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2007年08月 アーカイブ

2007年08月03日

三井不動産

三井不動産株式会社(みついふどうさん)は、東京都中央区日本橋室町二丁目の「三井本館」に本社を置く、三井グループの不動産会社、デベロッパーである。

日本の不動産業界では最大手で、三井グループの中核企業である。

霞が関ビルディング・ゲートシティ大崎などのオフィスビル、ショッピングセンター「ららぽーと」、「ガーデンウォ〜ク幕張」などのアウトレットモール、ホテル、住宅、そして関連会社オリエンタルランドが運営する東京ディズニーリゾートなど幅広く事業展開を行っている。近年は本拠地である日本橋周辺の再開発を進め、2004年には東急百貨店日本橋店(旧白木屋)跡地に「コレド日本橋」をオープンさせた。さらに2007年春には六本木の防衛庁跡地に総合複合再開発として東京ミッドタウンを開業。同施設にはリッツ・カールトン東京(ホテル)やサントリー美術館・国内外の有名飲食店等が入居、都心にシティリゾートが出現した。

三井不動産レジデンシャル - 住宅分譲事業を行う。
三井不動産販売 - 住宅流通事業と駐車場の運営管理事業を行う。
三井ホーム - 2x4の住宅の建築・販売。
三井不動産住宅リース - 賃貸住宅の管理運営などを行う。
三井不動産住宅サービス - マンションの管理会社。
三井不動産ビルマネジメント - ビル等の運営管理を行う。
三井不動産ホテルマネジメント - 「三井ガーデンホテル」のブランドでホテル運営を行う。
ファースト・ファシリティーズ - 首都圏に本拠を置くビルメンテナンス会社。
ファースト・ファシリティーズ・ウエスト - 関西・中京圏に本拠を置くビルメンテナンス会社。
ららぽーと - 「ららぽーと」ブランドの商業施設やアウトレットの運営管理を行う。
ユニリビング - ホームセンター「ユニディ」を運営。
第一園芸 - 花の小売、緑化事業を行う。
キャニー - 外食事業を行う。
三井の森 - ゴルフ場の運営を行う。
オリエンタルランド - テーマパークの運営を行う。

三菱地所

三菱地所株式会社(みつびしじしょ)は、日本の大手不動産会社であり、総合デベロッパーとしては三井不動産に次ぐ業界2位。2006年首都圏マンション供給戸数ランキング7位。1883戸。

三菱グループの中核企業の一つである。東京・丸の内に30棟以上のビルを所有しており、「丸の内の大家さん」と称されることもある。 丸の内の再開発を積極的に進めており、1998年から2018年までの20年間で総額9,500億円を投資して、ビルの建て替えなどの都市再生事業を進める計画。既にその第一段階として、丸の内ビルディング(丸ビル)や丸の内オアゾ、東京ビルディング、新丸の内ビルディングなどがオープンしている。 第二段階として、2009年竣工予定の丸の内パークビルディング(古河ビル・丸ノ内八重洲ビル・三菱商事ビルの一体建替計画)、東銀ビルの建替計画などが進行中である。

「パークハウス」のブランドで知られるマンション分譲を主体とする住宅事業では、都心の高級マンションの他、仙台市の泉パークタウンに代表される郊外での大規模複合開発に多くの実績を持つ。

近年では商業施設の開発・運営にも注力しており、御殿場プレミアム・アウトレット等のアウトレットモール(運営会社のチェルシージャパンに双日と折半出資)の他、丸の内エリアの商業化等も積極的に進めている。その他、スポーツクラブのリーヴ・スポーツ、高級ホテルチェーンのロイヤルパークホテルの運営も手掛けている。

また、「大阪最後の一等地」と称される大阪駅北地区(通称・北ヤード)の先行開発区域を代表事業者として落札し、2011年の竣工に向けて開発に取り組む予定。

所有ビルの一つに「大名古屋ビルヂング」(愛知県名古屋市中村区所在。1965年竣工)がある。他地域の人が名古屋を「ダサい」と揶揄する時、このビルの名称(屋上にも看板が掲げられている)を引用するケースがよくあった。しかし「ビルヂング」という表記は、三菱地所が直接設計・監理に関わっているビルに多く付けられているものである(建替え前の丸ビルも正式名は「丸ノ内ビルヂング」、現在は「丸の内ビルディング」と改称)。

三菱地所設計
メック・デザイン・インターナショナル
三菱地所リアルエステートサービス(旧・三菱地所住宅販売)
三菱地所ビルマネジメント
三菱地所プロパティマネジメント
藤和不動産
三菱地所藤和コミュニティ
三菱地所ホーム
つなぐネットコミュニケーションズ
三菱地所投資顧問
ロイヤルパークホテルズアンドリゾーツ(ロイヤルパークホテルの運営)
四季リゾーツ
リーヴ・スポーツ
アクアシティ
チェルシージャパン
富士スピードウェイ(現在は株式の大半をトヨタ自動車に譲渡)
イムズ

住友不動産

住友不動産(すみともふどうさん)は、東京都新宿区に本社を置く住友グループの大手不動産会社である。三井不動産・三菱地所と共に、総合デベロッパー大手三社と呼ばれる。分譲・賃貸などリテール事業に強い。2006年首都圏マンション供給戸数ランキング5位。(2079戸)

住友不動産は、住友直系企業グループ(白水会)の中では経営、事業規模などいずれもスケールは小さいが、旧住友本社を継承しているという点で、他の住友系企業とは違った特別な存在意義を持っている。さらに、「住友家」の不動産資産をも継承しており、そのため以前は住友家当主・第十六代住友吉左衛門が住友不動産の筆頭株主であった。また住友家評議員会の事務局が、住友不動産内に置かれていることからも、旧住友本社的性格を持っている。

1949年 - 財閥解体により旧住友本社の不動産部門を譲り受け、泉不動産を設立する。第十六代住友吉左衛門が株式13.9%を保有する筆頭株主となる。
1957年 - 住友不動産株式会社に商号変更
1963年 - 清算中の株式会社住友本社を吸収合併。香港に現地法人・香港住友置業有限公司を設立
1970年 - 東京・大阪両証券取引所第2部に株式上場
1971年 - 東京・大阪両証券取引所第1部に指定替え
1972年 - ロサンゼルスに現地法人・住友不動産カリフォルニアを設立
1973年 - 住友不動産建物サービス株式会社を設立
1974年 - 東京都新宿区に超高層「新宿住友ビル」完成。本社を東京都千代田区から新宿区へ移転。
1975年 - 住友不動産販売株式会社を設立
1980年 - 住友不動産シスコン株式会社を設立
1982年 - 住友不動産ホーム株式会社を設立。東京都新宿区に超高層「新宿NSビル」完成。本社を新宿住友ビルから新宿NSビルへ移転
1987年 - ニューヨーク五番街666番地ビル(ティッシュマンビル)取得

野村不動産

野村不動産株式会社(のむらふどうさんかぶしきがいしゃ)は、野村證券系の総合不動産会社。総合不動産会社では業界5位。住宅分譲が事業の柱で、近年供給戸数は業界トップクラスにまで成長。2006年首都圏マンション供給戸数ランキング10位。(1783戸)。本社は西新宿の高層ビル群の中の新宿野村ビル。 2004年秋に持ち株会社制へ移行、純粋持株会社の野村不動産ホールディングス株式会社が2006年10月3日に東京証券取引所第一部に上場。

1957年(昭和32年) : 野村證券から分離独立、ビルの賃貸・管理を主業務として不動産事業を開始
1961年(昭和36年) : 鎌倉・梶原山住宅地の開発でディベロッパー業務を開始
1963年(昭和38年) : コープ竹の丸の建築でマンション分野に進出
1966年(昭和41年) : オーバーシーズエンタープライスと販売提携し、芝生霊園(相模メモリアルパーク)の販売を開始
1972年(昭和47年) : フィジー島の別荘地分譲を開始、海外事業に進出
1978年(昭和53年) : 新宿野村ビル完成(1975年7月着工)。本社を日本橋から移転
1989年(平成元年) : 鶴川緑山倶楽部オープン。フィットネス事業に進出
2002年(平成14年) : 会社シンボルマ-ク発表。
                 住宅の統一商品・サービスブランド名「PROUD」を発表


2004年(平成16年) : 野村不動産ホールディングス株式会社による持株会社体制へ移行

野村不動産ホールディングス … 持株会社(東証一部上場)
野村ビルマネジメント … オフィスビルの管理
野村リビングサポート … マンションの管理
野村アメニティサービス … オフィス・マンションの清掃業務等
野村不動産アーバンネット … 不動産仲介、新築住宅受託販売、保険代理
メガロス … スポーツクラブ、メガロスの運営
横浜ビジネスパーク熱供給 … 「横浜ビジネスパーク」の地域冷暖房供給


藤和不動産

藤和不動産株式会社(とうわふどうさんかぶしきがいしゃ)は、東京都中央区に本社を置く不動産会社。東京証券取引所市場第一部上場企業。支店は名古屋・大阪・広島にある。2006年首都圏マンション供給戸数ランキング第4位。(2254戸)

アインス・グランノア・リーデンススクエア・シティホームズ・ホームズ・マノワール・ライブタウン・ハイタウン・シティコープ等

日本で初めて分譲マンションの等価交換(SDシステム:スペースディベロップメント)事業を行った。
都市機構分譲住宅の建替え事業も行っている。第1号は小滝台マンション(1957年、中野区)で、1987年に実施。容積率に余裕があったため、等価交換による建替えが可能になった。

種類 株式会社
市場情報 東証1部 8834


本社所在地 東京都中央区八重洲2-3-13
設立 1957年6月1日
業種 不動産業
代表者 代表取締役会長 寺澤則忠
代表取締役社長 杉浦重厚
資本金 126億4,124万円(2006年3月31日現在)
決算期 3月
主要株主 三菱地所 33.61%
主要子会社 藤和不動産流通サービス
外部リンク http://www.towa-fudosan.co.jp/

東京建物

東京建物(とうきょうたてもの)は、安田財閥の創始者、安田善次郎が1896年に設立した日本で最も古い歴史を持つ総合不動産会社である。2006年首都圏マンション供給戸数ランキング16位(1239戸)。

設立当初より、日本で最初の住宅ローンを開始したり、1998年には国内で初のSPC法に基づく不動産証券化第1号登録を取得するなど、不動産業界の中では先駆的な役割を果たしてきた会社である。

不動産の鑑定に関しての歴史も大変古く、明治30年代以降から業務を行っており、社団法人日本不動産鑑定協会の設立に発起人として参画するなど、不動産鑑定業界においても草分け的な存在である。

2003年には分譲マンションのブランド名を、それまでの価格帯・仕様別で5つに分かれていたヴェールシリーズから「Brillia調布国領」の分譲より「Brillia(ブリリア)」の1ブランドに統一した。ブランド戦略の一環として竹中直人氏を起用したテレビCMを行っている。

高級賃貸マンションブランドとしては、「アパートメンツ」シリーズがあり、「アパートメンツ東雲」は総戸数423戸と民間の賃貸マンションとしては最大級の規模を誇る。

SPCを活用した再開発を得意としており、「オリナス(錦糸町)」や「VIORO(福岡・天神)」、「大手町プロジェクト」などのプロジェクトがあるが、京急川崎駅前の商業施設「DICE」については、法定再開発事業にSPCが単独で参加組合員となって事業参画した国内初のプロジェクトである。

種類 株式会社
市場情報 東証1部 8804


本社所在地 東京都中央区八重洲1丁目9番9号
設立 1896年10月1日
業種 不動産業
代表者 代表取締役社長 畑中誠
資本金 771億円(2006年12月31日現在)
売上高 2,343億円(2006年12月期連結)
従業員数 336人(2006年12月現在)
決算期 毎年12月
主要子会社 参照
関係する人物 安田善次郎
外部リンク www.tatemono.com

東急不動産

東急不動産(とうきゅうふどうさん)は東京急行電鉄株式会社系の総合不動産会社。総合不動産では業界4位。マンションブランドは「ブランズ」シリーズを展開。2006年首都圏マンション供給戸数ランキング14位(1290戸)。

1918年 田園都市株式会社設立
1953年 東京急行電鉄株式会社より不動産部門を分離独立、東急不動産株式会社を設立
1956年 東京証券取引所市場第二部に株式上場
1961年 東京証券取引所市場第一部に指定替え
1986年 会員制スポーツクラブ「東急スーポーツオアシス」開業
2003年 東京証券取引所に「東急リアル・エステート投資法人」を上場

東急リバブル
東急コミュニティー
東急リゾート
東急ホーム
東急ハンズ
東急スポーツオアシス

種類 株式会社
市場情報 東証1部 8815


本社所在地 東京都渋谷区道玄坂1-21-2
設立 1953年12月17日
業種 不動産業
代表者 代表取締役社長 植木正威
売上高 5,586億円(2005年度・連結)
従業員数 547人(2006年3月31日現在・単独)
決算期 3月
外部リンク http://www.tokyu-land.co.jp

大京

株式会社大京(だいきょう)は日本の不動産業者。分譲型マンションの販売最大手。事業主別マンション発売戸数29年間トップ。2006年首都圏マンション供給戸数ランキング2位。3652戸分譲。「ライオンズマンション」シリーズを全国で展開する。

なお、プロ野球球団西武ライオンズを保有する西武グループや社会奉仕団体のライオンズクラブとは無関係である。

社名である“大京”については、大いなる京(みやこ)との意味が込められており、開発で国土を切り開き街を築くという創業者の夢が込められている。

しかし、ただ単に本社所在地の近くにある地名“大京町”から取ったとする説もあり、真偽の程は定かではない。

1960年7月:株式会社大京商事設立
1964年12月:大京観光株式会社(現株式会社大京)設立
1968年2月:ライオンズマンション・シリーズ第1号「ライオンズマンション赤坂」分譲開始
1969年4月:大京管理株式会社設立
1978年12月:事業主別マンション発売戸数で初の業界第1位となる
1982年9月:東京証券取引所市場第2部に上場
1984年3月:東京証券取引所市場第1部に指定替え
1986年9月:大阪証券取引所市場第1部に上場
1987年10月:大京観光株式会社を株式会社大京に社名変更
1988年12月:株式会社大京住宅流通設立
1998年7月:分譲マンションとして日本一の高さとなる「エルザタワー55」竣工
1999年7月:ライオンズマンション・シリーズ、業界初の累計5,000棟供給
2000年10月:国が指定した第3者評価機関による「住宅性能評価書」の取得を、全てのライオンズマンションで開始
2004年6月:「建設住宅性能評価書」の取得が、業界初の累計2万戸を突破
2004年12月:事業主別年間マンション発売戸数で27年連続業界第1位となる
2007年4月:沖縄大京と大京管理が合併し、大京アステージに社名変更。同時に、大京住宅流通も大京リアルドに社名変更
2007年5月:扶桑レクセルを完全子会社化決定

種類 株式会社
市場情報 東証1部 8840
大証1部 8840


本社所在地 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-24-13
設立 1964年12月11日
業種 不動産業
代表者 代表取締役社長 田代正明
資本金 269億9,992万円(2006年3月31日現在)
売上高 約2961億円
従業員数 1,380名(2006年3月31日現在)
決算期 3月
主要株主 オリックス 42.7%
主要子会社 大京アステージ、大京リアルド、扶桑レクセル、グローベルス
関係する人物 創業者 横山修二
外部リンク http://www.daikyo.co.jp/

2007年08月13日

最適な不動産投資物件(中古マンション)を探すポイント

不動産投資物件を購入する人が増えています。
最適な不動産投資物件を探すポイントとしては、確実に収益を生み続ける価値ある物件を探すことに尽きます。不動産投資を成功させるにはまずは確実な不動産投資物件を見つけることが重要です。

不動産投資物件として購入出来る対象物件はいろいろとあります。多くの場合が賃貸収入が見込めて、将来の価値が確保されているであろう中古マンションを購入することが一般的です。ただ別に中古アパートだけに絞り込む必要はないでしょう。
最初から中古マンションだけといって限定してしまうと、視野が狭くなり、ほんとうに稼いでくれる不動産投資物件を見つけることができなくなります。

不動産投資物件で個人で投資できるものといったら、新築マンション、中古マンションなどの区分所有やアパート、マンションの一棟売り、小規模テナントビルやテナントなどが考えれれます。
ただし個人に手に届く物件だからといって、良い物件とは限りません。一般的に入手しやすいお手軽な物件ほど平均以下の収益しか得られないようです。

不動産投資物件を購入するときは、それぞれの物件の短所や長所をよく理解した上で判断することが大切です。不動産投資物件の対象は様々なものがあることをよく理解し、視野を広く持ち、自分に購入できるからといって、安易に不動産投資物件を購入しないように気をつけてほしいと思います。

不動産投資物件(中古マンション)を購入する際の目安

不動産投資物件を購入するためには、その投資が成功するかどうかを見極めなければなりません。見極める方法としてはいくつかあると思いますが、一般的にはこのように言われています。

不動産投資物件を購入する際の目安としては、
・購入すると確実に家賃収入が見込める不動産である。
・少ない自己資金でローンを組み購入しても、月々の返済は家賃収入でまかなえる。
・諸費用を支払っても、ある程度の現金が手元に残る。
という条件に当てはまる不動産投資物件を見つけ出すことが重要です。

不動産投資物件は文字通り投資です。少ない自己資金で購入し、家賃収入が継続的に入ってくることで、少なくとも10年以内には投資リスクが最小になり、更に数年先には投資資金が全て回収できることを目標にするべきです。
投資はリスクがつき物ですが、しっかりとしてポイントとビジョンを持って不動産投資物件を探すことで回避できることもあります。

不動産投資物件を投資として戦略を練り、その投資法を継続して行うことにより、不動産投資物件を増やしていきます。そしてこの不動産投資物件から得られるキャッシュフローで全ての収入をまかなうことが出来れば大成功です。
実際に不動産投資物件からの収入だけで生活している人も大勢います。

2007年08月21日

鶴見区

鶴見区は、横浜市の最東端に位置し、東京湾に面する。北は川崎市の川崎区・幸区に接し、西は横浜市の港北区・神奈川区に接する。鶴見川が区内を北に蛇行して流れ、東京湾に注ぐ。北東部は鶴見川と多摩川に挟まれた平地で、北西部は末吉台地の東端から続く丘陵地。湾岸部は埋立地が広がり、市境は京浜運河を越えて扇島で東京湾に接する。中心市街地は鶴見駅周辺で、横浜市の副都心に指定されている。区内北西部には自然が残り、獅子ケ谷市民の森、三ッ池公園などがある。

かつては、全域が武蔵国橘樹郡に属した。

主な地名

朝日 - 安善 - 市場(市場上、市場下、市場東中、市場西中、市場富士見、市場大和) - 潮田 - 江ケ崎 - 扇島 - 小野

梶山 - 上の宮 - 寛政 - 岸谷 - 駒岡

栄町通 - 汐入 - 獅子ケ谷 - 下野谷 - 尻手 - 末広 - 末吉(上末吉、下末吉) - 菅沢 - 諏訪坂

大黒 - 大黒ふ頭 - 大東 - 佃野 - 鶴見(鶴見中央) - 寺尾(北寺尾、東寺尾、東寺尾東台、東寺尾北台、東寺尾中台)- 寺谷 - 豊岡

仲通 - 生麦 は
馬場 - 浜 - 平安 - 弁天 - 本町通 ま
向井 - 元宮 や
矢向

※ 扇島は、全域が企業私有地であり、一般人の立ち入りはできない。

鶴見区を通る鉄道には、南北に貫通する東海道本線(貨物線、品鶴線(横須賀線)を含む)、京浜急行線と、臨海部の工業地帯をカバーする鶴見線がある。また、区の北縁をかすめるように南武線が通っている(区内には矢向駅があり、尻手駅が区域に接する)。

バス交通は、横浜市営バスと川崎鶴見臨港バス、東急バスが担当している。区の内陸部(馬場、獅子ヶ谷、駒岡など)は駅から遠いため、交通手段を専らバスに頼っており、バスの本数が非常に多い。

主な道路には、国道1号および国道15号、首都高速道路の神奈川1号横羽線および湾岸線がある。湾岸線では、鶴見つばさ橋と横浜ベイブリッジが有名である。


鉄道
京浜東北線
- 鶴見駅 -
鶴見線
鶴見駅 - 国道駅 - 鶴見小野駅 - 弁天橋駅 - 浅野駅 - 安善駅 -
海芝浦支線:浅野駅 - 新芝浦駅 - 海芝浦駅
南武線
- 矢向駅 -
京浜急行本線
- 生麦駅 - 花月園前駅 - 京急鶴見駅 - 鶴見市場駅 -

バス
横浜市交通局(横浜市営バス) 潮田・末吉・生麦地区を主に運行。
鶴見営業所
川崎鶴見臨港バス 東寺尾・北寺尾・獅子ヶ谷・馬場・駒岡地区を主に運行。
鶴見営業所

市場一里塚(市場西中町。旧・東海道の一里塚。起点である日本橋から5里(約20km)。)
入江川せせらぎ緑道、東寺尾ふれあいの樹林、こどもログハウス「ピッコロ」(東寺尾)
入船公園(弁天町)
海芝公園(末広町)
花月園競輪場(鶴見)
上台遺跡・上台北遺跡(下末吉)
環境エネルギー館(末広町)
キリン横浜ビアビレッジ(生麦。麒麟麦酒横浜工場内にあり、製造過程を見学できる。本格的なレストランとパブを併設し、できたてのビールを飲むことができる。)
建功寺(馬場)
潮風大通り:潮鶴橋から産業道路をつなぐ大通り。旧名は「三十六米道路」。周辺は沖縄関係、ブラジル関係、在日コリアン関係の店舗が多い。近年、エスニックな感覚が若者を中心に隠れた穴場的人気を集めている。特に沖縄県出身者が多く在住し、リトルオキナワが形成されている。特に、潮風大通りからゴム通りにかけての向井町3丁目から4丁目にかけてのエリアは、沖縄風の料理店や雑貨店が多い。

神奈川区

横浜市の北東に位置する神奈川区は、東西方向に長く(約8.0km)、東は横浜港、西は緑区鴨居町に接している。区役所は区の東側にあり、最寄り駅はJR東神奈川駅、京急仲木戸駅と神奈川駅、東急反町駅である。区内の町の総数は99、面積は23.59km2。

最大面積 羽沢町(3.1km2)
最小面積 大野町(0.024km2)
最高地点 羽沢町(77.30m)
最低地点 子安通(0.40m)
最北端 松見町4丁目
最南端 瑞穂町(瑞穂埠頭)
最東端 宝町
最西端 菅田町

湖沼・河川・運河 白幡池、入江川、新田間川(あらたまがわ)、帷子川(かたびらがわ)、砂田川、滝の川、恵比須運河、宝運河
JR東神奈川駅・京急仲木戸駅周辺はかなっくシティと呼ばれ、再開発が行われている。

旧東海道沿いには寺社や旧跡が多く点在し、かつての往時をしのばせる。海岸線の殆どは埋立地で、京浜工業地帯の一部であり、多数の工業施設や、横浜市中央卸売市場、横浜郵便集中局等の横浜市を支える施設が集中している。そのため、入江川は国道15号をくぐると枝分かれして運河になり、工場を縫う様に貨物線も通っている。AV機器で有名な日本ビクターの本社もこの地域にある。

大野町・金港町・栄町はヨコハマポートサイド地区として再開発が行われ、オフィスビルや高層マンションが多く建ち並ぶ地区となった。神奈川区で一番高い建物「ザ・ヨコハマ・タワーズ」(143m)もここに建っており、2006年には金港町に大型商業施設、横浜ベイクォーターが完成した。また、2007年には「ナビューレ横浜 タワーレジデンス」(150m)、「パークタワー横浜ステーションプレミア」(143m)、2008年には「パークタワー横浜ポートサイド」(120m)といった建物が建つ。

2006年現在、山内町・橋本町にも波が広がり「コットンハーバー地区」として再開発が始まっている。この山内埠頭から東神奈川駅へ至る地域は「東神奈川まち・海軸」として、横浜市の重点整備地域に指定されている。また、京急神奈川新町駅から新浦島町へ至る地域は「神奈川新町・新浦島町軸」として、道路・歩道の整備が行われる予定である。
第一京浜、第二京浜沿いにはオフィスビル・雑居ビル・商店・住宅等が立ち並んでいる。第一京浜よりさらに海側には、臨港幹線道路が整備中である。

この地域は、中区山下町~みなとみらい~新町と続く、横浜港を取り囲む臨海部の再開発の一部分になっている。地域の発展に備え、東海道貨物支線を旅客化する構想も上がっている。

横浜市は、横浜港の正面に位置する瑞穂埠頭 (横浜ノースドック) の返還を米軍に求めている。

「神奈川」の由来には諸説あるが、過去によく知られているものは、いずれも非科学的な民間語源説であり、地名語源としては認められない。

昔、神奈川宿の西の町と仲の町の間に小川があった。その川は水源が解らないので、上(かみ)がない川、上無川(かみなしがわ)と呼ばれていた。いつからか、文字が脱落して「かな川」と呼ぶようになった。これは江戸期の文人が、江戸の品川を下無川、神奈川を上無川とペア地名と見たもので、いわゆる民間語源説である。言語的にも「かみなし」が「かな」となったとするのは無理がある。東海道を歩いた文人が庶民から聞いて広めた俗語源というべきもの。
日本武尊が東方へ赴く際、上無川で船出の用意をしていた。日本武尊が船に乗る時、倭姫命に貰った宝剣が水面に映り、金色に輝いたので、この地を金川(かながわ)と名付けた。それから長い月日が流れ、源頼朝がこの地を訪れた時、金川の風光を賞し、「金は西の方角を司ると言う。西は上にあたり、皇城の方角でもある。ここは神が大いに示す地である。」と言い、大いに示すを「奈」の字とし、金川から「神奈川」となった。これも典型的な地名伝説であり、ほとんど文字遊びの域を出ず、地名の学問的な由来としては認められない。
古文書には、「神奈河・神名川・上無川・狩野川・かの川・かな川」等と記されており、これらが変化して「神奈川」になったと言われている。埼玉県にある「かな川」などの例を見ても、「かな」とはある種の地形、つまり川の形状を表した語彙と考えるのが自然であろう。「かの」川のと表記もあるところから、伊豆の狩野川などと同義ではないかとの考えもある。そうすると語構成から考えて、「曲がった」川などの可能性もあるか(櫻井澄夫説)。なお大日本地名辞書の吉田東伍などは神奈川とは、滝野川のことだと考えていて、上無川であるとは考えていない。川の大きさから考えて、その地域を代表する地名が集落名になったであろうことを考慮すると、妥当な意見であろう。

西寺尾一~四丁目
松見町1~4丁目
新子安一~二丁目
子安台一~二丁目
神之木町
神之木台
子安通1~3丁目
入江一~二丁目
守屋町1~4丁目
恵比須町
宝町
西大口
大口仲町
大口通
七島町
白幡町
白幡東町
白幡西町
白幡南町
白幡上町
白幡仲町
白幡向町
浦島丘
鳥越
立町
富家町
西神奈川一~三丁目
二ツ谷町
台町
鶴屋町1~3丁目
金港町
幸ケ谷
亀住町
栄町
山内町
星野町
新浦島町1~2丁目
出田町
橋本町1~3丁目
千若町
千若町1~3丁目
大野町
桐畑
高島台
上反町1~2丁目
沢渡
松ケ丘
泉町
反町1~4丁目
松本町1~6丁目
栗田谷
旭ケ丘
広台太田町
三ツ沢東町(みつざわひがしまち)
三ツ沢西町(みつざわにしまち)
三ツ沢南町(みつざわみなみまち)
三ツ沢上町(みつざわかみまち)
三ツ沢中町(みつざわなかまち)
三ツ沢下町(みつざわしもまち)
二本榎
中丸
斎藤分町
平川町
白楽
六角橋一~六丁目
神大寺一~四丁目
片倉一~五丁目
三枚町
菅田町
羽沢町
羽沢南一~四丁目
神奈川一~二丁目
神奈川本町
東神奈川一~二丁目
新町
浦島町
青木町

区の内陸に位置する旧城郷村地域(現:六角橋・神大寺・片倉・三枚・菅田・羽沢)は、農村であり、田園地帯が広がっていた。「谷戸田」と呼ばれる谷あいの湿田で米麦の栽培を行っていたが、条件は極めて悪く、収量もそれほど多くなかった。そのため、明治・大正期には、丘陵に広がる畑で大根(特に、片倉・神大寺の黒葉大根)や植木(菅田)の生産など蔬菜・園芸中心の近郊農業が定着した。

西区

横浜市のほぼ中央に位置する。埋立地である、みなとみらい地区の開発により面積は拡大したが、横浜市18区の中で最も小さい。中央部を流れる帷子川流域近辺は平地で、近辺を東海道線や国道1号なども通過しているが、最北部と最南部の内陸側は高台となっている。中心部から海側にかけては商業地だが、その他の地域の大半は住宅地である。

川: 帷子川、新田間川、石崎川

野毛山動物園
横浜みなとみらい21
横浜美術館
横浜開港祭(臨港パーク・6月)
ヨコハマカーニバル(横浜駅周辺・8月)
久保山斎場(東京裁判処刑者火葬地)

桜木町4~7丁目※
花咲町4~7丁目※
紅葉ケ丘
宮崎町
老松町
東ケ丘
赤門町2丁目※
霞ケ丘
西戸部町1~3丁目
伊勢町1~3丁目
御所山町
戸部本町
中央一~二丁目
戸部町1丁目~7丁目
高島一~二丁目
平沼一~二丁目
西前町2~3丁目※
藤棚町1~2丁目
境之谷
元久保町
東久保町
久保町
浜松町
西平沼町
岡野一~二丁目
南幸一~二丁目
北幸一~二丁目
楠町
浅間町1~5丁目
南浅間町
浅間台
宮ケ谷
南軽井沢
北軽井沢
みなとみらい一~六丁目

都道府県 神奈川県
市 横浜市
団体コード 14103-8
面積 6.98km2
総人口 87,365人
(2007年7月1日)
隣接自治体・行政区 横浜市:神奈川区、中区、南区
保土ケ谷区
区の木 もくせい
区の花 すいせん

中区

神奈川県庁や横浜市庁、横浜地方裁判所、神奈川県警察本部が存在し、神奈川県と横浜市の行政機関が集中している中心的な区である。金融機関や企業の支店なども多い。近年は都心回帰や、みなとみらい線開通の影響によりマンションが増えたため、人口は増加傾向にある。

なお下記に記された通り歴史的に国際色豊かで、区人口における外国人登録人口の割合は、10.1%であり、全国値の1.57%と比べ高い。横浜市の中区が占める割合は20.5%である。また、中華街を擁するため中国籍の割合が45.0%と最も高い。横浜市全体の35.5%、全国値の25.8%の割合と比べると高いことが分る。次いで韓国・朝鮮籍の割合が20.0%だが、横浜市の22.6%、全国値29.8%と比べると低い。

北部の平地には港側からビジネス街、繁華街、そして住宅街が主体になっている。中南部は内陸側が高台で「山手町」を中心としたいわゆる「山手」と呼ばれる地区は昔からの住宅地である。海岸側は全て埋め立てられて自然海岸は無く、北は新港・山下公園などの観光地で、南は埠頭・製油所などの重化学工業地帯で、横浜港の中心となっている。

川は北部を大岡川と分流である中村川が横断しており、一時期タマちゃんが現れ話題になったことがある。交通は区内の中央をJR根岸線が縦断し、国道や首都高速は北部を縦横断して中南部は海岸沿いを通っている。

日本大通
横浜公園
新港一~二丁目
海岸通
海岸通1~5丁目
元浜町1~4丁目
北仲通1~6丁目
本町1~6丁目
南仲通1~5丁目
弁天通1~6丁目
太田町1~6丁目
相生町1~6丁目
住吉町1~6丁目
常盤町1~6丁目
尾上町1~6丁目
真砂町1~4丁目
港町1~6丁目
山下町
元町1~5丁目
新山下一~三丁目
内田町
桜木町1~3丁目
花咲町1~3丁目
野毛町1~4丁目
宮川町1~3丁目
日ノ出町1~2丁目
初音町1~3丁目
黄金町1~2丁目
英町
赤門町1丁目
吉田町
福富町西通
福富町仲通
福富町東通
伊勢佐木町1~7丁目
末広町1~3丁目
羽衣町1~3丁目
蓬莱町1~3丁目
末吉町1~4丁目
若葉町
若葉町1~3丁目
曙町1~5丁目
弥生町1~5丁目
万代町1~3丁目
不老町1~3丁目
翁町1~2丁目
扇町1~4丁目
寿町1~4丁目
松影町1~4丁目
吉浜町
長者町1~9丁目
山吹町
富士見町
山田町
千歳町
三吉町
石川町1~5丁目
山手町
諏訪町
妙香寺台
麦田町1~4丁目
上野町1~4丁目
千代崎町1~4丁目
北方町1~2丁目
小港町1~3丁目
本郷町1~3丁目
本牧町1~2丁目
錦町
本牧ふ頭
本牧原
本牧宮原
和田山
本牧十二天
本牧緑ケ丘
本牧満坂
本牧荒井
本牧和田
本牧三之谷
本牧大里町
本牧元町
本牧間門
豊浦町
柏葉
かもめ町
鷺山
竹之丸
西竹之丸
大和町1~2丁目
立野
西之谷町
打越
山元町1~5丁目
大平町
大芝台
簑沢
塚越
寺久保
仲尾台
滝之上
矢口台
豆口台
池袋
根岸台
根岸旭台
根岸加曽台
根岸町
根岸町1~3丁目
千鳥町
南本牧

面積 20.62km2
総人口 142,667人
(2007年7月1日)
隣接自治体・行政区 横浜市:西区、南区、磯子区
区の花 チューリップ

南区

命名された(のちに西区が中区から分離しているので現在の中区から見ると西にある)。

区の中央部を京浜急行電鉄、鎌倉街道(神奈川県道21号横浜鎌倉線)が南北に縦断して通っている(鎌倉街道地下部には横浜市営地下鉄も通っている)。北部には首都高速道路狩場線、西部には横浜横須賀道路が走っている。幹線道路周辺では大きなビルやマンションが建ち並ぶが、それ以外のところでは大半が住宅地である。区内には大岡川が流れており、春になると沿岸は多くのサクラが咲き誇る。南部にある弘明寺は横浜市の寺としては最古の寺であり、弘明寺観音とも呼ばれる。かつて真葛焼の窯場があった。清水ヶ丘公園は横浜高等商業学校、横浜国立大学教育人間科学部付属横浜中学校・小学校は横浜高等工業学校の跡地である。

井土ケ谷上町(いどがやかみちょう)☆
井土ケ谷下町(いどがやしもちょう)
井土ケ谷中町(いどがやなかちょう)
浦舟町(うらふねちょう)1~5丁目
永楽町(えいらくちょう)1~2丁目
榎町(えのきちょう)1~2丁目
大岡(おおおか)一~五丁目☆
大橋町(おおはしちょう)1~3丁目
庚台(かのえだい)
唐沢(からさわ)
共進町(きょうしんちょう)1~3丁目
弘明寺町(ぐみょうじちょう)
山王町(さんのうちょう)1~5丁目
山谷(さんや)
清水ヶ丘(しみずがおか)
宿町(しゅくまち)1~4丁目
白金町(しろがねちょう)1~2丁目
白妙町(しろたえちょう)1~5丁目
新川町(しんかわちょう) 1~5丁目
高砂町(たかさごちょう)1~3丁目
高根町(たかねちょう)1~4丁目
通町(とおりちょう)1~4丁目
中里(なかざと)一~四丁目☆
中里町(なかざとちょう)
永田北(ながたきた)一~三丁目☆
永田山王台(ながたさんのうだい)☆
永田台(ながただい)☆
永田東(ながたひがし)一~三丁目☆
永田南(ながたみなみ)一~二丁目☆
永田みなみ台(ながたみなみだい)☆
中島町(なかじまちょう)1~4丁目
中村町(なかむらちょう)1~5丁目
西中町(にしなかちょう)1~4丁目
八幡町(はちまんちょう)
花之木町(はなのきちょう)1~3丁目
日枝町(ひえちょう)1~5丁目
東蒔田町(ひがしまいたちょう)
伏見町(ふしみちょう)
二葉町(ふたばちょう)1~4丁目
平楽(へいらく)
別所(べっしょ)一~七丁目☆
別所中里台(べっしょなかざとだい)☆
堀ノ内町(ほりのうちちょう)1~2丁目
蒔田町(まいたちょう)
前里町(まえさとちょう)1~4丁目
真金町(まがねちょう)1~2丁目
万世町(まんせいちょう)1~2丁目
南太田(みなみおおた)一~四丁目☆
南吉田町(みなみよしだちょう)1~5丁目
三春台(みはるだい)
宮元町(みやもとちょう)1~4丁目
六ツ川(むつかわ)一~四丁目☆
睦町(むつみちょう)1~2丁目
吉野町(よしのちょう)1~5丁目
若宮町(わかみやちょう)1~4丁目

面積 12.63km2
総人口 196,230人
(2007年7月1日)
隣接自治体・行政区 横浜市:西区、中区
保土ヶ谷区、磯子区
戸塚区、港南区
区の花 さくら
区のマスコットキャラクター
区のキャッチフレーズ みなっち(桜の花びら)
南の風はあったかい

保土ヶ谷区

保土ケ谷区(ほどがやく)は、横浜市を構成する18区のうちのひとつ。

横浜市の中央部にあり、関東ローム層からなる多摩丘陵の南東の端にあたる。関東平野にありながら起伏に富み、最高地は海抜99.0mに位置する。

河川: 帷子川、今井川

かつて、瀬戸ヶ谷から保土ヶ谷駅一帯まで大規模な古代遺跡があったが、開発のため消滅した。 古代、旭区から当区にかけて、広大な榛谷御厨(はんがやのみくりや)が存在した。「はんがや」が「ほどがや」に転訛したという説がある。

かつては程ヶ谷(ほどがや)と書き、江戸時代には東海道五十三次程ヶ谷宿として栄えた。

保土ケ谷区
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保土ケ谷区のデータ 国 日本
地方 関東地方
都道府県 神奈川県
市 横浜市
団体コード 14106-2
面積 21.81km2
総人口 204,728人
(2007年7月1日)
隣接自治体・行政区 横浜市:神奈川区、西区、南区、
戸塚区、旭区、緑区
区の花 すみれ
区の鳥
区の色 カルガモ
ほどがやグリーン
保土ケ谷区役所

磯子区

市の東南に位置し、根岸湾に面する。沿岸部の低地の大半は埋立地であり、それを囲むように丘陵地が広がっている。区内の大部分は宅地化されているが、南部の円海山周辺には緑地が残されている。 氷取沢一帯は、大岡川の水源となっている。

かつて山手・根岸から延びる沿岸丘陵の隆起は海岸までせり出し、現在でも京浜急行屏風ヶ浦駅の地名にその残影が残る。丘陵部は横浜開港時より根岸湾遠景が尊ばれ避暑地として別邸や別荘を構えるものが多く、旧プリンスホテル跡地やひばり御殿等が歴史に名をとどめる。明治から昭和にかけて数回に渡り丘陵部手前の埋立てが行われ、県道(現在の国道16号)が根岸湾に沿って整備された。また関内・伊勢佐木町から同区八幡橋・芦名橋を経由し杉田迄市電が延伸され人口の集積が進んだ。当時の区勢は国道16号や掘割川周辺から丘陵部までの低地にある住宅街に偲ぶことができる。

1960年(昭和35年)頃から根岸湾の埋立てが行われ、重化学工業地帯が誕生した。埋立に利用した土砂は丘陵部のものを利用し、その際に同時整備したのが現在の汐見台である。当初から電気・ガス等ライフラインを地下埋設にし、全車道に歩道が設置され、下水道完備、保存緑地等、昭和30年代当時としてはかなり最新構造の都市基盤をもって整備された。その後のライフライン地下埋設は横浜都心部や港北ニュータウンで整備されていくが、現在に至っても横浜市全域の都市基盤へ応用されるには至っていない。昭和40年代には桜木町から国鉄(現JR東日本)根岸線が延伸され、沿線丘陵部の宅地開発が進み、昭和50年代には駅周辺のマンション建設が進み、昭和60年代迄人口が急増した。

現在では根岸線に加えて、首都高速道路湾岸線、国道16号、横浜市道環状2号、横浜市道環状3号による交通網に支えられ、都市基盤完成度では横浜市内屈指に至る。新規分譲住宅地が少ない為、以前の人口急増は過去のものとなったが、古くからの住宅地では高齢化も進み、若年層流出により商店街の維持を困難にしている地域もある。戦後初期にベッドタウン化を経験した区である為、今後の高齢化も他区より先行することが予測され、今後の地域活力の維持が大きな課題である。

既に区民の6割以上が横浜生まれであり、中区や南区に次ぎ、区民の横浜出生比が高い区である。

上町(かみちょう)
馬場町(ばばちょう)
坂下町(さかしたちょう)
下町(しもちょう)
東町(ひがしちょう)
西町(にしちょう)
鳳町(おおとりちょう)
原町(はらまち)
丸山(まるやま)一~ニ丁目
滝頭(たきがしら)一~三丁目
広地町(ひろちちょう)
中浜町(なかはまちょう)
久木町(ひさきちょう)
磯子(いそご)一~八丁目
磯子台(いそごだい)
岡村(おかむら)一~八丁目
新磯子町(しんいそごちょう)
新森町(しんもりちょう)
新中原町(しんなかはらちょう)
新杉田町(しんすぎたちょう)
汐見台(しおみだい)1~3丁目
森が丘(もりがおか)一~ニ丁目
森(もり)一~六丁目
中原(なかはら)一~四丁目
栗木(くりき)一~三丁目
田中(たなか)一~ニ丁目
杉田(すぎた)一~九丁目
杉田坪呑(すぎたつぼのみ)
上中里町(かみなかざとちょう)
氷取沢町(ひとりざわちょう)
峰町(みねちょう)
洋光台(ようこうだい)一~六丁目

面積 19.02km2
総人口 164,304人
(2007年7月1日)
隣接自治体・行政区 横浜市:中区、南区、金沢区
港南区、栄区
区の木 梅
区の花 コスモス

金沢区

金沢区(かなざわく)は、横浜市を構成する18区のうちのひとつである。一説に、鎌倉に幕府が開かれた際に、刀鍛冶が集まったことからこの名がついたと言われている。鎌倉幕府の影響として、称名寺や金沢文庫などの史跡も多く残っている。

横浜市の最南端に位置し、横須賀市、逗子市、鎌倉市、磯子区、栄区に接する。海岸線を埋め立てた金沢工業地帯と同時に造成された人工海岸「海の公園」をはじめ、横浜・八景島シーパラダイスや横浜ベイサイドマリーナなど、マリンスポーツを楽しむことの出来る複合施設も最近は賑わっている。

横浜市唯一の自然海浜(野島海岸)と、市内最高峰(大丸山)を有する。

朝比奈町(あさひなちょう)
海の公園(うみのこうえん)
大川(おおかわ)
乙舳町(おっともちょう)
片吹(かたぶき)
金沢町(かなざわちょう)
釜利谷町(かまりやちょう)
釜利谷西(かまりやにし)一~六丁目
釜利谷東(かまりやひがし)一~八丁目
釜利谷南(かまりやみなみ)一~四丁目
幸浦(さちうら)一~二丁目
柴町(しばちょう)
昭和町(しょうわまち)
白帆(しらほ)
洲崎町(すさきちょう)
瀬戸(せと)
大道(だいどう)一~二丁目
高舟台(たかふねだい)一~二丁目
泥亀(でいき)一~二丁目
寺前(てらまえ)一~二丁目
富岡西(とみおかにし)一~七丁目
富岡東(とみおかひがし)一~六丁目
鳥浜町(とりはまちょう)
長浜(ながはま)
長浜(ながはま)一~二丁目
並木(なみき)一~三丁目
西柴(にししば)一~四丁目
能見台(のうけんだい)一~六丁目
能見台通(のうけんだいどおり)
能見台東(のうけんだいひがし)
能見台森(のうけんだいもり)
野島町(のじまちょう)
八景島(はっけいじま)
東朝比奈(ひがしあさひな)一~三丁目
平潟町(ひらがたちょう)
福浦(ふくうら)一~三丁目
堀口(ほりぐち)
町屋町(まちやちょう)
みず木町(みずきちょう)
六浦(むつうら)一~五丁目
六浦町(むつうらちょう)
六浦東(むつうらひがし)一~三丁目
六浦南(むつうらみなみ)一~五丁目
谷津町(やつちょう)
柳町(やなぎちょう)

もと武蔵国倉城郡(後の久良岐郡)六浦庄内金沢村(昔はカネサワ)と呼ばれた。鎌倉時代には鎌倉に隣接する港町として栄え、北条氏により鎌倉市との境に国指定史跡として残る朝比奈切通しや、称名寺、金沢文庫が造られた。

江戸時代に入ると、1722年に米倉忠仰が下野国皆川から陣屋を金沢に移し、六浦藩が成立する(横浜市域では唯一の大名)。米倉氏は元来武田氏家臣であったが滅亡後家康に仕え、5代将軍綱吉の時諸侯に列した。その後米倉家は8代続き、1871年、明治政府の廃藩置県により8代藩主米倉昌言は六浦県知事となる。現在は陣屋跡に当主一家が住まう。なお、米倉家菩提寺は秦野市の蔵林寺にある。

1887年(明治20年)には、伊藤博文らにより現・金沢区洲崎町の料亭東屋で大日本帝国憲法の草案が起草された。作業の途中、盗人に草案の入った鞄が盗まれた話は有名である。

面積 30.68km2
総人口 211,698人
(2007年7月1日)
隣接自治体・行政区 横浜市:磯子区、栄区
横須賀市、鎌倉市、逗子市
区の木 山桜
区の花 牡丹

港北区

港北区(こうほくく)は、横浜市を構成する18区のうちのひとつである。

横浜市北東部に位置し、東急東横線を中心とする東部には、一戸建て住宅中心の閑静な高級住宅地が、横浜市営地下鉄を中心とする西部にはマンション中心の新興住宅地が広がっており、その一方で広い区内には随所に豊かな自然も残っていることから、市内でも人気の高い地域である。また南部の新横浜駅周辺は現在、新横浜副都心として再開発が行われている。

人口・世帯数はともに横浜市のみならず、日本の政令指定都市の行政区の中で最大である。

1939年(昭和14年)4月に都筑郡下の各町村が横浜市に合併した際、神奈川区から分区する形で成立した。都筑郡下の各町村は都筑郡一体での行政区成立を望んだが、地理的条件などを勘案し、神奈川区の大綱・日吉・師岡の各地区に城郷地区の一部、そして都岡・二俣川を除く都筑郡の各町村を以って一行政区とされた。成立当時の名前の候補として、菊名区が挙げられたが、横浜港の北にあるということで港北区に決定した。

誕生当時は、現在の港北区・緑区・都筑区・青葉区に保土ケ谷区の上菅田町・新井町をあわせた区域だったが、1969年に緑区(現在の緑区・青葉区及び都筑区の一部)を分区し、上菅田町・新井町は保土ケ谷区に編入。さらに1994年11月に行政区再編成により、区の北西部地域が都筑区に分区編入されて現在の港北区に至る。

東急東横線の沿線を中心に住宅・商業地域が発達している。横浜線、横浜市営地下鉄沿線は緑を残しつつもニュータウンや大規模なマンションなどが立ち並び、今なお開発が進んでいる。新横浜駅周辺は横浜の副都心として発展している。数年後には高さ20階建ての駅ビルが完成しすべてののぞみ、ひかりが新横浜に止まることになる。

2002年のFIFAワールドカップ?の決勝の舞台となった現日産スタジアム、当時の横浜国際総合競技場があることでも知られる。

元々鉄道沿線の駅前を中心に商店街などが連ねていたが、最近大規模開発が行われている新横浜駅周辺が商業の中心地になりつつあり、港北ニュータウンの発展も含めて企業の進出も多い。日吉地区も地下鉄路線の開通を睨んでサンテラス日吉などの商業施設が増加している。

現在でも田園風景が多く残っており、市内でも農業が盛んな区の一である。
古くは鶴見川を中心に稲作や果樹(モモ・ビワ・イチゴ)など東京などに向けた近郊農業が盛んに行われていた。
現在は新羽・大熊農業専用地区などを中心にホウレンソウ、小松菜など軟弱野菜の生産が行われている。
戦前、全国的に有名だった綱島の桃「日月桃」があった。

綱島(綱島東・綱島西・綱島台・綱島上町)
大曽根(大曽根台を含む)・樽町
太尾(ふとお。大倉山駅周辺。なお、2006年現在「大倉山」は地名ではない)
大豆戸(まめど)
菊名(錦が丘、富士塚を含む)
篠原(新横浜、仲手原を含む)
岸根
日吉(日吉・日吉本町・下田・箕輪町の四町)
城郷(旧橘樹郡城郷村のうち港北区に編入した二町。小机・鳥山)
師岡(もろおか)
新田

面積 31.37km2
総人口 319,853人
(2007年7月1日)
隣接自治体・行政区 横浜市鶴見区、神奈川区
緑区、都筑区
川崎市幸区、中原区
高津区
区の木 ハナミズキ
区の花 ウメ

戸塚区

戸塚は江戸時代、東海道の宿場町として栄えた。明治になると東海道線が開通、戸塚駅が開業する。近代化に伴って日立製作所など、多くの工場が進出し、高度経済成長以降は丘陵地の造成が進み、東京・横浜のベッドタウンとなっている。横浜市の副都心として指定されている。

都市整備は市中心部に比べて大幅に遅れている。特に新興開発地である東戸塚地区と異なり、戸塚駅の西口再開発事業が商店主の反対もあって計画が遅れ、一帯の再開発が課題となっていたものの、2007年6月より本格的に事業が着手され工事も開始された。2012年度中の完成を予定している。これにより、戦後の闇市以来の歴史を有する「旭町通商店街」は消滅する。

面積は横浜市の区の中で最大である。人口は第3位。

区域は北東から南西にかけて延びており、中央部を暴れ川と呼ばれた柏尾川・東海道線・国道1号が縦断する。柏尾川流域は古くからの工場が多く、その他ほとんどの丘陵地が住宅地として開発されている。谷戸や沢の地形が多い。

深谷町に広大な在日米軍深谷通信所(送信施設)があり、瀬谷区の上瀬谷通信所(受信)とともに、国内屈指の通信施設となっているが、深谷に関しては全面返還が内定している。なお近隣住民は、テレビなどの受信障害のため、現在も米軍から補償を受けている。

地名
秋葉町、影取町、柏尾町、上柏尾町、上倉田町、上品濃、上矢部町、川上町、汲沢町、汲沢一~八丁目、小雀町、品濃町、下倉田町、戸塚町、鳥が丘、名瀬町、原宿一~五丁目、東俣野町、平戸町、平戸一~五丁目、深谷町、舞岡町、前田町、俣野町、南舞岡一~四丁目、矢部町、吉田町

元々の戸塚区は、現在の瀬谷区(1969年分区)、泉区(1986年分区)、栄区(1986年分区)などを含み、きわめて広大な面積であった。これは、成立当時の横浜市が旧武蔵国であったのに対し、周辺町村を吸収合併し続けていく過程で、旧相模国鎌倉郡であった町村のほぼすべての部分を戸塚区としてまとめたからである。したがって、区内に「湘南」という地名を冠する機関があるが、戸塚区、瀬谷区、泉区、栄区は、“横浜でありながら鎌倉・湘南でもある”(湘南には相模の南という含意もある)ためであって、なんら不自然ではない。
「戸塚」の語源は、区内にある富塚八幡宮の「富塚」(とみづか)から来ているとする説が有力である。同社は富属彦命(とつぎひこのみこと、相模国造二世の孫と伝える)を主祭神とし、社殿背後には彼を葬ったという前方後円墳があるが未発掘。区内には縄文時代以来の遺跡も多い。上矢部町の富士山古墳(円墳。径25メートル)からは多様な埴輪が出土した。
律令制下では、相模国鎌倉郡に属した。中世までは高座郡であったとする説もあるが、面積や境界での不自然さがあり、説得性に欠ける。境川が文字通りの郡堺と考えられる。
吉田町一帯は、中世の豪族山内首藤氏が治めた吉田荘の一部である。
平安後期から鎌倉期には鎌倉党の一族がいたもようである。始祖鎌倉景政を祀る「御霊社」「五霊社」などが区内近隣に遺っている。

港南区

港南区(こうなんく)は、横浜市を構成する18区のうちのひとつである。行政区再編成により、1969年(昭和44年)10月1日、南区より分区して発足した。かつては農村地帯が広がっていたが、1950年代から虫食い的に宅地開発が始まった。1970年代には野庭(のば)団地、港南台団地などといった巨大団地が形成され、人口は爆発的に増加した。発足時の人口は約9万5千人であったのが、現在では約22万人の暮らす、成熟した住宅都市として成長している。

他に特筆すべきは、廃藩置県前の旧国の相模と武蔵の国境が走っているという希有な行政区ということである。
区の北東を京浜急行本線が通り、また北東から中央部にかけて横浜市営地下鉄ブルーラインが通り、さらに南にはJR根岸線が通っている。区の中央部には横浜横須賀道路が縦断しており、鎌倉街道との交点に日野インターチェンジ、環状3号の交点に港南台インターチェンジがそれぞれ設けられている。区の南北には鎌倉街道、東から北にかけて環状2号、南には環状3号が通っている。

商業地は主に上大岡駅周辺と港南台駅周辺で、区役所や警察署など官公庁は港南中央駅周辺に集中している。特に上大岡駅周辺においては、横浜市の副都心として位置付けられており、市街地再開発事業が進行中である。

大久保一丁目~三丁目
上大岡東一丁目~三丁目
上大岡西一丁目~三丁目
上永谷一丁目~六丁目
上永谷町
港南一丁目~六丁目
港南台一丁目~九丁目
港南中央通
最戸一丁目~二丁目
笹下一丁目~七丁目
下永谷一丁目~六丁目
芹が谷一丁目~五丁目
野庭町
東芹が谷
東永谷一丁目~三丁目
日限山一丁目~四丁目
日野一丁目~九丁目
日野中央一丁目~三丁目
日野南一丁目~七丁目
丸山台一丁目~四丁目

面積 19.86km2
総人口 221,907人
(2007年7月1日)
隣接自治体・行政区 横浜市:南区、磯子区、戸塚区、栄区
区の木 クロガネモチ
区の花 ヒマワリ、キキョウ、アジサイ
区の鳥 シジュウカラ

旭区

1950年代から、横浜市中心部や京浜工業地帯への通勤者のベッドタウンとして宅地化が進み、丘陵地や農地に万騎が原、上白根、左近山、ひかりが丘、横浜若葉台団地などの大規模団地が造成され人口が激増した。1999年4月には日本最大級のよこはま動物園ズーラシアが開園した。横浜市編入以前は都筑郡に属し、郡役所が都岡町に置かれたが、後に都筑区川和町に移転。隣の瀬谷区との区境は武相国境である。相模鉄道沿いの二俣川・鶴ヶ峰地区は、横浜市総合計画「ゆめはま2010プラン」で副都心に位置付けられており、2007年現在では鶴ヶ峰駅南口地区において再開発事業を行っている。[1]

今後は2010年度より中尾町の二俣川県有地に所在する県の行政機関のうち、県立がんセンターと運転免許試験場において、県有地内での相互移転を含む大規模な改修が行われる予定。

区の南部を相鉄本線が横断し、二俣川駅から南にいずみ野線が分岐する。区の北西から東に帷子川が貫流し、これに国道16号(旧八王子街道)が平行する。帷子川は大幅な改修工事により旭区役所および鶴ヶ峰駅近辺において流域の移動や暗渠化を併せた整備が行われている。区を北西から南東に国道16号保土ヶ谷バイパスが貫通しており、区内の道路と接続し旭区の大動脈となっている。中央部は東西に中原街道が通っており、他にも鎌倉街道および東海道新幹線が通る。

相模鉄道二俣川駅の北側には運転免許試験場・がんセンター・公文書館など県の施設が集まり、二俣川駅と鶴ヶ峰駅の間の県道厚木街道沿いに旭区役所・旭警察署・旭郵便局が設置され、区の中心となっている。

なお三ツ境駅の北側も旭区であり、瀬谷区との境に聖マリアンナ医科大学横浜西部病院や程ヶ谷カントリー倶楽部がある。

古代、武蔵国都筑郡に属し、保土ヶ谷区から当区にかけて、広大な榛谷(はんがや)御厨(榛谷氏は坂東八平氏のうち秩父氏の流れ)が存在し、善部(膳部)、半が谷などの地名が残る。 二俣川も参照。

1063年 - 白瀧山成願寺(現在の白根不動)が鎌倉権五郎景政により建立される。
1295年 - 鶴ヶ峯の戦い。
1926年5月12日 - 相模鉄道の前身で、相模川の砂利運搬を主な業務とする神中鉄道が二俣川駅~厚木駅間を開業させる。
1930年10月25日 - 鶴ヶ峰駅が開業。(1933年12月27日に横浜駅まで開通)
1969年10月1日 - 保土ヶ谷区から分区し発足した。
1990年 - 二俣川駅周辺地区の再開発が始まる。
2003年 - 鶴ヶ峰駅南口地区の再開発が始まる。

タカナシ乳業の本社所在地。
一昔前までは農家や、帷子川沿いにスカーフの染色工場が点在していたが、スカーフ工場については現在全て姿を消した。現在は区内の大半が住宅地であるが、大規模小売店舗は団地周辺を除くと国道16号を含めて道路沿いの郊外型が少なく、駅近辺に集中している。

川島町
西川島町
白根町
白根一~八丁目
中白根一~四丁目
上白根町
上白根一~三丁目
鶴ケ峰一~二丁目
鶴ケ峰本町一~三丁目
市沢町
左近山
小高町
三反田町
今宿町
今宿一~二丁目
今宿東町
今宿西町
今宿南町
都岡町
川井本町
川井宿町
上川井町
下川井町
若葉台一~四丁目
矢指町
金が谷
金が谷一~二丁目
笹野台一~四丁目
今川町
四季美台
中沢一~三丁目
中尾一~二丁目
二俣川1~2丁目
本村町
本宿町
南本宿町
大池町
万騎が原
柏町
さちが丘
東希望が丘
中希望が丘
南希望が丘
善部町
桐が作

面積 32.78km2
総人口 248,292人
(2007年7月1日)
隣接自治体・行政区 横浜市:保土ヶ谷区、戸塚区
緑区、瀬谷区、泉区
区の木 ドウダンツツジ
区の花 あさがお
区の昆虫 ホタル

緑区

区域は鶴見川流域に沿って東西に細長い。中央を鶴見川やJR横浜線が東西に縦走している。鶴見川流域は平地であるが、南側は丘陵地となり住宅地が多く、旭区に隣接する。北側は緑産業道路である都市計画道路川崎町田線に沿って工業団地となっている。JR横浜線や都市計画道路横浜市道山下長津田線に沿って住宅地や団地が広がるが、南側丘陵部は近年宅地化された新興分譲地も多い。鶴見川と恩田川合流地点から上流は市内でも珍しい広大な農業用地となっており、稲作や梨生産が見られる。

河川:鶴見川(谷本川)、恩田川

1939年 都筑郡が横浜市へ編入し、神奈川区のうち大綱地区・日吉地区・師岡地区・城郷地区の小机・鳥山と都筑郡のうち都岡村(現旭区)・二俣川村(現保土ヶ谷区・旭区)、柿生村・岡上村(川崎市多摩区→麻生区)を除く新治村(現緑区・保土ヶ谷区)・田奈村(現緑区・青葉区・瀬谷区)・川和町(現都筑区)・中里村(現緑区・青葉区)・山内村(現青葉区・都筑区)をもって港北区とする。(都筑郡の消滅)
(旧都筑郡西谷村は1927年に横浜市へ編入し、同年行政区の設置により保土ヶ谷区の一部となっている)

1969年 新治(うち上菅田町・新井町は保土ヶ谷区へ編入)・田奈・川和・中里・山内地区を緑区とし、港北区より分区して成立。
1980年 長津田町・瀬谷区瀬谷町・旭区上川井町の一部より瀬谷区卸本町を新設する。
1986年 緑区北部支所を市ヶ尾町に開設。分区準備期間に入る。(山内支所を閉鎖)
1994年 区の北部を青葉区・都筑区へ分区し、現在の区域となる。

主な産業 - 農業・工業
農業 - 鶴見川・恩田川合流点から上流の川沿いで盛ん。恩田川沿いは水田、谷本川沿いは「浜なし」ブランドの梨畑が広がる。
工業 - 鴨居駅近辺から中山駅近辺にかけて工業施設が集まっており、トステム・雪印乳業の工場や、白山ハイテクパークという研究開発施設の集積地(ジャーマンインダストリーセンター、マクニカ、村田製作所、ケンウッドなど)が所在する。
商業 - 区内の駅前に集中している。なお西部は環状4号線周辺を軸としてショッピングセンターの進出が相次いでいる。

長津田町
長津田一~七丁目
長津田みなみ台一~七丁目
鴨居町
鴨居一~七丁目
竹山一~四丁目
東本郷町
東本郷一~六丁目
白山一~四丁目
上山一~三丁目
中山町
寺山町
台村町
森の台
新治町
三保町
青砥町
小山町
十日市場町
霧が丘一~六丁目
いぶき野
北八朔町
西八朔町

面積 25.42km2
総人口 173,411人
(2007年7月1日)
隣接自治体・行政区 横浜市神奈川区、保土ヶ谷区、港北区
旭区、瀬谷区、青葉区、都筑区
東京都:町田市
区の木 カエデ
区の花 シラン
区のうた 「緑区、この街が好き」、「緑区音頭」

瀬谷区

最高地 北町 海抜93.6m
最低地 阿久和南三丁目 海抜36.7m

横浜市の西端に位置し、区域は大和市との境界である境川に沿って南北に細長い。

北部は東京都町田市、緑区、南部は泉区、東部は旭区に接している。相鉄線を挟んで北部は平地が広がり、南部は川沿いに段丘上になっている。

気象庁横浜地方気象台の情報や注意報・警報は横浜・川崎である。横浜市内ながら、冬には氷点下も出す地域で、気候は夏暑く、冬寒い。

大和市との境に境川が流れている。

台風や大雨の場合、床下浸水等の被害がしばしば起きる。特に1991年(平成3年)の台風の時は鹿島橋を架け替えるほどであった(鹿島橋の管理は大和市がおこなっている)。現在の環状4号線の開通する前には、跨線橋のある辺りで雨水幹線の工事をしていた。
他に大門川、相沢川、和泉川、阿久和川がある。和泉川と阿久和川は源流が区内にある。

2004年度の区内の緑被率は35.9%で、横浜市の31.0%を上回っている。

かつて区北部には国鉄所有の土地があり、その跡地を中心にして工業団地が造成された。東名高速横浜町田インターチェンジや国道16号、国道246号に近いことから、横浜総合卸センター(卸本町)や横浜インナーパーク(北町)などの工場団地が集中している。生活協同組合連合会やCOOP神奈川、富士シティオ、花王、イトーヨーカドーの物流拠点、読売新聞・日本経済新聞・東京新聞の印刷工場、佐川急便、日本通運、ヤマト運輸などの流通拠点がある。またセコム、清水建設、太平洋セメントグループのテイヒュー(旧帝国ヒューム管)横浜本社・工場、オリックス、などが工場や事務所を置いている。

区内には開発されてない土地もあり農業も盛んである。上瀬谷の農業専用地区は、横浜市内にある農業専用地区の中でも一番広く、920,000 m2ある。

北部を中心にウド栽培が行われ、その産地は海軍道路周辺に集中する。これは、既に撤廃されている上瀬谷通信隊の周辺における建築物の高さ制限、同地に旧帝国海軍による弾薬庫の遺構が多数残されていたことなどの理由によって、農作物として半地下で栽培できるウドが選ばれたためである。

下瀬谷地区では、露地野菜やハウス栽培が中心。阿久和地区を中心に芝の栽培が盛んである。阿久和・宮沢地区では、酪農、肉牛、養鶏の農家がある。また各地に直売所がある。

鷹見塚…江戸幕府開幕の頃におかれ、5代将軍徳川綱吉の時に一時廃れたが、8代将軍徳川吉宗の代に復活した鷹狩りを行う際の指揮台として用いた物見塚。区内には2箇所設置された。現在では瀬谷区4丁目の環状4号線沿いに1箇所残るのみである。
白鳳庵…個人の私邸に、30種約3,000株のあじさいが植えられており、開花時期に合わせて一般開放されている。入り口の門は、横浜税関、神奈川県庁の正門を経て、現在の場所に移築された由緒のある門である。
乳出神の碑…東野第一公園にある。碑によると、この周辺にわき出ている清水を持ち帰って飲むと、母乳の出が良くなったという言い伝えがあるという。昭和42年頃までは乳出神を祭った泉があったが、近年の造成工事によって清水は断たれた。

瀬谷一~六丁目
中央
相沢一~七丁目
瀬谷町
本郷一~三丁目
中屋敷一~三丁目
上瀬谷町
竹村町
目黒町
五貫目町
卸本町
北町
東野
東野台
橋戸一~三丁目
北新
下瀬谷一~三丁目
南瀬谷一~ニ丁目
南台一~ニ丁目
宮沢一~四丁目
二ツ橋町
三ツ境
阿久和東一~四丁目
阿久和西一~四丁目
阿久和南一~四丁目

阿久和…新羅の古語で水を意味する「アカ」にちなむともいい、また、「アクワ」は「川の流れの曲がった様」を意味する。以前は泉区の新橋町等も含まれていて、現在瀬谷区になっている地域は上阿久和で、泉区の新橋周辺は下阿久和と呼ばれていた。字として、鎌取、東原、運上野、宮沢台、向原、狢久保、吉原、小金、宮腰、細川、宮下、西村、蟹沢、雨池、猪窪、馬場畑、赤松戸、隼人、榊山、藤ケ谷、中村、土橋、善光寺谷、大久保原、山王塚、岡本、慶林谷、日向山がある。
三ツ境…『新篇武蔵風土記稿』の「二俣川村」に「密經(みつきょう)新田 小名(こな) 三經(みつきょう) 東北の方なり」の記録が残されている。「三ツ境」のいわれについては、二俣川村、都岡村川井分、中川村阿久和分の三村の境を意味するとか、三ツ境の「境」は「橋」であるとか、旭区東希望が丘の三経山長楽寺に関係した仏教の「密経」に因(ちな)む、とかの諸説がある。

栄区

栄区は横浜市の南部に位置し、東西に長く(東西約7km、南北約6km)、東は金沢区、磯子区、西は戸塚区、南は鎌倉市、北は港南区に接している。旧相模国鎌倉郡(一部が高座郡に属していたとする説もある)に属し古来より鎌倉とはゆかりの深い地域である。なお金沢区との区境は武相国境である。

区の中央を、かつてしばしば氾濫したいたち川(いたちがわ、「いたち」の表記は『けものへんに由』)が東西に流れ、また西側を柏尾川が南北に流れて低地を形成し、その東側・南側を三浦半島に連なる丘陵地がとり囲むように広がる。柏尾川西岸を中心とした低地には工場、また丘陵地を造成した団地が多く、また丘陵地は市民の森という森林公園にもなっている。本郷台駅を中心に、いたち川沿いに広がる本郷地区と、西部の柏尾川沿いの豊田地区からなる。

交通の面では、区の北西地域をJR根岸線(京浜東北線)が横断し、また区の西部には柏尾川に沿って南北に東海道本線と横須賀線が縦断し東京あるいは小田原・横須賀方面と接続されている。区北部・南部に東西方向にそれぞれ環状3号道路と環状4号道路が通っている。

商業地は主に本郷台駅周辺と大船駅周辺。区役所や警察署など官公庁は本郷台駅周辺に集中している。南側の鎌倉市と接する部分にある大船の繁華街は横浜市栄区と鎌倉市の双方にまたがっており、大船駅のプラットフォームも横浜市栄区と鎌倉市の双方にまたがっている。

山林の面積は212haで、市域全体の約17.5%を占める。一方住宅地は市域の60.4%に過ぎず、横浜市全体と比較すると、宅地割合が少なく山林割合の多い地域である。

山:円海山(山頂は磯子区)
河川: 柏尾川、いたち川
湖沼: 瀬上池

栄区地域の歴史は、原始・古代にまでさかのぼることができ、古代、鎌倉郡尺戸郷、荘園時代の山内荘が存在した。横穴墓の分布が特徴的である。相模国鎌倉郡であったため、特に、鎌倉時代には幕府との結び付きが強く、いたち川流域の豊かな田園が食料生産を担い、古代から伝わる製鉄の技術とともに東北地方に対する軍事政策のうえで重要な役割を果たしていたと考えられており、鎌倉道や数多くの史跡が残されている。また、鎌倉が近いことから、中世の動乱期にたびたび戦場となっており、 中村氏の一族、中村常宗が笠間に移り住み勢力を張った。

近代の発展としては、明治21年の大船駅の開業と翌年の横須賀線の開通による大船駅周辺の市街化と、 昭和42年の大船PX(占領軍物資倉庫群)返還以降の本郷台駅周辺の公共施設や高層住宅の建設、そして昭和40年代から50年代にかけての丘陵地の大規模な住宅開発があげられる。

区名は、公募により本郷区、南戸塚区、湘南区、栄区、桂区、大船区、根岸区、光区、戸塚南区、上郷区などから選定し、本郷、豊田の両地区の共栄を期し、新しい区として未来に向けて、大きく栄えていくことを祈願し、明るく、華やかなイメージのある、簡潔で、語調もよい区名を決定した。 (公募時に「戸塚A区」とされていたので「A」→「栄(えい)」とされたという説もある。)

上郷町
公田町
中野町
鍛冶ケ谷町
鍛冶ケ谷一~二丁目
小菅ケ谷町
小菅ケ谷一~四丁目
桂町
笠間町
笠間一~五丁目
長尾台町
田谷町
金井町
飯島町
長沼町
本郷台一~五丁目
若竹町
元大橋一~二丁目
庄戸一~五丁目
長倉町
東上郷町
犬山町
尾月
上之町
亀井町
野七里一~二丁目
小山台一~二丁目
柏陽
桂台北
桂台中
桂台西一~二丁目
桂台東
桂台南一~二丁目

面積 18.55km2
総人口 124,639人
(2007年7月1日)
隣接自治体・行政区 横浜市:磯子区、金沢区、
戸塚区、港南区
鎌倉市
区の花 キク

泉区

総面積23.56平方キロメートルは、市内18区中第9位、市総面積のうち5.42%。
横浜市の南西部に位置し、相模野台地と呼ばれる関東ローム層に覆われた比較的平坦な台地の一部で、区の西側を境川と和泉川が南北に流れ、北側を阿久和川、東側を宇田川(村岡川)が流れている。台地の辺縁には湧水が分布する。河川流域に農業地帯が開け、製糸業が行われていた。区内は歴史的な経緯より中川地区と中和田地区から成る。
西側は境川を市境として藤沢市、大和市と接し、北側は瀬谷区、旭区、東側と南側は戸塚区と接する。相鉄いずみ野線と横浜市営地下鉄の2本の鉄道路線、及び県道長後街道(旧・大山道)が区を横断している。
1965年以降に市営上飯田団地、県営いちょう団地などの大規模な公営団地の建設が相次いで行われ、1976年に相鉄いずみ野線が開通して、沿線を中心に、急速に宅地開発が進んだ。
かつて戸塚区に属し、日立製作所戸塚工場・横浜工場、ブリヂストンの従業員らのベッドタウンでもあり、戸塚とのつながりが深い。持ち家比率と、一戸建て率が市内一位である。

境川、阿久和川、和泉川に沿った丘陵上に縄文時代の遺跡が分布する。弥生台は開発時に弥生時代の土器が出土したことによる。
古墳(高塚古墳)は今のところ区内では未見である。横穴墓は上飯田町・柳明遺跡などが挙げられる。
律令制下の動向は明らかでない。相模国鎌倉郡であった(下飯田町本郷が高座郡涓堤郷であったとする説もあるが不明)。高座郡との境界は境川である。ゆえに広義での鎌倉であった。
新橋町、岡津町が鎌倉郡大島郷と推定されている。
平安時代半ばの人物で鎌倉党の祖鎌倉景政を祀る「御霊社」「五霊社」が区内に存在する。大庭御厨を根拠とする鎌倉党のテリトリーであった可能性がある。境川やその支流をたどって開発を進めていったのであろう。また対岸の渋谷氏の影響も考えられる。
同様に「サバ神社」(左馬、鯖などの字を充てる)がいくつかある。これは一時期鎌倉(現在の寿福寺の地)に住んでいた左馬頭源義朝(または源満仲)を祭神とする。義朝は大庭御厨に乱入して殺傷事件を起こしており、鎌倉党とは微妙な関係にあった。
岡津町のマンション「ルネ戸塚弥生台」付近は「玄蕃山」と呼ばれ、鎌倉幕府御家人と伝える「島田三郎」(史料にはみえず。甲斐氏か)ゆかりの「島田の塚」があった。
岡津は、横浜市立岡津小学校一帯に城が築かれ、少弐氏や甲斐氏が支配したといわれる。また、現在の富士スーパー付近は近世、処刑場であった。
やがて同じ郡内に鎌倉幕府や鎌倉府がおかれ、政治の中心地となる。首都鎌倉に向かうための鎌倉街道上ノ道が通っていた。また、新田義貞による鎌倉攻めはたつ道(横浜市道環状4号)であったという。
飯田は鎌倉党の一族ともいわれる飯田氏の苗字の地。飯田五郎家義は石橋山の合戦で敗れた源頼朝を救ったことで知られる。その館跡は現在「富士塚城址」という碑が建つ公園近辺という。飯田氏は当地の御家人として『吾妻鏡』などに名を遺している。
和泉町の長福寺・須賀神社は、北条氏によって滅ぼされた泉親衡ゆかりの寺社という。ただし親衡は信濃の御家人であり、泉姓から付会した伝承と思われる。同地の和泉中央公園の湧き水が「和泉」の地名の発祥といわれている。
上飯田町の本興寺は、寺伝では日蓮ゆかりの地であるという。のちに鎌倉にあった不受不施派寺院が慶長の法難にともなって移転してきた(現在、再興された同名寺院が鎌倉市大町2丁目にあり)。日什門流で戦前まで顕本法華宗本山、現日蓮宗由緒寺院。

岡津町
新橋町
弥生台
中田町
和泉町
上飯田町
下飯田町
池の谷
緑園一~七丁目
白百合一~三丁目
西が岡一~三丁目
領家一~四丁目
桂坂
中田東一~四丁目
中田北一~三丁目
中田西一~四丁目
中田南一~五丁目

青葉区

区の東側は東名高速道路(第一東海自動車道)と国道246号が走っており、それに沿うようにして東急田園都市線が走っている。区の西側は横浜高速鉄道こどもの国線が走っている。区の北西側は、東京都町田市や川崎市麻生区が接している。

地勢上、横浜都心部よりも、東京都心部に通勤通学する人が多く、このことを揶揄して「青葉都民」や「横浜都民」などとも言われている。東京都内への就業率は6割以上に達すると言われ、横浜市内で市外就業率が一番高い。

東急田園都市線の市が尾駅周辺は青葉区役所、青葉警察署(旧緑北警察署)、県税事務所、緑税務署などを擁する行政上の区の中心部である。区の中心を南北方向に鶴見川が貫流する。人口は港北区についで2番目に多い。

市町村制施行前は現在の青葉区の区域は都筑郡恩田村、奈良村(後に田奈村)、下谷本村、上谷本村、成合村、鴨志田村、寺家村、鉄村、黒須田村、大場村、市ヶ尾村(後に中里村)、荏田村、石川村(後に山内村)、大棚村、牛久保村であった。
1889年4月1日 市町村制施行により、都筑郡田奈村、中里村、山内村、中川村が誕生。
1939年4月1日 都筑郡田奈村、中里村、山内村、中川村が横浜市港北区に編入。
1969年10月1日 港北区から分立し緑区になる。(旧中川村の地域を除く)
1986年11月 緑区北部支所を市ヶ尾町に開設。分区準備期間に入る。(山内支所を閉鎖)
1994年11月6日 港北区と緑区を再編し青葉区・都筑区を新設。
大部分は旧緑区から変更されたが旧港北区から青葉区になった地区もある。現在の新石川四丁目20番地付近・国道246号線東京方面沿いの地区がそれで、再編前は旧港北区中川町及び牛久保町であった。この地区はマンション群があり100世帯ほどが居住している。
発足当時の青葉区役所は、緑区北部支所の場所を受け継いだものであったが、現在の青葉区役所は福祉保健センター(旧保健所・旧福祉事務所)や公会堂・スポーツセンターなどが併設された青葉区総合庁舎となっている。
1998年3月20日 東名高速道路横浜青葉インターチェンジ開設。
2002年10月20日 コミュニティ放送局、FM-salusが開局。

青葉台一~二丁目
区内最大商業地域
あかね台一~二丁目
あざみ野一~四丁目
あざみ野南一~四丁目
市ケ尾町
区の行政中心地域
美しが丘一~四丁目
美しが丘西一~三丁目
梅が丘
荏子田一~三丁目
荏田北一~三丁目
荏田町
荏田西一~五丁目
榎が丘
大場町
恩田町
柿の木台
桂台一~二丁目
上谷本町
鴨志田町
鉄町
黒須田
桜台
さつきが丘
寺家町
下谷本町
しらとり台
新石川一~四丁目
すすき野一~三丁目
すみよし台
たちばな台一~二丁目
田奈町
千草台
つつじが丘
奈良一~五丁目
奈良町
成合町
藤が丘一~二丁目
松風台
みすずが丘
みたけ台
緑山
もえぎ野
元石川町
もみの木台
若草台

寺家ふるさと村
東急田園都市線青葉台駅からバスで青30・寺家町循環行きに乗り「寺家ふるさと村」下車、または青31・鴨志田団地行きに乗り終点下車徒歩2分。
こどもの国
横浜高速鉄道こどもの国線で終点「こどもの国」下車徒歩3分、または小田急線鶴川駅や東急田園都市線青葉台駅から奈良北団地方面行きバスで「こどもの国」下車。
佐藤春夫旧居跡(鉄町)
『田園の憂鬱』を執筆。

都筑区

都筑区(つづきく)は、横浜市を構成する18区のうちのひとつで、港北ニュータウンを中心とする旧港北区の北西部(山田、中川、茅ヶ崎地区等)と旧緑区の北東部(川和、池辺、東方、荏田南、荏田東地区等)からなる。 農家数では市内18区中最大である。

南部の鶴見川沿いを除いて全域が丘陵地帯であり、起伏はなだらかだが高低差は大きい。東部を第三京浜道路、西部を国道246号、南部を鶴見川に囲まれる形になっており、中央部を横浜市営地下鉄が通っている。

かつてこの地一帯が「都筑郡」という地域であったことから、分区に際して名付けられた。都筑郡各町村が横浜市に編入されたときに「都筑郡」は消滅したが、「都筑」という地名は区名として復活。また、街作りが新しい「都を筑く」という区民の総意で進むことを願う意味も込められている。

現在の都筑区川和町には旧都筑郡役場が置かれ、かつての都筑郡の中心地であった。なお、当時の都筑郡の範囲は現在の都筑区より大きく、現在の緑区・青葉区・旭区の全域、保土ケ谷区の西谷町・上星川町・川島町・東川島町・上菅田町・新井町・今井町、港北区の高田西一丁目~五丁目・高田東一丁目~四丁目・新吉田東一丁目~五丁目と八丁目・新吉田町・新羽町、および新吉田東六~七丁目と綱島東四丁目の各一部、並びに川崎市麻生区の旧柿生村・旧岡上村の部分が含まれた。

南部の鶴見川沿いは古くからの工業地帯となっており、特に池辺町は大規模工場だけでなく中小企業の工場が立ち並んでいる。また港北ニュータウンの開発と共に、企業の本社や研究所も多く所在するようになった。

古くは池辺町、牛久保町、大熊町、大棚町、折本町、勝田町、川向町、茅ヶ崎町、中川町、東方町、(東・南・北)山田町など、雑木林や谷戸に囲まれた横浜の農村地帯で農業が生活の基盤であった。
戦後、港北ニュータウンの中に農業を引き続き営むための「農業専用地区」が整備され、現在も東方農業専用地区などを中心に「横浜ブランド農産物」として、ホウレンソウやコマツナなど軟弱野菜の生産が意欲的に取り組まれている。ちなみに小松菜の生産量は日本一である。
戦前の川和町では菊が江戸時代から栽培され、「川和の菊」として有名であり、皇族や著名人などに親しまれた。
桜並木
大棚町
勝田町
茅ケ崎町
茅ケ崎中央
茅ケ崎東一~五丁目
茅ケ崎南一~五丁目
中川一~八丁目
牛久保町
牛久保一~三丁目
すみれが丘
北山田一~七丁目
南山田町
南山田一~三丁目
東山田町
東山田一~四丁目
新栄町
勝田南一~二丁目
牛久保東一~三丁目 <