、現状は地域が二分(北加瀬・南加瀬・小倉と鹿島田・東小倉)されたままである。

日吉村を合併した際、矢上・駒林・駒ケ橋・箕輪・南加瀬の五大字を廃して、日吉町(大字矢上及び南加瀬)・日吉本町(大字駒林)・下田町(大字駒ケ橋)・箕輪町(大字箕輪)の四町を置いたが、1977年から1989年にかけて全て住居表示が実施され、四町の代わりに日吉一~七丁目・日吉本町一~六丁目・下田町一~六丁目・箕輪町一~三丁目の計二十二町が設置された。

* 日吉一丁目 日吉町字谷戸(俗に「常盤台」)の全域及び字耕地の一部
* 日吉二丁目 日吉町字上ノ町(俗に「台」)・耕地・仲谷・一本松・根搦の各一部
* 日吉三丁目 日吉町字仲ノ町の全域及び上ノ町・仲ノ谷・大門・下ノ町・三軒家の各一部
* 日吉四丁目 日吉町字中ノ原・上ノ原の全域及び仲ノ谷・一本松・大門・下ノ町・宮前・宮ノ台・欠山の各一部
* 日吉五丁目 日吉町字三軒家・宮前・宮ノ台・欠山耕地(俗に「宮前西町」)・欠山・越路(南加瀬)の各一部
* 日吉六丁目 日吉町字袋河岸(俗に「袋」)・窪新田・榎戸・新田(南加瀬)・新川向(元鶴見区駒岡町)の各一部
* 日吉七丁目 日吉町字袋河岸・窪新田・欠山耕地・欠山の各一部
* 日吉本町一丁目 日吉本町字北原・東原・清水の全域
* 日吉本町二丁目 日吉本町字中原・堂中の全域及び字東根・中村前・鯛ケ崎の各一部
* 日吉本町三丁目 日吉本町字殿袋の全域及び字内田・中橋・前耕地・鯛ケ崎の各一部
* 日吉本町四丁目 日吉本町字船橋・沖野・居家操の全域及び内田・中橋・前耕地の各一部
* 日吉本町五丁目 日吉本町字池ノ下・檜入の全域及び字鯛ケ崎・大谷戸の各一部
* 日吉本町六丁目 日吉本町字西根・西原の全域及び字中村前・東根・大谷戸の各一部
* 下田町一丁目 下田町字大下・中町・一本松の各一部
* 下田町二丁目 下田町字大下・北原・中町の各一部
* 下田町三丁目 下田町字中駒の全域及び字北原・杉並・西ノ前の各一部
* 下田町四丁目 下田町字一本松・杉並・西ノ前・南原の各一部
* 下田町五丁目 下田町字南原・カサの各一部
* 下田町六丁目 下田町字屋ケ増(八ケ舛とも。俗に「下田上町」)の全域及び字カサの一部
* 箕輪町一丁目 箕輪町字諏訪下((梅ケ枝)谷戸・上形・向方)の一部
* 箕輪町二丁目 箕輪町字樋下の全域及び舟下の一部
* 箕輪町三丁目 箕輪町字諏訪下(根方・(夕日山)洞谷)・舟下(竹ノ花)の各一部

大倉山

大倉山駅(おおくらやまえき)は、神奈川県横浜市港北区にある東京急行電鉄東横線の駅である。


スーパーマーケット

* マルエツ
* 東急生鮮プラザ(東横線高架下)

公園

* 大倉山公園(梅林)

公共施設

* 港北区役所(大豆戸交差点付近)
* 港北消防署(大豆戸交差点付近)
* 港北公会堂(大豆戸交差点付近)
* 大倉山郵便局

銀行

* 横浜銀行
* 三菱東京UFJ銀行
* 川崎信用金庫(綱島街道・大倉山交差点付近)
* ★横浜信用金庫

コンビニ

* セブン-イレブン(大倉山交差点付近)
* ファミリーマート

ファミリーレストラン

* バーミヤン
* ロイヤルホスト
* ガスト

レストラン

* ビストロファミーユ
* ふなば亭
* カヴァヌーラ
* Luz

ファーストフード

* 松屋
* ケンタッキーフライドチキン
* ミスタードーナツ
* モスバーガー
* マクドナルド

コーヒー・喫茶店

* スターバックスコーヒー
* ドトールコーヒー

ラーメン・中華料理

* 吉兆
* 七志
* 摩天楼

和食・寿司

* すし三崎丸
* 樹庵

ケーキ屋さん

* すぅぃーとTAMURA
* クール・オン・フルール
* マ・ファボリット
* ピオン

弁当・惣菜

* オリジン弁当
* さぼてん

「大倉山」の由来は、近隣の丘の上にある、実業家である大倉邦彦が作った「大倉精神文化研究所」(現・大倉山記念館)より採ったもの。2007年現在は通称であって、正式な町名ではない。

駅所在地の地名は太尾町(ふとおちょう)であり、駅開業時も「太尾」駅と称していた。改称の理由は当時東京横浜電鉄が経営していた梅園(現在の市営大倉山公園)の観光開発と大倉山精神文化研究所の建設に伴うものである。なお、太尾町は住居表示が実施される予定であり、これまでの「太尾町」は7つに分割され、新設町名「大倉山一丁目」~「大倉山七丁目」が割り当てられることが決まっている。

妙蓮寺

妙蓮寺駅(みょうれんじえき)は、神奈川県横浜市港北区菊名一丁目にある東京急行電鉄東横線の駅である。

* 対向式ホーム2面2線の地上駅である。改札口はそれぞれのホームの白楽駅方に2つあるが、地下通路でも結ばれているので反対の改札口から入ってもそれぞれのホームに行き来できる。以前は、改札口が上りホームにしかなく、下りホームへ行くのには地下通路を通らなければならなかったが、下りホームに改札口が新設された為、地下通路はあまり使われなくなっている。
* トイレは上り(2番線)ホームにある。男女各トイレに多機能トイレを併設している。
* 上りホームの渋谷方は東横線の撮影地として人気がある。

* 妙蓮寺
* 妙蓮寺駅前商店街(妙蓮寺ニコニコ会)
* 横浜銀行
* りそな銀行
* 横浜妙蓮寺郵便局
* 新横浜ソーワクリニック 横浜総合健診センター(元 新横浜病院)
* 菊名池公園
* 菊名池公園プール
* 横浜市立港北小学校
* 武相中学校・高等学校

駅前の道路(旧綱島街道)は一方通行の狭い道なので、バスターミナルや駅前広場は無く、バスは駅前まで来ない。但し、1972年までは東急バスの日吉駅(晩年は綱島駅)行きのバスが妙蓮寺駅前に乗り入れていたことがある。また、NPO法人によるコミュニティバスの計画がある。

最寄のバス停は、横浜市営バスは水道道沿いに、臨港バスは(旧綱島街道)沿いにある。

駅のすぐ脇に踏切がある。

周辺は閑静な住宅街。

妙蓮寺が東横線敷設時に敷地提供をする代わりに妙蓮寺前駅を作らせた。

妙蓮寺駅の駅名標や路線図に書かれている「蓮」は2点しんにょうのだが、5050系やY500系の車内モニターでは「蓮」は1点しんにょうで表示される。標準搭載のフォントが1点しんにょうであるのをそのまま使っていると推測される。

東急で「蓮」を使用しているもう1つの駅である東急池上線蓮沼駅では、駅名標の「蓮」は1点しんにょうのものもあるなど、同じ会社なのになぜか統一されていない。


白楽

白楽駅(はくらくえき)は、神奈川県横浜市神奈川区白楽にある東京急行電鉄東横線の駅である。

相対式ホーム2面2線の地上駅で、ホームは湾曲している。橋上駅舎を有しており、両ホームは1階にあり、2階改札口へと上がる階段1つずつとエレベーター1基ずつが設置されている。なお渋谷駅方面のホームは六角橋方面へ出られる改札口(画像参照)が設置されているが、これは近年設置されたものである。

トイレは下りホーム(1番線)にある(多機能トイレ併設)。

横浜市営バス

* 六角橋(徒歩5分。横浜上麻生道路上)
* 東側乗り場
o 36,38,39,82系統 東神奈川駅西口行・横浜駅西口行
* 西側乗り場
o 神奈川大学入口、神大寺方面
+ 36系統 菅田町行・緑車庫行
+ 82系統 八反橋行・神大寺入口行
o 六角橋北町方面
+ 38系統 鶴見駅西口行
+ 39系統 緑車庫行・中山駅行
+ 深夜バス 十日市場駅前(小机駅前・東本郷町・中山駅前経由)
* 白楽
o 31系統 大口駅前行
o 31系統 横浜駅西口行

駅周辺は神奈川宿の伯楽(ばくろう。馬喰、博労とも書く。馬を治療したり仲買したりする人)が多く住んでいたため、伯楽が転じて白楽(はくらく)となったもの。馬喰に因む地名は全国各地に存在する。白楽天とは無関係。

東白楽

相対式ホーム2面2線の高架駅で、神奈川県道横浜上麻生線を斜めに跨いでいる。

両ホームにエレベーターが設置されており、高架下には、駐輪場とトイレが設けられている。

六角橋商店街の南端に位置する。横浜上麻生道路を南に進むとJR東神奈川駅へ、北へ進むと六角橋に出る。

* 孝道教団
* 横浜市立二谷小学校
* 神奈川県立神奈川総合高等学校
* 神奈川県立神奈川工業高等学校
* 横浜西神奈川郵便局
* 神奈川簡易裁判所
* 神奈川区検察庁
* 神奈川公会堂
* 神奈川大学横浜キャンパス(徒歩14分)(市営バス36・82系統で5分)
* 横浜逓信病院
* JR京浜東北線・横浜線東神奈川駅(徒歩12分)
* 京急本線仲木戸駅(徒歩15分)

横浜市営バス 東白楽

* 1(横浜上麻生道路東神奈川方面)
o 36, 39, 82, 38 東神奈川駅西口・横浜駅西口(東神奈川駅西口経由)
* 2(横浜上麻生道路六角橋方面・改札を出て県道横浜上麻生線を渡る)
o 38 鶴見駅西口(港北小学校前経由)
o 39 緑車庫前・中山駅前(小机駅前経由)
o 深夜 十日市場駅前(小机駅前・中山駅前経由)
o 36 菅田町・西菅田団地・緑車庫前(神大寺経由)
o 82 八反橋・神大寺入口(神大寺経由)
* 3(駅東側)
o 31 大口駅前
o 31 横浜駅西口(東神奈川駅西口経由)

* 1926年(大正15年)2月14日 開業。
* 2004年(平成16年)1月31日 東白楽付近で東横線の反町駅、横浜駅地下化に伴い、深夜に地下線の切り替え作業が行われた。作業はわずか3時間強で終了した。

反町

反町駅(たんまちえき)は、神奈川県横浜市神奈川区反町にある東京急行電鉄東横線の駅である。

島式ホーム1面2線の地下駅である。元々は相対式ホーム2面2線の地上駅だったが、2004年(平成16年)1月31日に地下化され、プラットホームは地下4階となった。

駅舎は地下駅に移行後も地上駅時代のものを使用していたが、2006年(平成18年)3月28日から新駅舎の使用が開始された。旧駅舎は同年4月中に解体され、跡地は緑地化される予定である。

改札口からホームまでは、階段で156段ある。このほか、改札口からホームまではエスカレータ・エレベーターでも連絡している。

地上駅時代にはトイレは構内に設置されていなかったが、2004年12月頃に1階改札内に新設された。ユニバーサルデザインの一環として多機能トイレも設置されている。

* 国道1号(横浜新道)
* 京急本線神奈川駅(徒歩5分)
* JR京浜東北線・横浜線東神奈川駅(徒歩10分)
* 京急本線仲木戸駅(徒歩10分)
* 横浜市営地下鉄ブルーライン(3号線)三ツ沢下町駅(徒歩10分)
* 神奈川区役所
* 横浜反町郵便局
* 反町公園
* 本覚寺
* 横浜信用金庫反町支店
* 横浜銀行反町支店
* 三菱東京UFJ銀行(ATMのみ)
* 横浜市立青木小学校
* 横浜市立栗田谷中学校
* 大原簿記情報ビジネス専門学校横浜校(2007年4月に名称変更、旧・大原簿記専門学校横浜校)(徒歩約5分)
* 大原医療秘書福祉専門学校横浜校(2007年4月に変更、旧・大原情報ビジネス専門学校横浜校)(徒歩約4分)
* 大原法律公務員専門学校横浜校(徒歩約5分)

国道1号上にある東横反町駅前(横浜市営バス)バス停が最寄りである。

* 50系統 神大寺入口・横浜駅西口行(栗田谷経由) ※大半は神大寺入口止まりである。
* 深夜バス(362系統) 保土ヶ谷車庫行 (三ツ沢総合グランド入口径由)
* 35系統 横浜駅西口行(青木橋経由)

駅付近を01系統、201系統(岡沢町・和田町経由)が走っているが東横反町駅前は通らず、国道1号を西に300mほど歩いた松本停留所から利用することになる。なお反町停留所は駅から離れた場所にあり最寄停留所にはならない。

* 1926年(大正15年)2月14日 - 開業。
* 2004年(平成16年)1月31日 - みなとみらい線との相互直通運転開始のため、地下化される。
* 2006年(平成18年)3月28日 - 新駅舎の使用が開始され、改札口や自動券売機などの位置が一部変更される。

開業時、横浜市青木町字反町に所在していたことによる。

「反町」の由来には諸説あり、「段町」から転訛した説もあれば一反二反の「反」から来る説や、元来この地が数年毎に休耕していたため休耕地のことを「ソリ」と呼ぶことから「ソリマチ = 反町」となった説がある。

新丸子

新丸子駅(しんまるこえき)は、神奈川県川崎市中原区新丸子町にある東京急行電鉄の駅である。

のりば
1 ■東横線 武蔵小杉・日吉・菊名・横浜・
みなとみらい線 元町・中華街方面
2 ■目黒線 武蔵小杉行
3 ■目黒線 田園調布・大岡山・目黒・○南北線 赤羽岩淵・
埼玉高速鉄道線 浦和美園・○都営三田線 西高島平方面
4 ■東横線 自由が丘・中目黒・渋谷・○日比谷線 北千住方面

駅の1日平均乗降客数は2006年度のデータによると、東横線が20,949人、目黒線が4,949人である。接続するバスが少なく徒歩圏内に急行列車等が停車する武蔵小杉駅がある(駅から武蔵小杉駅が見える)ことから、利用者数は周辺の東横線の駅に比べて少ない。

* 児童交通公園
* 丸子橋
* 丸子山王日枝神社
* 日本医科大学新丸子キャンパス・日本医科大学武蔵小杉病院
* 大西学園小学校・大西学園中学校・大西学園高等学校
* 等々力陸上競技場
* 丸子温泉
* 新丸子郵便局

* 1926年2月14日 開業。

※新丸子はかつては色町として栄えた。その名残で、東横線沿線にしては珍しく路線沿いにラブホテルが数箇所ある。

* 2007年4月18日 フジテレビ系実写版ドラマ「まるまるちびまる子ちゃん」で主人公を演じる伊藤綺夏が1日駅長を務めた。時間限定で駅名表示板にまる子ちゃんシールが貼られた。

* 駅設置当時の所在地は橘樹郡中原村大字上丸子であったが、目蒲線(現在の東急多摩川線)「丸子駅」との混同を避けるため「新丸子」駅となったとされている。
なお、上記「丸子駅」は東横線開業後程なく「武蔵丸子駅」に改称。さらに翌年「沼部駅」に再改称している。
* 「丸子」の由来については古来荘園制度の際、この地に丸子荘があったからだという説がある。

武蔵小杉

武蔵小杉(むさしこすぎ)は神奈川県川崎市中原区の武蔵小杉駅を中心とした地域の通称である。

正式な町名としては小杉町を中心としてその周辺の小杉陣屋町および小杉御殿町などを含める。東急東横線では、ちょうど渋谷と横浜の中央に位置する。

中原区の行政及び商業の中心地区である。

江戸時代には中原街道の小杉宿として栄えた。1927年に南武線(南武鉄道)の駅が開設される際、富山県に既にあった小杉駅との区別のために所在地名の小杉に旧国名をつけて「武蔵小杉」とされたものであるが、現在では駅周辺を指す地名ともなっている。

JRと東急が十字に交差しており、十字に4分割されるエリアごとで違った趣をもっていることが特徴的。

北西エリアから南西エリアにかけては、二ヶ領用水が流れているため、古くからの住宅地である。特に南西エリアは法政通り商店街などを抱え庶民的な雰囲気をもっており、かつ、飲食店も充実しており、現在のところは武蔵小杉で商業が最も盛ん。ただし、このエリアは風俗店やパチンコ店舗なども混在しており、工場地帯に隣接する街としての一面を持っているとも言える。また、北西エリアには中原区役所が近いなどオフィス街の面を有する。

また、駅北側の東横線沿いは古くは繁華街であった新丸子駅周辺から連続する商店がある。

これに対し、駅南東側は平成に入るまで大規模な工場地帯であった。しかし、南側を中心に再開発事業が進行しており、この事業に合わせて他北の2エリアもそれぞれで施設の移転や取り壊しなどが計画もしくは実行されており、今後街の様相は大きく様変わりしていくと考えられている。再開発については後述。

再開発やJR横須賀線の駅新設計画によって地価が近年大きく値上がりしており、首都圏でも注目度の高いエリアとなっている。

愛称的呼称として地元住民を中心に「コスギ」と呼ばれる。一方、川崎市が再開発にあたり「ムサコ」という名称を推奨したが、反発が大きく根付いていない

近くに日本電気玉川事業場やキヤノン小杉事業所、隣の武蔵中原駅に富士通本店・川崎工場があり、その関連企業が南武線以北にあるビルに事業所を多く構えている。概ね国道409号・JR南武線・東急東横線に囲まれた地区が商業等施設の集積地、周囲は住宅地となっている。

市民の憩いの場としては、多摩川河川敷、等々力緑地、二ヶ領用水、中原平和公園、川崎市平和館などがある。

また、地元の法政通り商店街以外にも、周辺には元住吉の商店街、溝の口の商店街などがあり、女性にはうれしい立地となっている。

駅周辺に工場跡地等、未利用のまとまった土地があるなど、再開発に適した条件があり、民間の力を利用した大規模開発行われる。再開発の規模としては、 37haが開発され15000人が暮らす予定で、汐留の再開発よりも規模が大きい。特に、駅周辺の約800m²のエリアに国内最高層となる59階建てを含む計9棟の高層マンションの建設が同時に進む。

北側地区
南武線北側の武蔵小杉タワープレイス等があるエリア。再開発の事業主体は新日石不動産、三井不動産レジデンシャル他。

* ホテル・ザ・エルシィ跡地 - 2007年9月末で営業を終了したホテル・ザ・エルシィの跡地には隣接する2棟のビルと合わせて大型商業施設の建設が検討されている。
* 新日本石油社宅跡地 - 新日本石油社宅が2009年3月末で廃止、新日石不動産、三井不動産レジデンシャルが共同で何らかの施設を建設する。
* ペデストリアンデッキ - JR武蔵小杉駅北口に設置。
* 街区公園
* 日本医大武蔵小杉病院 - 建替えが検討されている。
* 大西学園 - 建替えが検討されている。

武蔵小杉駅南部A地区
フロムや公園等が存在したエリア。再開発の事業主体は東急不動産。

* 37Fマンション - 高さ140m。1F~5Fは商業施設となり4F~5Fには中原図書館が移設し、図書館としては市内最大級となる。2011年8月完成予定。
* 駅前広場:変電所を地下化し、上記マンションに隣接する。
* 小杉第一公園 - 上記駅前広場隣接。駐輪場(400台)が設置される。


東急東横線武蔵小杉駅に付随するエリア。再開発の事業主体は東京急行電鉄。

* 駅上部人工地盤 - 東急東横(目黒)線ホームの上部に3,000m²の人工地盤を設置する。商業施設としての運用が検討されている。

* リエトコート武蔵小杉 - 2棟のタワーマンション(共に47F(高さ161.77m(西側)/161.14m(東側)))で、ダヴィンチが賃貸で運営。2008年2月28日完成予定。
* ザ・コスギタワー - 49Fのタワーマンション(高さ160m)。2008年6月下旬完成予定。
* R-Styles武蔵小杉 - WEST、EASTの2棟の賃貸マンション(共に12F(高さ40m))。完成済。
* 武蔵小杉新駅前(B棟) - 7Fマンション(高さ19.9m)。2009年3月末日完成予定。
* 公園 - 上記施設の近くに新設される。

* 聖マリアンナ医科大学東横病院 - 現在の聖マリアンナ大学東横病院を新築建替えを行い、5F専門病院となる。用地の一部を売却したため敷地面積は狭くなる。2008年2月28日完成予定。
* セントスクエア武蔵小杉 - 聖マリアンナ医科大学東横病院が売却した敷地に建設される16Fマンション(高さ56.12m)。2008年3月末日完成予定。
* 中原警察署 - 老朽化のため新築建替えを行う。2008年6月30日完成予定。
* 地下鉄武蔵小杉駅 - 川崎縦貫高速鉄道の第1期事業の終着駅となる。現在事業免許取得に向け計画策定中、2018年度開業目標。

現在で3路線の利用が可能であるが、東急線は直通運転を多く行っており、また今後の鉄道整備でさらに利用可能路線が増える予定。首都圏でも有数のターミナル性を備えた駅であり、今後の再開発でさらにその注目度は高まるものと思われる。特に東横線は沿線の駅でも他路線との乗り換えになっている駅が多く、武蔵小杉は鉄道利用者には大変使い勝手のいい街と言える。 東京、新橋、品川、池袋、新宿、渋谷、六本木、横浜、元町・中華街駅、新横浜、川崎等へ乗り換えなしで行く事ができる。

駅については武蔵小杉駅も参照の事。

綱島

「ツナシマ」とは州の中の島、中州、湿地に浮かぶ島、津の島という意味であると言われる。これは地区が、南側の鶴見川、東側の早渕川に挟まれている地域であることからか、かつて鶴見川または早渕川にあったある中州がツナシマと呼ばれていて、それが自然にその周辺地域をさす言葉になったかである。

また、「ツナシマ」とは連なり島(つらなりしま)の意であり、かつて鶴見川が東京湾の奥深い入江となっていた時代に、現在の綱島公園、神明社、綱島諏訪神社となっている高台が、複数の島となっていた様子から名付けられたとも言われている。

江戸時代は武蔵国橘樹郡の南綱島村および北綱島村であり、天領(幕府直轄地)の農村であった。鶴見川の氾濫に絶えず悩まされ、堤防の上積みを巡り近隣各村との争いも絶えなかった。両村とも水難村のため東海道神奈川宿の定助郷にはならず、加助郷に序していた。この他保土ヶ谷宿の掃除役・普請の人足提供を行っていたが、幕末には神奈川宿の助郷村となっていた。

1889年4月1日町村制施行に伴い、南綱島村および北綱島村の二村は樽村・大曽根村・太尾村・大豆戸村・菊名村・篠原村の周辺各村と合併して大綱村が成立。旧村域に大字を置き、旧村名を大字名としたため、綱島地区には南綱島・北綱島の二大字が置かれた。

1926年2月14日に東京横浜電鉄(現在の東急東横線)が開通し、綱島温泉駅(現・綱島駅)が開業してからは駅前に同社が建設したラジウム温泉の温泉浴場が設置され、また、駅周辺は分譲地として売り出された。1927年4月1日、橘樹郡大綱村は横浜市に編入され、大字南綱島・北綱島を廃し、新たに南綱島町・北綱島町の二町が置かれた。この二町は同年10月1日に神奈川区に編入された。1929年には東京横浜電鉄による乗合バス(現在の東急バス)が綱島街道上を東神奈川駅まで運行され、次いで1931年に鶴見臨港鉄道が鶴見駅西口まで、また、個人の池田利一が千年(現在の川崎市高津区)までの路線を相次いで運行した。こうして、それまでは果樹(桃)栽培や養蚕が主産業であった綱島地区であるが、駅前を中心に温泉街が形成されるなど徐々に市街化され、1937年頃より急激に宅地化・工業化が進み、農村から都市へと変化していった。

1939年4月1日、港北区に編入。1947年3月12日、早渕川の向かいに位置する飛び地に綱島上町を設置。1949年、南綱島町、北綱島町より綱島町を新設し四町になる。いずれも耕地整理事業によるもので、新吉田町・日吉町・箕輪町の各町と境界変更を行った。1951年4月1日、綱島上町を除く三町を校区とした横浜市立綱島小学校が開校(大綱小学校より分離独立)。1962年3月1日、鶴見区駒岡町字新川向の一部を南綱島町字新田耕地に編入。周囲と共に東急不動産の手により「南綱島住宅」として売り出された。1971年、綱島郵便局が集配局として開局(港北郵便局より分離。港北区の鶴見川以北を管轄)。同年9月1日、横浜市立綱島東小学校が開校(綱島小学校より分離独立)。1973年6月11日、住居表示が実施され、綱島町・南綱島町・北綱島町を廃し、新たに綱島東一~六丁目、綱島西一~六丁目、綱島台の各町が設置される。これはこれまでの三町の境界が複雑に入り組んでおり、また飛び地も多く混在し合っていた事から東急東横線を境に東西に分け、また、台地は綱島台として別個に新設したもの。この時、樽町の鶴見川北岸にあった飛び地も編入している。

* 綱島東一丁目 南綱島町字別所耕地・表前耕地の一部及び北綱島町、樽町字堤外の飛地
* 綱島東二丁目 南綱島町字表前耕地・広町耕地・下前耕地の各一部及び北綱島町飛地
* 綱島東三丁目 綱島町の一部、南綱島町字表前耕地・下前耕地の各一部
* 綱島東四丁目 綱島町の一部及び北綱島町飛地
* 綱島東五丁目 綱島町の一部、南綱島町字下前耕地の一部及び新田耕地、北綱島町飛地
* 綱島東六丁目 綱島町の一部、南綱島町字下前耕地の一部及び北綱島町、樽町字堤外の飛地
* 綱島西一丁目 南綱島町字別所耕地の一部及び北綱島町飛地
* 綱島西二丁目 綱島町の一部、南綱島町字別所耕地の一部及び北綱島町飛地
* 綱島西三丁目 綱島町の一部、南綱島町字別所耕地の一部及び北綱島町飛地
* 綱島西四丁目 綱島町の一部、北綱島町字北前耕地の一部、新吉田町字具々田の飛地
* 綱島西五丁目 綱島町の一部、北綱島町字北前耕地の一部
* 綱島西六丁目 綱島町の一部、北綱島町字北前耕地の一部及び南綱島町飛地
* 綱島台 南綱島町字別所耕地、北綱島町字北前耕地・広町耕地の各一部(相互の飛地を含む)

1978年4月1日、横浜市立北綱島小学校が開校(綱島小学校・日吉南小学校の校区より設置)。

かつては社用族の御用達として、また身近な観光地として栄えた綱島温泉郷も交通機関の発達等により次第に寂れ、また、住宅の需要が高まっていたこともあり1990年代までにはその殆どがマンション・商業ビル・駐車場に転換した。

* 作家・綱島理友のペンネームの由来である(同氏が綱島在住だった事による)。
* タマちゃん騒動の際、大綱橋畔までタマちゃんが来ていた。
* 林家三平が新婚旅行に訪れた。この他、往年の演歌歌手・三橋美智也が下積み時代、綱島温泉(現・東京園)でボイラーマンをしていた事がある。

菊名

菊名とは、横浜市港北区にある地名である。港北区の南東部に位置する。

昔は、葛名という名前であったが、菊が咲き誇る地であったことから、名菊と改名した。しかし、「嘆く」に語感が似ているため、菊名となった。(新編武蔵風土記稿による)

江戸時代までは武蔵国橘樹郡菊名村と称していた。1871年、廃藩置県に伴い神奈川県の所属となり、1873年10月には第三区六番組に編入された。1874年6月大区小区制が施行され神奈川県第三大区第五小区となるが、1878年郡区町村編制法が施行され神奈川県橘樹郡菊名村となり、1889年4月1日町村制の施行(いわゆる「「明治の大合併」)で神奈川県橘樹郡大綱村大字菊名となる。
1926年2月14日、東京横浜電鉄(現在の東急東横線)が開業し、菊名駅が設置される。同年9月1日には既に開通し村内を通過していた省線(現在のJR)横浜線も東横線との交差箇所に菊名駅を設置し、乗換駅となり以降交通の要所となる。また東横線開業に合わせ、駅周囲が東京横浜電鉄の手により開発分譲された。
1927年4月1日大綱村は横浜市に編入され、大字菊名を廃して菊名町を設置。10月1日神奈川区に編入されるが、1939年4月1日港北区に編入される。1942年1月、港北区役所が篠原町2148番地より菊名町780番地に移転し、区の中心部となる。
1951年、港北消防署開所。1960年、港北郵便局開局。1978年に区役所は大豆戸町に移転したため、庁舎跡を改装して1980年に港北図書館を開館。
1980年7月28日、住居表示に伴い、菊名町が廃され新たに菊名一~七丁目の七町が設置される。

* 菊名一丁目 菊名町字籠久保の東横線以西
* 菊名二丁目 菊名町字籠久保の東横線以東の南部
* 菊名三丁目 菊名町字籠久保の東横線以東の北部および字宮谷の横浜線以南
* 菊名四丁目 菊名町字宮谷の横浜線以北綱島街道以南
* 菊名五丁目 菊名町字宮谷の綱島街道以北
* 菊名六丁目 菊名町字和田前・宮狩・屋際の東横線以東
* 菊名七丁目 菊名町字和田前・宮狩・屋際の東横線以西および大豆戸町字下土腐の一部

港北区内における子育て支援の拠点施設ができたことから、その筋では有名になった。

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