八重洲は、東京駅の東側に位置し、東京駅を挟んで反対側(西側)に位置するのが丸の内である。八重洲には、本社を置いたり八重洲の名を冠した企業が多く存在する。
北側の永楽町と江戸城の外壕の内側を地理的概念として存在した。
明治の頃まで京橋方面から丸の内に入るには1884年(明治17年)に呉服橋と鍛冶橋の間に丸の内の「八重洲」に通じる八重洲橋が架けられた。
その後東京駅拡張工事とともに濠は埋めたてられ、八重洲橋も姿を消した。八重洲口の設置によって八重洲口前を「八重洲」とする地理的な感覚が生まれることになった。
これによって名実共に東京駅の西は丸の内、東が八重洲になった。
太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)6月に米軍の空襲を受けて東京駅八重洲口が焼失した。
終戦直後の1949年(昭和24年)に失火により八重洲口が焼失した。焼失によって八重洲口の再開発が促され、1954年(昭和29年)に八重洲口に鉄道会館ビルが建設され八重洲のランドマークと大丸東京店が開業した。
八重洲口は、隣接する丸の内に比べ老朽化したビルが目立ち、再開発は進んでかったが、現在「東京ステーションルネッサンス」の一環として再開発事業が進められている。
2007年11月には鉄道会館ビルの南北に超高層ツインタワービルグラントウキョウ(住所は「丸の内」)が大丸の移転とともに竣工した。鉄道会館ビルは解体され、2013年春ごろには、跡地にペデストリアンデッキ「グランルーフ」と駅前広場が整備される予定である。鉄道会館ビルの解体により、東京湾側から丸の内側への海風の通り抜けが改善され、ヒートアイランド現象が緩和することが期待されている。同町周辺の管轄にあたる。
一部ウィキペディアより出典



