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2007年07月 アーカイブ

2007年07月09日

横浜市

横浜市は、東京都心から南へ約30km、東京湾に面した都市である。市政の中心地は関内地区(中区の関内駅周辺)で、市域の中央駅は横浜駅(西区)。経済活動の中心は関内地区から約3km北の横浜駅周辺地区へ移っており、両地区の中間に位置する横浜みなとみらい21地区(桜木町駅周辺)の開発を進めて、中心部の一体的な発展を図っている。

市域は、鎌倉幕府の国際交易港として、古くから六浦湊が開発されていた。横浜の名は、「横に長い浜」に由来しているとされる。横浜村は、神奈川湊(神奈川宿)沖で締結された日米修好通商条約により開港場と定められ、短期間に国際港の体裁を整えた。1859年7月1日(旧暦:安政6年6月2日)に開かれた横浜港は、金港とも呼ばれ、生糸貿易港、商業港、旅客港として、また工業港として、横浜を日本の代表的な国際港都の一つへと発展させる礎となった。

1889年(明治22年)4月1日に市制が施行され、横浜市となった。[2]市域の面積は、市制施行時には横浜港周辺の5.4km² にすぎなかったが、6次にわたる拡張と埋立てにより437.38km²(平成18年)となっている。1927年(昭和2年)の区制施行で市域は5区に分けられ、周辺町村の合併と区域の再編を経て、行政区の数は18となっている。市制施行時の人口は約12万人だったが、第二次世界大戦中の一時期を除いて増加し続け、約360万人となった。これは日本の市では最も多く、人口集中地区人口も東京特別区に次ぐ。1956年(昭和31年)には政令指定都市に[3]、1988年(昭和63年)には業務核都市に指定されている。

市域の地形は、丘陵地、台地・段丘、低地、埋立地に分けられる。

丘陵地は、市域中央部よりやや西よりに分布し、市域を南北に縦断する。この丘陵地は保土ヶ谷区・旭区などを流れる帷子川付近を境に、北側と南側で性質を異にする。北側の丘陵地は、多摩丘陵の南端に位置し、標高は60mから100mで北に向かって高くなっている。南側の丘陵地は、三浦半島に続く三浦丘陵の北端部を占め、標高は80mから160mで南に向かって高くなっている。南側の丘陵地の方が起伏も激しく、標高も高い。通称「鎌倉アルプス」に続く市内最高点(栄区上郷町、標高159.4m、鎌倉市に山頂のある大平山の峠部分)や大丸山(金沢区釜利谷町、標高156.8m)、円海山(磯子区峰町、標高153.3m)もこの南側の丘陵地にある。

台地・段丘は、丘陵地の東西にある。東側の台地は鶴見区の地名を取って下末吉台地と呼ばれ、標高は40mから60mで鶴見川付近まで続く。西側の台地は、相模原台地の東端にあたり、標高は30mから70mで南に向かって低くなっている。本牧付近で台地が海に突き出し、その南側は根岸湾と呼ばれる。横浜駅周辺も幕末まで袖ヶ浦と呼ばれる入り江だった。

低地には、丘陵地や台地を刻む河川の谷底低地と沿岸部の海岸低地とがある。谷底低地は鶴見川に沿って広がり、平坦な三角州性低地を形成する。また、海岸部には埋立地が造成され、海岸線はほとんどが人工化されている。金沢区の小さな入り江「平潟湾」は、鎌倉幕府が海の玄関口とした天然の良港であった。島としては金沢区の野島(八景島は人工島)があり、野島海岸が横浜で唯一の自然海浜となった。

河川:鶴見川、帷子川、鳥山川、入江川、早渕川、柏尾川、境川 (境川水系・東京都・神奈川県)、宇田川、砂田川、中堀川、和泉川、大岡川、掘割川、いたち川、侍従川、富岡川、大川
山:南部の港南区・磯子区・栄区・金沢区境付近が最も高く、大丸山(標高156m)、円海山(標高153m)などがある。

大阪市

現在の大阪市の直接の前身である大坂の町は、古代の日本最初の本格的な首都である大化改新の時の難波長柄豊埼宮(なにわのながらのとよさきのみや)や、住吉津(すみのえのつ)難波津(なにわのつ。なにわづ)を起源にもつ歴史的な国際的港湾都市であった。また、江戸時代には既に現在の大阪市の中央部を広く町域とする日本屈指の大都市であり、日本経済の中心だった。


「大坂」地名発生以前の大坂
のちの「大坂」が位置した上町台地は、古代には「難波潟」と呼ばれる湿地に突き出した半島状の陸地で、「難波(なにわ)」、「浪花(なにわ)」、「浪華(なにわ)」「浪速(なにわ、なみはや)」などと称されてきた。

この地には、古代大和朝廷が外国への使節の送り出しや、迎接に利用する瀬戸内海東部の重要な国際港であった「住吉津」や「難波津」が置かれ、古代の仁徳天皇の難波高津宮をはじめ、大化の改新時の難波長柄豊崎宮や聖武天皇の難波京(難波宮)などが営まれ、朝廷の首都あるいは副都として利用された。また、律令制のもとでは首都に置かれる京職に準じる特別の官署、摂津職によって管理された。

難波が古代国家によって重要視されたのは、大阪湾は西日本の交通の要である瀬戸内海の東端にあたり、かつ当時の中央政府があった内陸の飛鳥地方・平城京からみてもっとも近い港湾であることによる。住吉津を管理する住吉大社は、大和王権直属の社として重要視されていた。

難波津は土砂の堆積により港としての機能を衰えさせ、奈良時代の末には放棄され、かわって神崎川河口の河尻泊(現在の兵庫県尼崎市)などに繁栄を譲る。しかし、平安時代には淀川水系を利用して営まれた平安京が恒久的な都となったことから、瀬戸内海から淀川を通じて京都に通じる水運の要衝、また北から淀川を渡り、南の四天王寺や住吉大社、熊野へと続く陸上交通の要衝として栄えた。当時、のちの天満橋から天神橋までの淀川河口一帯にあった渡辺津は、嵯峨源氏の一族渡辺氏の名字の地としても有名である。

大阪城(2004年5月)15世紀に大坂の地名を持って呼ばれるようになった上町台地の先端部は、1496年に蓮如がこの地に建立した浄土真宗の石山道場に1532年、証如が山科本願寺から移り、石山本願寺となったことから寺内町として発展した。

織田信長と本願寺の間に戦われた石山戦争で1580年に顕如が退去した後の1583年には、石山本願寺の跡地に豊臣秀吉が大坂城を築き、城下に配下の大名の屋敷や堺などの周辺の町々の町人を集めて、上町台地から大阪平野に広がる大坂の町を築いて政治・経済の中心都市とした。このため、安土桃山時代のうちの豊臣政権期を指して、「大坂時代」と呼ぶ人もいる。

豊臣氏が滅んだ大坂の役で大坂の町は一時的に荒廃したが、江戸幕府は大坂を直轄地(天領)とし大坂城を再建する一方、河川の改修や堀の開削を行い、諸藩も蔵屋敷を置いた。蔵屋敷へは水路で年貢米が運ばれたため八百八橋と言われるほど橋と水路の多い町となった。こうして水の都として復興した大坂は日本全国の物流が集中する経済・商業の中心地となり、「天下の台所」と呼ばれて繁栄した。また、こうした経済的な発展にともなっていわゆる「元禄文化」が大坂で花開いた。また、堂島の米市場では世界で最初の先物取引が行われた。

近世大坂の町は江戸幕府の派遣した大坂町奉行支配のもとに北組、南組、天満組の三組に分かれ、総称して大坂三郷と呼ばれた。北組・南組は現在の中央区の本町通を境とする南北にあたり、天満組は北区の大阪天満宮を中心とする一帯である。

近世に現在の大阪市中心部はその姿を整えたと言ってよい。現在も続く近世以来の大坂の町は、天満、上町、堂島、中之島、船場(北浜)、阿波座、堀江、島之内、江ノ子島などが知られている。

西日本旅客鉄道東海道本線・大阪環状線:大阪駅(在来線:北陸・山陽・山陰地方への列車発着駅)
東海旅客鉄道・東海道新幹線・西日本旅客鉄道山陽新幹線:新大阪駅(新幹線)
西日本旅客鉄道阪和線・関西本線・大阪環状線:天王寺駅(在来線:和歌山県・奈良県への列車発着駅)
西日本旅客鉄道関西本線:JR難波駅(在来線:奈良県への列車発着駅)
阪神電気鉄道本線:梅田駅
阪急電鉄神戸本線・宝塚本線・京都本線:梅田駅
京阪電気鉄道京阪本線:京橋駅・天満橋駅・淀屋橋駅
近畿日本鉄道大阪線・奈良線:近鉄難波駅・上本町駅・鶴橋駅
南海電気鉄道南海本線・高野線:難波駅

大阪の代表的な街
キタ - 梅田 - 北新地 - 梅田新道
ミナミ - 難波 - 湊町 - 日本橋 - 千日前 - 道頓堀 - 心斎橋(心斎橋筋) - 堀江 - 南船場
天王寺
上本町
京橋
鶴橋
新世界
十三
新大阪

大阪都心部の代表的な街

通天閣船場 - 北浜 - 淀屋橋 - 肥後橋 - 本町
中之島
大手前 - 馬場町 - 法円坂
南森町 - 西天満

大阪の代表的な神社仏閣
住吉大社
四天王寺
大念仏寺
太融寺
生国魂神社
阿部野神社
お初天神(露天神社)
高津宮
法善寺 法善寺横丁が小説『夫婦善哉』の舞台になっている。
今宮戎神社
百舌鳥八幡宮
壺井八幡宮
叡福寺
大阪護国神社
坐摩神社

名古屋市

愛知県の南西部、濃尾平野に広がる。県内では、豊田市・新城市・岡崎市に次いで4番目に広い面積を有する市である。市全体を概観すると、市西南部の港区は海抜0mの臨海工業地帯で日本屈指の国際貿易港である名古屋港を有し、港区の西部は市最大の穀倉地帯が広がる。市の南部の南区は港区同様に工業地帯が広がるが、北部の駆上は隣接する瑞穂区の新瑞橋駅の恩恵を受け商業が発達している。市の北部の北区、北西部の西区・南西部の中川区は住宅地が広がる。

市の北東部の守山区・千種区、東部の名東区・天白区、南東部の緑区は海抜50m~100mの丘陵住宅街で、千種区の東山公園・平和公園、守山区の小幡緑地、名東区の猪高緑地オアシスの森・牧野ヶ池緑地、緑区の大高緑地などの森林を残した大規模な緑地公園も点在する。

市の中核を担う中区・東区・中村区・熱田区・昭和区・瑞穂区は海抜10mから15mの平野で、市役所・愛知県庁を有する中区の丸の内・錦・栄・矢場町・大須・金山、東区の東桜・泉・白壁、中村区の名駅、熱田区の神宮、昭和区・天白区の八事、千種区の今池、星ヶ丘は名古屋市内でも特に商業が発達している地区で、集客力のある商業施設やオフィスビルが連なる。

自然環境では市内に1571の昆虫が生息し、これは県下の26%にあたる。市内東部ではリス、タヌキ、イエコウモリ、コウベモグラ、ノウサギ、キツネの生息が確認されている。野鳥類では現在約240種が生息している。


湾 : 伊勢湾
山 : 東谷山

一級河川
庄内川水系
庄内川、矢田川、守山川、香流川、隅除川、天神川、新川、水場川、合瀬川、大山川、新地蔵川、堀川(黒川)、新堀川、八田川、長戸川、野添川
二級河川
天白川水系
天白川、扇川、大高川、瀬木川、手越川、藤川、植田川、繁盛川
日光川水系
日光川、戸田川、福田川、
山崎川水系
山崎川
境川水系
境川
その他、東小川、藤ノ木川、荒子川、中川運河、大江川、郷下川、愛知用水
池 : 牧野ヶ池、猫ヶ洞池、水主ヶ池、茶屋ヶ坂池、明徳池、塚ノ杁池、大根池、御深井池、他多数
干潟 : 藤前干潟

名古屋市は以下の16区で構成されている。

千種区
東区
北区
西区
中村区
中区
昭和区
瑞穂区
熱田区
中川区
港区
南区
守山区
緑区
名東区
天白区

札幌市

日本最北の政令指定都市で、全国5番目の人口を有する。北海道庁所在地。19世紀まではアイヌ民族の住む土地であったが、明治時代に置かれた北海道開拓使によって、京都をモデルとした碁盤目状の計画都市として開発され、以来、北海道の政治・経済の中心的都市となっている。1972年の札幌オリンピック開催を機に観光都市としても世界的に知られるようになった。

香港とほぼ同じ面積を持ち、周辺に江別市、北広島市、恵庭市などのベッドタウンを擁して札幌都市圏を形成する。地方中枢都市には珍しく昼間人口と夜間人口があまり変動しない。市の中心部には地下街が発達し、札幌駅前・大通周辺のショッピングエリアには近郊の都市からも人が集まる。その経済圏(道央圏)の人口は340万人におよぶ。

もともと「サッポロ」は現在の豊平川にアイヌの人々がつけた名で、その流路一帯の地名にも転用されたものであるとされる。由来はアイヌ語の「サッ・ポロ」sat-poro(乾いた大きい)であるとする説が有力だが、その意味するところについては「かつての豊平川が乾季に極端に水量が少なくなる川だったため」、あるいは「一帯が乾燥した広大な土地であったため」と意見が分かれる。「サリ・ポロ・ペッ」sari-poro-pet(湿原が広い川)であるとする説は、低湿な豊平川下流部の様子を的確に表しているが、「サリ」あるいは「サル」で始まる表記で記録された書物・地図が見あたらないとの指摘がある。

石狩平野の南西部、石狩川の支流豊平川の扇状地を中心に広がる都市である。市街地は碁盤目状に道路が走る。市の西部・南部は手稲山・円山・藻岩山など山岳・丘陵が大部分を占めている。広い市域の南西約2/3は山岳地帯の森林で、支笏洞爺国立公園に指定されている部分もある。

山 : 藻岩山、手稲山、琴似山(三角山)、硬石山、円山、木挽山
峡谷 : 豊平峡
河川 : 石狩川、豊平川、茨戸川、円山川、新川、琴似川、琴似発寒川、発寒川、創成川、伏籠川、月寒川、厚別川、野津幌川、北の沢川、中の沢川、簾舞川、精進川、山鼻川
湖沼 : 定山湖、さっぽろ湖、モエレ沼、ペケレット湖、トンネウス沼、菖蒲池、西岡水源池
滝 : アシリベツの滝、八垂別の滝、平和の滝

神戸市

海と山の迫る東西に細長い市街地を持ち、十分な水深の有る扇状の入り江部に発展した理想的な港湾を有する日本を代表する港町である。

市域中央に横たわる六甲山地の山上の高原一帯は日本における別荘・リゾート等の発祥地として有名であり、六甲北麓の有馬温泉は日本三古湯の一つとして古来より名高い。

「神戸」という地名は、現在の三宮・元町周辺が古くから生田神社の神封戸の集落(神戸「かんべ」)であったことに由来する。兵庫津(ひょうごのつ)に近い西国街道の宿場である「神戸宿(こうべじゅく)」の事を指していた。

海運においても古くから興り、近代には世界の市場にその名を知られるほどに隆盛していった。以降も貿易・鉄鋼・造船・機械・製造・ゴム・真珠加工・観光等の産業を中心に発展、ファッション・医療などの産業も近年は盛んである。

兵庫県南部地震で市街地と港は甚大な被害を受けたが、国内3番目の市営空港として神戸空港が開港するなど復興を遂げつつある。

神戸三社(神戸三大神社)をはじめとする市内・国内にある神社の神事に使うお神酒の生産にも係わり、前述の有馬温泉や神封戸の形成も市名の由来に関係している。

遣隋使の時代には、既に港は開かれていたが、平清盛により経が島の近くに都である福原京が置かれた前後に貿易の拠点として整備されて「大輪田泊(おおわだのとまり)」と呼ばれたことがその発展の始まりとされる。その後、明治維新までは「兵庫津」と呼ばれて京・大坂の外港・経由地として栄えた。 江戸時代に、西宮宿(現在の西宮市)と大蔵谷宿(同明石市)とをつなぐ小さい宿場として「神戸宿」が形成されている。

条約による1868年の兵庫開港の際、実際には、神戸宿が開港場となって外国人居留地や港が造られ、1879年に勅令により「神戸港」となる。その後、日清戦争を経て上海・香港をしのぐ規模となり、1990年代初期までの間、東洋最大の港として発展を続けた。港の発展は、造船・鉄鋼・機械を中心とした工業の発達も促して阪神工業地帯の中核を担う日本有数の重工業都市に成長する。県名の由来にもなっている兵庫と神戸とは離れていたが市域の拡大によって一つの都市としてまとまっていった。

太平洋戦争末期に何度もB29による空襲を受け、当時の神戸の市街地・工業施設・港湾施設のほとんどが焼失・破壊されて多数の死者をだす惨禍となる。

戦後、「山、海へ行く」を合言葉に、六甲山系西部の山を掘削して住宅地・産業団地の開発を急速に進め、その際に発生した土砂を神戸港沖合いの埋め立てに用いて人工島のポートアイランドや六甲アイランドを造成、住宅・施設・港湾をはじめとする都市におけるインフラの拡充を積極的に進めた。1981年のポートアイランド第一期竣工時には、地方博ブームの先駆けとなる「神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア'81)」を開催して成功させるなど、これらに代表される都市経営手法は、「株式会社神戸市」と称されて全国の市町村から自治体経営の手本とされた。

震災での被害による港湾機能の麻痺や、震災以前からの上海・香港・高雄・釜山などに代表されるアジア諸港の追い上げによって、国際貿易港としての相対的地位はかつてと比べると低下した。しかし、近年の震災復興により、国際貿易港としての地位を回復する傾向にあって日本を代表する港湾都市の一つとして発展を続けている。

また、人口においても震災直後に7%あまり減少したものの、新長田駅前・JR六甲道駅前での震災復興再開発事業やポートアイランド二期事業・神戸医療産業都市構想などの事業によって呼び戻されて2004年11月には震災前を超えるまでに回復した。2007年3月に実施された国勢調査の速報値では152万9187人となっていて過去最大を更新している。なかでも、都心への回帰現象がみられる中央区や大阪へのベッドタウン化が進む東灘区や灘区において高い増加率が目立っている。

京都市

古くはしばしば中国王朝の都となった洛陽に因み、京洛、洛中、洛陽などといわれた。元々は平安京を東西に分割し、西側(右京)を「長安」、東側(左京)を「洛陽」と呼んでいた。ところが、右京すなわち「長安」側は湿地帯が多かったことなどから程なく廃れ、市街地は実質的に左京すなわち「洛陽」だけとなった。

そのため、京都を「洛陽」と呼ぶようになった。京の都に上ることを上京、上洛と言う。現在でも京都以外の地方(含東京)から京都へ行くことを「上洛する」「入洛する」ということが少なくない。

京都は、桓武天皇が784年(延暦3年)の長岡京に続いて、794年(延暦13年)平安京に遷都したことに始まる千年の都である。

京都に都が移された理由は諸説ある。例えば、長岡京の建設責任者であった藤原種継が暗殺されたことや、南都寺院の影響から脱するためであったとか、天武系の都を脱して天智系の都を造るという意図説などである。

平安京は中国の風水に忠実に設計された都市で四方を山に囲まれ、東に鴨川が西に桂川が蛇行しながら南へと流れている。内部は都城を模倣した長方形の区画をもっていた。現在の千本通が当時の朱雀大路にあたり、真北には舩岡山が位置していた。

平安時代の律令制の形骸化にともなって次第に本来の領域にとらわれない、鴨川と大内裏・御所を中心とする都市になり、経済的に発展していった。鎌倉時代には政治の中心が鎌倉へと移行したために相対的に政治都市としての役割を失い、経済都市としての性格を強くする。承久の乱を契機に鎌倉幕府は京に六波羅探題を設置して、公家勢力の監視を行う。鎌倉時代末期に足利尊氏が京都の六波羅探題を滅ぼし、幕府滅亡後には京で後醍醐天皇による建武の新政が行われる。その後新政から離反した尊氏が北朝を立て、南北朝時代となると、京都争奪戦が何度も行われる。南朝が衰微して、室町時代になると京には室町幕府が置かれたために政治都市として復活する一方で経済発展を遂げ、町衆と呼ばれる有力市民による自治の伝統が生まれた。足利義満は北小路室町(上京区)に花の御所と呼ばれる邸宅を建造し、応仁の乱で焼失するまで将軍家の在所となり、足利将軍は在所から「室町殿」と呼ばれた。

戦国時代の端緒となる応仁の乱で市街、特に北側の大半が焼失し、その後もたびたび戦乱に巻き込まれた。この頃、京都は上京と下京に分かれ、それぞれ「構」によって囲まれていた。その間は畑になっていたといわれ、室町通でかろうじてつながっていた。この後、織田信長、豊臣秀吉の保護と町衆の力により復興した。特に、秀吉の都市改造は大規模なもので、聚楽第と武家町の建設、内裏の修理と公家町の建設、洛中に散在していた寺をあつめた寺町の建設などを行い、現在でもしばしばその都市構造を確認することができる。(→天正の地割)

17世紀には政治の中枢が江戸に移ったものの、都であることに変わりはなく、人口が50万人を越え、江戸、大坂に次ぐ日本第三の経済・文化都市として繁栄する。また、江戸幕府は京都所司代を設置して直轄下に置いた。

明治維新後は京都府が置かれ、1869年(明治2年)に明治天皇が東京行幸。これに伴い太政官も移動された(東京奠都)。1879年(明治12年)には郡区町村編制法により、京都に上京区と下京区の2区が置かれ、続いて1889年(明治22年)に上京区・下京区は府管轄下の「京都市」となった。

現在の京都市は、伏見をはじめとする周辺の町村を編入したため、江戸時代以前からの伝統的な「京都」の範囲は、厳密に言えば現在の京都市内の一部に過ぎない。

現在は世界有数の観光都市。神社仏閣の本山を多数擁する。 なお、現在、名所・旧跡に立てられている案内碑は、そのほとんどが明治維新後に推定で置かれたものであり、必ずしも、実際の所在地と一致はしていない。

福岡市

人口約140万人を抱えており、名実共に九州第一の都市である。商業都市として有名であるが、多くの官公庁の機関や全国企業の支社なども置かれている。東京特別区を含む市人口では全国で8位で、福岡市周辺に福岡都市圏を形成する。百貨店、大型ファッションビル、地下街などがある天神が商業の中心地区であり、周辺の大名、今泉、警固、上人橋通り、赤坂けやき通りにも店舗は拡大している。また、天神の東方にキャナルシティ博多、博多リバレイン、川端通商店街などがある川端という繁華街もある。その集客力は広域におよび、佐賀県、長崎県、大分県、熊本県、山口県などが商圏に含まれていると言われている。さらに夜の街といえば全国的に有名かつ歓楽街の規模も指折りに入る中洲であるが、中洲以外には博多区に雑餉隈という街がある。ビジネスの中心エリアは天神地区周辺に加え、博多部の博多駅周辺や祗園駅周辺である。

福岡市は天神・博多駅周辺の都心部を中心として西に西新地区、東に香椎地区、南に大橋地区の3地区をそれぞれ副都心として位置付けており、特に西新や香椎は小規模な繁華街を形成しており活気ある街になっている。

市の規模に対して犯罪率(認知件数÷人口)は3.3%と高めである。(ちなみに、他の主要都市の犯罪率は札幌市2.0%、横浜市2.1%、東京23区2.4%、名古屋市3.8%、大阪市4.2%である)※参考[1] [2]

本州(特に東京・大阪など)在住の人に、主要駅の名前から、福岡市全般の事を指して「博多」と呼ばれることがある。

これは、中世よりこの地域は「博多」という街として認識されていたことや、山陽新幹線の終着駅が「博多」であり、ビジネスでも福岡へ出張することを「博多へ行く」と呼んでいた程、博多という名前が浸透していたからである。歴史的にも、明治22~23年に福岡市にするか博多市にするか、議会で議論されていたくらいである。又、福岡と博多をあわせて「福博」と呼ばれることもある。

九州の北部、日本海(博多湾・今津湾・玄界灘)に面した半月型の福岡平野の大半の部分を市域とする。北は博多湾の北辺に位置する砂州である海の中道・陸繋島である志賀島、西は糸島半島の東部まで市域となっている。南・南西は脊振山地に含まれる山間部まで市域が伸びており、佐賀県に接している。ほかに有人島嶼として、博多湾上の能古島や市の西部の玄界灘上に浮かぶ玄界島、そのさらに西北部にある小呂島を市域に含んでいる。

福岡市から壱岐・対馬を挟んで向かい側に朝鮮半島がある。日本の主要都市としては朝鮮半島や中国などの東アジア諸国・地域に最も近い都市で、直線距離では東京特別区から約1100km、大阪市から約550km、韓国の釜山広域市から約200km、同国の首都・ソウル特別市から約550km、中国の上海市から約900km、台湾の台北市から約1300kmの位置である。

市域の多くは福岡平野に含まれており、一部に小高い山なども存在するものの概ね平坦である。市街地の海岸部は大半が埋立地となり、港湾・住宅などが建設されている。市域西部・西南部は脊振山地の一角を成しており、標高が高く起伏の大きい地形となっている。

市内を流れる河川としては、市域中心部を流れる那珂川・御笠川や市域東部を流れる多々良川、市域西部を流れる室見川などがあるが、一級河川はない。

長大河川はない一方で、前述のとおり平野周辺の山地から短い河川長とやや急な勾配で博多湾に流れ込む河川はおおむね市街地を経由しているため、集中豪雨があった場合に氾濫しやすく、それが福岡平野を形成したと見られるが、現代において都市治水上の課題となっている。

川崎市

神奈川県の北東部に位置している。市の北端には多摩川が流れ東京都との境となっており、東部には東京湾が広がっている。北西部は多摩丘陵と呼ばれる丘を形成、商業地、及び古くからの閑静な住宅地が密集し、東京都心から伸びる私鉄各線を利用して都内に通勤・通学する家庭が多数居住する地域として歴史を有している。また大学等の高等教育機関も多数あり、文京都市としての側面も見られる。東部及び多摩川沿いの低地は住宅地のほか工業地が特に多く、東京湾岸に広がる埋立地は大規模な重工業地帯となっている。

北西部の丘陵地帯に人が定住したのは古く、黒川などでは日本の旧石器時代や縄文時代の遺跡が確認できる。しかし、多摩川沿いや臨海部の低地はかつて海底だった場所が多く、多摩川の堆積作用や海面の低下により徐々に陸地化が進んだ。

7世紀に律令体制の整備により武蔵国の一部となり、奈良時代には現在の高津区に橘樹郡衙(たちばなぐんか)が置かれ、地域行政の中心になったと推定される。平安時代からは荘園が発達し、稲毛氏が広い地域を支配した。稲毛三郎重成は源頼朝の御家人の1人となって活躍した。また1128年(大治3年)には川崎大師(平間寺)が建立され、門前町の形成が始まる。その後鎌倉時代から戦国時代にかけては小規模領主による分治が進み、やがて北条氏の支配下に入った。

市長 : 阿部孝夫(あべ・たかお) (2005年10月23日再選)
市職員数 : 15,280人 (2003年7月1日)
当初予算規模(2004年度)
一般会計 5,209.58億円
特別会計 4,800.06億円
公営企業会計 2,008.22億円
市議会議長 : 矢沢博孝(やざわ・ひろたか)(2005年6月6日選出)
市議会議員数 : 63(任期満了日 2007年5月2日)
市制記念日 : 7月1日

広島市

世界史上初の核兵器(原子爆弾)被災都市として、またそれゆえ国際平和文化都市として世界的に有名である。戦前が軍都であった(後述)のとは対照的である。

中国・四国地方では第一の都市。江戸時代には広島藩の城下町、明治期から第二次世界大戦終了までは軍事都市であった。特に戦時には大本営が置かれた。現在では広島県の県庁所在地で、政令指定都市となっており、東京特別区を含めて全国第11番目の人口を抱える。

山陽地方のほぼ中南部に位置しており、広島市を中心とした広島都市圏の中心を形成する。畿内と北九州のほぼ中間に位置しているため、中国地方や中国・四国地方を統括する政府機関や、全国規模で展開している企業の地方拠点も多く置かれている、又、西日本有数の工業都市でもあり、沿岸部は工業地帯となっている。

地場資本も比較的強い方であり、製造業の本社・本部が多く置かれている。地元で効率よくまとめようとする傾向が目立つとも言われるが、広島経済の堅実さの表れである。

近年では、人口の郊外へ流出も引き続いて見られる一方で、中区の人口密度が地方圏で最も高くなるなど、都心部での人口増加が著しく進んでいる。平和大通りでは80mを超える高層ビルが相次いで建設され、政令指定都市の中でも有数の「高層ビル街」であった平和大通りはさらに変貌を遂げつつある。

広島駅周辺でも新幹線口の若草町、広島駅南口の再開発が始まった。また、宇品や緑井、段原などでも開発が行われ、商工センターや西風新都と併せて、副都心としての機能をさらに蓄えつつある。建設中の広島高速道路などと合わせて、広島市は大きく変わりつつある。

南は瀬戸内海に面し、広島湾となっている。市の中心部を流れる太田川の河口に開けた三角州上に市街地が形成されている。太田川デルタを中心に広島平野が形成されているが、それを取り囲むように市の西部・北部・東部は丘陵地帯となっている。

山:白木山(889m)、備前坊山(789m)
川:太田川、三篠川、瀬野川、八幡川、旧太田川、元安川、天満川、京橋川、猿猴川、府中大川
島:似島、金輪島、宇品島(元宇品)、峠島
港湾:広島湾、広島港(旧宇品港)、草津港

「広島」の都市名の由来は、築城を決定した島が三角州の中で最も広いこと由来すると言われている(しかし、実際には2番目の大きさ)。他の説では、毛利氏の祖である大江広元の「広」と、城普請の案内を務め、この界隈の地勢に詳しかった福島元長の「島」を合わせて「広島」と命名したと云う由来もあり、こちらの方が一般的である。
又、「広島」の命名の由来に限らず、広島市には海に関連する由来の地名が多い。

中区
東区 - 1974年合併の旧安芸町域も含まれる。
南区
西区
安佐南区
安佐北区
安芸区
佐伯区

さいたま市

日本の首都である東京の都心部から北に約20-30km、関東平野の中央部に位置する。埼玉県の南東部にあたるが、県内の区分では中央地域とされることが一般的である(県最西部は「西部地域」ではなく「秩父地方」と呼ばれ、その東側即ち県中南部にあたる入間地方、比企地方等が「西部地域」と呼ばれることが多いため)。また、東京から最も近い県庁所在都市である。周辺地域を含めたさいたま都市圏の人口は120.5万人に及ぶ。
関東平野に位置する当市には山岳・丘陵といえる地域は存在せず、全域が台地及び低地からなる。海抜が20mを超える地区は殆どない。荒川の近い市西部に低地が広がるほか、元荒川や芝川、綾瀬川などの中小河川周辺に谷状の地形がみられる。市中央部・東部はこのような低地・谷地を除けば市の北方から市南部に連なる大宮台地上に位置する。主な河川は殆どが北から南に流れており、東西に並列している。
気候はケッペンの気候区分に基づけば温暖湿潤気候(Cfa)に属するが、本州の太平洋側に一般的に見られるように夏季に比べ冬季の降水量が少なく、またその傾向も顕著である。アメダスのさいたま観測点(桜区にある)における1979年-2000年の22年間の記録によると、年平均気温は14.6℃、年間平均降水量は1338.0mmである。
内陸にある市としては札幌市、京都市に次ぐ人口を有する一方、面積は217.49平方キロメートルであり、政令指定都市としては川崎市、堺市に次いで3番目に狭い。ただし、埼玉県内では秩父市に次いで2番目に広い。
東北新幹線と上越新幹線が分岐し、多くの在来線の路線も交錯、また東北自動車道、東京外環自動車道などの高速道路も通過する首都圏北側の交通の要衝といえる。
市街地は浦和駅、さいたま新都心駅、大宮駅といった東北本線沿いの、南北に細長い地域を中心に広がっている。
河川: 荒川・芝川・鴨川・綾瀬川・鴻沼川・笹目川・元荒川・藤右衛門川など
湖沼:彩湖・別所沼・白幡沼

県庁、および県内の主要な教育施設が設置されてきた浦和は数多くの行政施設、文化施設が設置されてきた。一方、新幹線など多くの鉄道の結節点となっている大宮駅を擁する大宮は、交通の要衝であるほか県内最大の商業の集積地であり埼玉県内は元より、東京都、千葉県、栃木県や群馬県からも買物客が多く訪れている。なお2006年度のJR大宮駅の1日平均乗車人員は233,719人でこれは、JR東日本では新宿・池袋・渋谷・横浜・東京・品川・新橋に次ぎ8位である。

旧大宮市
西区
北区
大宮区
見沼区
旧与野市
中央区
旧浦和市
桜区
浦和区
南区
緑区
旧岩槻市
岩槻区

北九州市

九州の北東端に位置し、関門海峡を挟んで本州の下関市と対峙する。市の北側は日本海(響灘)に面し、東側は瀬戸内海(周防灘)に面する。

市域の南側には山地が多く、山間部一帯は北九州国定公園に指定される。カルスト台地で有名な平尾台や、「100億ドルの夜景」で知られる皿倉山などがある。

川:紫川、遠賀川
山:皿倉山、手向山

令制国においては、現在の門司区、小倉北区、小倉南区、八幡東区の東半分は豊前国(企救郡)に属し、戸畑区、八幡東区の西半分、八幡西区、若松区は筑前国(遠賀郡、鞍手郡)に属しており、別の国であった。

1871年8月29日の廃藩置県により、豊前国は小倉県に、筑前国は福岡県となった。しかし、1876年8月21日の府県合併により、小倉県は分割されて大半の地域が福岡県と合併した。それ以降、現在の市域全体は福岡県に属するようになる。

この豊前国と筑前国とも、山口市に拠点を置く西日本最大の大名であった大内氏の時代には、この大内氏により守護されており、文化圏の枠組みでは、九州よりも本州や瀬戸内海岸の文化に影響が強い。また、この界隈の基礎となった八幡製鉄所の建設には、明治の長州閥が深く関わっており、歴史的にも豊前と長州の2地域は密接である。

1889年の市町村制施行により、それぞれが町制を敷き、大正時代に門司市、小倉市、戸畑市、八幡市、若松市が完成した。当時より五市(場合によっては下関市を含めた六市)の合併が提起されていたが、1963年2月10日にこの5市が対等合併、4月1日に政令指定都市となった。五市合併の際、合併後の新市名を住民公募した結果、「北九州市」という名称は2位だった(1位は「西京市」だったが、「西京」の異名を持つ山口市が抗議した為、現在の市名に落ち着いた経緯がある)。ちなみに「北九州」という名称は、この地域を走っていた西鉄の路面電車(2000年11月までに全線廃止)の路線の総称として「北九州市」誕生前から用いられていた。また市内にある北九州市立大学も1950年以来「北九州」を冠していた。

北九州市は、昔から交通の要所でもあり、重化学工業で栄えた都市である。古くから筑豊地方、京築地域、遠賀地方、福岡市周辺はもとより、県外の山口県(下関・宇部)、大分県(中津・宇佐)などの地域との関係は歴史的・文化的に密接である。特に山口県とは歴史的に非常に強い関係があり、文化面・経済面での影響を強く受けている。市内で使われる北九州弁も周辺地域の影響を濃く受けており、市内でも西部と東部で差異が見られる。

北九州市は以下の7つの行政区で構成される。

小倉北区
小倉南区
戸畑区
門司区
八幡西区
八幡東区
若松区
なお小倉北区と小倉南区は以前は小倉区、八幡西区と八幡東区は以前は八幡区だった。

八幡製鉄所を発端に北九州工業地帯を形成し、高度成長期の経済発展の恩恵を受けていたが、その反面、公害対策基本法などの法整備がされていなかった事もあり、公害の多発地帯となった。光化学スモッグは毎日のように発生、洞海湾は「死の海」と呼ばれるほど汚染され、当時の八幡区など周辺地域の学校では、数日たつとプールの水が真っ黒になるほどで、子供や老人を中心に気管支喘息患者も多く発生した。しかしその後、重工業が衰退し、また市全体で環境改善に取り組んだ結果、現在ではかなり好転している。現在、重工業は主要な産業ではなくなり、スペースワールドや門司港駅周辺のレトロ地区などの観光都市への脱皮を図るほか、かつての公害を教訓にリサイクル産業や研究機関を誘致している。

仙台市

仙台市(せんだいし)は、宮城県のほぼ中央に位置する市で、同県の県庁所在地、政令指定都市。北日本では札幌市に次ぐ第二位の人口を有する都市として知られ、東北地方の政治・経済の中心都市である。「杜の都」としても知られている。

広瀬川や青葉山などの自然が都心にあり、また緑が多い事から、「杜の都」の名で親しまれている。河岸段丘に形成された都市の典型で、都市計画はニューアーバニズムやコンパクトシティの好例であるが近年では郊外に人口が拡散している。人口は約103万人で、昼間人口は約115万人に達する。

国から政令指定都市に指定されており、行政面や経済面では第三次産業の占める割合が高く、中央省庁や全国規模の企業の支部が集まっている事から「支店経済都市」となっている。

また、東京都区部と青森市のほぼ中間(双方からともに約350km)に位置している。

仙台市は、東の境界を太平洋(仙台湾)、北の境界を松島丘陵、西の境界を奥羽山脈、南の境界を名取川流域として、宮城県をほぼ帯状に横断する形状となっている。海岸から長町-利府線断層帯までが地質的には新しい沖積平野、その西が沖積平野より少し古い堆積岩類の台地であり、奥羽山脈の稜線近くは新生代に噴出した火山岩で出来ている。船形山、大東岳、神室岳などはいずれも50万年から150万年前に噴火した火山である。


仙台市は奥羽山脈を挟んで山形県山形市と接している。都道府県庁所在地同士が隣接する例は、仙台市と山形市の他、京都市と大津市、福岡市と佐賀市となっている(ただし、仙台市と山形市を直接結ぶ交通手段はJR仙山線仙山トンネル(面白山トンネル)と未舗装の二口峠のみで、その他は両市以外を経由しなければならない)。また、仙台の北東には日本三景の松島(松島町)がある。

山:青葉山、船形山、白髪山、面白山、泉ヶ岳、大東岳、太白山、日和山など
仙台市役所は、市内の野生ニホンザルの頭数を約550匹とみている。
川:広瀬川、名取川、七北田川、梅田川など
沼:五色沼、長沼、大沼など

仙台市は「支店経済都市」であり、また、大学や各種専門学校が集中しているため「学都仙台」とも呼ばれ、全国的に見ても若年者の人口に占める割合は大きい。そのため、支店の従業員の異動や、学生の卒業・入学などにより、年度末に2万人強が仙台を去り、年度始めにほぼ同数が仙台に移住する。近年は、3月・4月に差し引き約6000人総人口が減少し、5月と6月で再び元に戻っている。同様な理由から、第二四半期末から第三四半期始めの9月・10月に人口が減少し、11月に人口が回復する。

日本の近代化の波に乗り遅れた東北地方では、他の地方と比べて産業が乏しかったため、田中角栄政権以降、公共事業に大いに頼って来た。そのため、東北6県では県庁が肥大化して、県内最大の「企業」の地位にのし上がることとなり、その「企業城下町」である県庁所在地の都市化が進んだ。中でも宮城県は、他の県に比べて面積は小さく、自然障壁の少ない仙台平野に県民の大半が住んでいたため、仙台市に県の機能が集中し、爆発的に都市化と一極集中が進んだ。

仙台では、近年の公共事業費等の削減と支店の整理統合などにより、以前のような社会増(転入超過)傾向はなくなり、社会動態における転入・転出はほぼ同数となっている。そのため人口増加は自然増に依存しており、近年は数千人/年程度の増加で留まっている。また、仙台市に隣接する富谷町・利府町・名取市などの宅地開発が進んでおり、これも転出増の原因となっている。平成16年度は社会動態が減少(転出超過)に転じたため、少子化傾向とあいまって、数年後には人口減少が始まるとみられている(転出先のトップは東京都)。

千葉市

千葉市(ちばし)は、千葉県の北部に位置する都市。同県の県庁所在地で政令指定都市及び業務核都市。県内交通の要衝であり、市域には多くの国道や高速道路が集まり、また県内鉄道網の要となっている都市である。

県のほぼ中央部に位置し、東京都心へおよそ40kmの地点にある。地形は、臨海部および各河川下流域に広がる平地と、周辺部の台地・谷津から構成される。郊外や臨海部を中心に大規模な住宅団地が多くある一方、花見川区、若葉区、緑区などの周辺部には自然が多く残されている。かつての海岸線は現在の国道14号・国道357号・国道16号をなぞる線にほぼ等しく、遠浅の海が広がっていたが、昭和期以降の大規模な海面埋立により新たに広大な土地が誕生した。美浜区のほぼ全域及び中央区の一部がこれに該当する。現在の海岸線は中央区部分ではほぼ工業施設または港湾で占められている一方、美浜区部分には長大な人工海浜(いなげの浜、検見川の浜、幕張の浜)も造成されている。

千葉市は以下の6区で構成されている。

中央区
花見川区
稲毛区
若葉区
美浜区
緑区

千葉市の中心市街地は千葉駅(JR・京成)から千葉中央駅(京成)、本千葉駅(JR)周辺、幕張新都心近辺に位置する。 千葉駅から千葉中央駅周辺には千葉都市モノレールや企業のオフィスビルや銀行などが立ち並び、百貨店はそごうや三越、パルコなどが林立する。また市街地中心部に位置する中央公園は市民の憩いの場として様々なイベントが行われている。JR千葉駅の駅ビルにはペリエが入居する。京成千葉中央駅の駅ビルにはミーオが入居し、奥の東口には京成ホテルミラマーレが入居する。周辺地域も含めた千葉都市圏の人口は172万人に及ぶ。

堺市

堺市(さかいし)は、近畿地方の中部、大阪府の中南部に位置する市である。

大阪府では人口・面積が第2の都市である。2006年4月1日に、日本で15番目、近畿地方では4番目、大阪府でも大阪市に次いで2番目の政令指定都市に移行した。

昼間人口より夜間人口のほうが多いために、大阪市のベッドタウンと位置づけられている。

市の西部は平坦で、古くからの工業地や商業地が多く市街化が進んでいる。大阪湾に面する北西部は新日本製鐵堺製鐵所を始めとする「堺泉北臨海工業地帯」と呼ばれる工業地域である。

浜寺昭和と諏訪ノ森は屋敷や別荘が建ち並ぶ高級住宅地であり海浜リゾート地であった。今は浜寺沖の埋め立てと重工業コンビナートの形成により、この地域の高級感は少し衰えをみせる。

中央部は大阪市の上町台地から続く高台(三国ヶ丘台地)で、上野芝にはその地形を生かして戦前、阪和電鉄により「向ヶ丘」「霞ヶ丘」の住宅地が開発された。また、戦後は新金岡や中百舌鳥などに大規模団地が建設され、1970年代には北東部の市街化も進んだ。

南東部の初芝と大美野は戦前に住宅地として開発されたが、周辺は緩やかな台地と田園地帯で農地も多く残る。南部は丘陵地となっており、泉北ニュータウンが広がっている。

堺商人が全国で活躍した証しとして、旧城下町から発展した都市には「堺町」もしくは「栄町」という地名が今も残っている。

「堺町」もしくは「堺丁」がある都市 - 岸和田市、大和郡山市、和歌山市、姫路市、津山市、倉吉市、広島市、高知市、北九州市(旧小倉市)
「栄町」もしくは「栄」がある都市 - 会津若松市、千葉市、佐倉市、甲府市、金沢市、福井市、静岡市、浜松市、名古屋市、岐阜市、彦根市、岡山市、浜田市、徳島市、久留米市、佐世保市
「堺筋」がある都市 - 大阪市、富田林市

2005年2月1日に東隣の美原町を編入合併した。この編入合併によって政令指定都市の実質上の要件である80万人を超えたため、2006年4月1日に政令指定都市へ移行した。周辺地域も含めた堺都市圏の人口は132万人に及ぶ。

なお、隣接する高石市や大阪狭山市とも合併を予定していたが、2003年に高石市で合併の是非を問う住民投票が行われ、反対多数により堺市との合併問題研究協議会は解散。大阪狭山市では合併協議会設置が議会で否決された。合併はならなかったが、旧和泉国大鳥郡のうち唯一堺市域でない高石市とは市外局番が同じ(072局・堺MA)であり、現在も消防事業は共同で行っている(堺市高石市消防組合)。また、大阪狭山市内には堺市の飛び地が存在する。

複数の政令指定都市が存在する都道府県は、これまでにも神奈川県(横浜市、川崎市)、福岡県(福岡市、北九州市)の2つだけしかなく、堺市の政令指定都市移行により、全国3府県目の事例となる。2007年4月に浜松市が政令指定都市に移行したため、現在は静岡県(静岡市、浜松市)を含めて4府県となった。

今後は、政令指定都市・自由都市である堺をもっとアピールしていくために、仁徳天皇陵の世界遺産への登録を実現する動きが課題となっている。

次の7区が設置されている。詳細は各区の項を参照のこと。

堺区
北区
西区
中区
東区
美原区
南区

堺東駅
高島屋 - 1964年、大阪市外で最初の百貨店として開店。堺東駅ビルの改築工事の一環として入居した。1984年に開業20周年を迎え店内を改装。店舗を拡張して「アップル専門店街」を併設した。以後、高島屋とアップル専門店街で「堺タカシマヤショッピングセンター(SC)」を構成する。2002年にアップル専門店街を高島屋が統合する形で新たな「高島屋堺店」となり、ソフマップをテナントに入れるも2年で撤退。現在はユニクロやABCマートなどをテナントに入れている。なお地下レストラン街は、現在もアップルの名称やロゴ(upル)をそのまま使用している。
ジョルノ - 戦後の闇市を起源とする「堺中央マーケット」の老朽化が進んだため、1981年に行政と組合が開発主体となり再開発ビル「ジョルノ」として生まれ変わった。開業以来、核店鋪にはダイエーが入居していたが2001年に閉店。現在は核テナントとして生鮮館PASTO、キャップ書店、ダイソー、ハローワークなどが入居している。堺東駅とはペデストリアンデッキで結ばれている。
堺銀座商店街 - 明治時代に高野鉄道が開通した時からある古い商店街。戦後、旧市内の商店が空襲に遭い打撃を受けたことや、堺東に市役所など官庁が移転してきたことで、堺の中心商店街としての地位が高まった。1953年にアーケード(ビニール式)が完成。1988年にはモスク型のアーケードに生まれ変わった。ここ数年は、堺市の支所制度導入に伴う堺東の地位低下もあり、かつてのようなにぎわいはない。人気フォークデュオ、コブクロがインディーズ時代に路上ライブを行っていた地でもある。一時、空きビルに場外馬券場を誘致しようという動きがあったが、住民の反対運動により計画は潰れた。
宿院駅
江戸時代から住吉大社頓宮と開口神社の門前町として栄えた。明治時代には劇場街となり、なかでも「卯の日座」は堺最大の劇場として有名だった。1891年には新派の川上音二郎一座が書生芝居の旗揚げ興行を行ったほか、曾我廼家五郎も一座を旗揚げ後、「卯の日座」で最初の興行を行った。山之口商店街は、戦前までは「堺の心斎橋」と称され、「電気館」など映画館も数多くあり大いににぎわったが、戦後は衰退の一途である。また、大小路筋を挟んで北側の通称「天神」は、菅原神社の門前町として歓楽街を形成。現在も飲食店が軒を連ねる。
堺駅
1985年に現在地に移転、高架駅となるまでは、現在の南口に駅舎があった。1986年にイトーヨーカドーが駅前に出店(関西1号店)した。駅ビルに隣接する商業ビルは、入居する核テナントの誘致計画(西武百貨店やダイエー系のプランタンなど)がことごとく頓挫し、高架駅にしては不釣合いな駅舎のまま長年放置されていた。結局、南海電鉄がミドリ電化や紀伊國屋書店(現在は旭屋書店)、食品スーパーのエース新鮮館などからなる自前の複合商業施設「PLATPLAT(プラットプラット)」を2000年に開業した。1993年には西口にリーガロイヤルホテルが開業。大阪市営バスも乗り入れるようになった。

熊本市

熊本市(くまもとし)は熊本県の市で、同県の県庁所在地、中核市である。

人口は約67万人(九州全体としては福岡市・北九州市に次いで3番目)、面積は266km²で、中九州地区、もしくは広義の南九州地区最大の都市である。日本三名城の一つである熊本城を有し、熊本藩細川氏54万石の城下町として発展した。九州の地理的中心に近い位置にあることから、戦前は陸軍第6師団や国の出先機関が置かれ、軍都・行政都市として栄えた。戦後中心的機能の多くは福岡市に移ったが、現在でも財務局や国税局など一部の国の出先機関や陸上自衛隊西部方面総監部、郵政公社などが置かれている。相次ぐ周辺町村との合併で市域を拡大し、1977年には人口が50万人を突破。1991年には北部町・河内町・飽田町・天明町と合併し、現在の市域となり、人口は60万人を超えた。1996年には、改正地方自治法に基づく最初の中核市の一つとなる。

緑に恵まれており、「森の都」[1][2]と呼ばれる。また、豊富な地下水や中心部を流れる3本の川白川・坪井川・井芹川から「水と森の都」とも呼ばれ、都市計画にも自然と共存した街づくりが盛り込まれており、日本有数の田園都市として発展を続けている。

2010年度末に九州新幹線(熊本駅)の開業が予定されている。

福岡市から南へ約110km、鹿児島市から北へ約180km、熊本県の中央部よりやや北側に位置している。

旧城下町を中心に市街地が発展してきた。熊本城の東側には上通、下通、サンロード新市街と呼ばれる中核市最大規模のアーケード街が1km以上にわたって連なり、その周囲に中心市街地が形成されている。他の九州各県は駅周辺にアーケード街があるのに対し、熊本駅の周りにはない。従って、徒歩、もしくは市電等を利用して中心街へ出る必要がある。市役所、日本郵政公社九州支社、日本最大規模のバスターミナルである熊本交通センター(1日6,012本)、2つの百貨店などがある。

阿蘇外輪山へと続く市の北東部や東部は、一部に立田山や託麻三山、白川沿いの河岸段丘など起伏のある地形もあるが、全体としては阿蘇の火山灰土からなるなだらかで農地や住宅地に適した丘陵地となっているため、国道57号沿線の健軍地区~帯山・長嶺地区~武蔵ヶ丘地区を軸に住宅地が広がっている。熊本市の人口は中央部とともに東部に集まっている。

市の南東部~南部は熊本平野の一角をなし、平坦な風景が広がる。江津湖の南側から加勢川沿いの田迎・御幸・川尻周辺にかけては低湿地であり、以前は大雨が降ると浸水する被害もでていたが、排水設備が整備された現在では宅地化も進んでいる。旧来からの広々とした田園風景も残っており、所々に小川やクリークなども見受けられる。飽田・天明地区は主に干拓によって拓かれた田園地帯である。

市の西側は有明海(島原湾)に面し、白川や坪井川が注ぎ込む。海は遠浅で港湾とするのに適しておらず、臨海部はほとんど工業化・都市化していない。わずかに沖合に人工島を造成し熊本港が建設され、長崎県島原市や天草市との航路が設定されているが、周辺土地の分譲はほとんど進んでいない。市の北西側には金峰山 (665m) ・二の岳 (685m) などがそびえ、その東麓は中心部から伸びる住宅地と森林が入り交じり、夏目漱石に「森の都」と呼ばれた風情を今も見せている。

東方にそびえる阿蘇外輪山一帯に降り注いだ雨は地下に浸透し、30~40年かけて平野部に達する。この豊かな地下水によって熊本市の水道水はまかなわれ、水前寺公園や江津湖などにも湧出している。なお、世界の50万人以上の都市で、水道水源を100%地下水だけでまかなっているのは熊本市だけと言われている。しかし、近年は田畑の耕作放棄、森林の管理放棄などによる涵養地の減少や工場の取水などのため、地下水位は低下しつつある。

名所・旧跡・観光スポット
熊本城
加藤神社
監物台樹木園
熊本県立美術館
熊本博物館
熊本県伝統工芸館
旧細川刑部邸……細川藩主一門で重臣の長岡刑部家の下屋敷を移築保存したもの。
藤崎台県営野球場
北岡自然公園……花岡山の麓、細川家の菩提寺・妙解寺跡にある公園。熊本県の重要文化財に指定されている細川家の霊廟があり、文豪・森鴎外の小説のモデルとなった阿部一族の墓もある。園内には、枯山水庭園やバラ園があり市民の憩いの場として親しまれている。
島田美術館……熊本の武人文化に関する歴史資料や古美術品を収蔵している美術館。特に細川家の客将で剣豪の宮本武蔵ゆかりの武具・遺品、書画などを展示する常設展示が充実している。
釣耕園・叢桂園……釣耕園は細川綱利が作った「お茶屋」と呼ばれる別荘の1つ。庭園は飛石を配した広い池に山渓を取り入れたもので、4月下旬から5月上旬ごろには、しゃくなげが花をつける。庭園の奥には熊本出身の政治家・安達謙蔵が建てた三賢堂がある。釣耕園の下手にある叢桂園は、釣耕園の水を引き曲水をつくり、その下手に中国の洞庭湖に模した池を設けた。その北には簡素な茶室がある。頼山陽などの文人が訪れた。
本妙寺……加藤家の菩提寺で日蓮宗の名刹。加藤清正の命日である7月23日、頓写会(とんしゃえ)が行われ、この日は明け方近くまで多くの参詣者で賑わう。山門は「天下の寄付魔」小林徳一郎の寄進。
金峰山……本妙寺の背後にそびえる山。山頂からは熊本平野、阿蘇山、有明海、島原半島、天草諸島などを一望に見渡せる。
小萩園……金峰山県立公園内にあり、春には63種類、約300本の桜が咲き誇る桜の名所。開花時期の3月下旬から4月上旬頃は、全国から取り寄せられた、八重の黄桜、薄紅の天の川、淡紅色の二度桜など、珍しい品種の桜を鑑賞できる。
雲巌禅寺……金峰山の西麓にある曹洞宗の寺。宮本武蔵は裏山にある霊巌洞にこもって兵法書「五輪書」を著した。雲巌禅寺から霊巌洞に至る岩山を削った細道には、五百羅漢が安置されている。
熊本市現代美術館……熊本の中心市街地の複合ビル「びぷれす熊日会館」内にある都市型美術館。企画展示を行うメインの展示ギャラリーのほか、井手宣通ギャラリー、美術図書室でもあるホームギャラリー、メディアギャラリー、キッズファクトリーなどの施設がある。また、展示室だけが美術を鑑賞する場所ではないという観点から、国際的に活躍するジェイムズ・タレル、マリーナ・アブラモヴィッチ、草間彌生、宮島達男による作品が様々な場所に設置され、人々にアート体験を提供している。
夏目漱石内坪井旧居
藤崎八旛宮(藤崎宮)……市内最大の伝統行事藤崎八旛宮秋季例大祭が催される。敬老の日(9月第3月曜日)の最終日に行われる「随兵」行列と「飾り馬」の奉納で有名。
立田自然公園……立田山の麓の森に囲まれた自然公園。細川家の菩提寺・泰勝寺の跡地で、細川家の私邸が隣接する。園内には近世細川家初代幽斎(藤孝)夫妻と二代細川忠興・細川ガラシャ夫妻の四つ御廟をはじめ、藩主や歴代住職の墓がある。
桜山神社……明治9年(1876年)に熊本で起こった神風連の乱で敗れた太田黒伴雄ら志士たちを祀る神社。境内に神風連資料館がある。
熊本国際民藝館
武蔵塚公園……宮本武蔵が眠る武蔵塚につくられた公園。
水前寺公園……細川綱利が造営した桃山式回遊庭園。東海道五十三次を模したといわれる。細川幽斎が八条宮智仁親王に古今伝授を行った古今伝授の間が移築されている。
江津湖
熊本市動植物園
四時軒……勝海舟が西郷隆盛と並び賞した幕末の偉人横井小楠が営んだ私塾。現在は横井小楠記念館付属の建築物という形で保存され、小楠に関する資料のほか、勝や西郷、吉田松陰などの小楠にゆかりのある人々の書も展示されている。坂本竜馬は小楠をここに訪ねて教えを受けている。
大慈禅寺……曹洞宗の開祖である道元の高弟で順徳天皇の皇子である寒厳義尹禅師によって開山された曹洞宗の名刹。寒厳義尹文書四幅や梵鐘といった、国の重要文化財に指定されている貴重な寺宝が保管されている。境内には種田山頭火の句碑も建てられている。
フードパル熊本
熊本競輪場
健軍神社・・・・・・阿蘇四社の1つ。

岡山市

岡山市(おかやまし)は、中国地方の南東部、岡山県の南部に位置する都市で、同県の県庁所在地、中核市である。中心部は旧御野郡。 人口は約70万人で2009年の政令指定都市への移行を目指している。

桃太郎と吉備団子で知られ、日本三名園の一つ後楽園を擁する都市である。後楽園を擁する中心部と、「吉備路」の田園や吉備高原の一角の中山間地域が広がる郊外とでは、対照的な佇まいを見せる。

瀬戸大橋の開通に伴って交通インフラが急速に整備され、岡山都市圏は周辺都市圏と共に東瀬戸経済圏を形成するに至っている。

隣接する自治体
岡山県:倉敷市、玉野市、総社市、備前市、瀬戸内市、赤磐市、加賀郡吉備中央町、久米郡久米南町、美咲町、都窪郡早島町
香川県(海上で隣接):小豆郡土庄町

市長 髙谷茂男(2005年10月11日~。1期目)

民間出身(元サンヨープレジャー、おもちゃ王国、チボリ・ジャパン(倉敷チボリ公園の運営会社)社長)
元通産省職員で、1999年の市長選に自由民主党と社会民主党の推薦で初当選した前市長萩原誠司が、自由民主党の要請で2005年の衆議院議員総選挙で岡山2区から立候補するため、2期目途中の2005年8月25日に市長を辞職したのに伴い実施された、2005年10月9日投開票の市長選挙に自由民主党・社民党の推薦を受けて立候補し、初当選を果たした。
総選挙、岡山市長選とも前衆議院議員熊代昭彦氏に自由民主党が対抗馬を出した形となっている。

岡山県南百万都市構想
「昭和の大合併」の時期に提唱された政令市を念頭に置いた合併構想。1巡目の岡山国体前年の1961年当時、岡山県知事だった三木行治が打ち出したもので、邑久町(現瀬戸内市)から鴨方町(現浅口市)、南は児島半島までの33市町村による大規模合併であった。成立すれば人口が90万人となり、県の人口の半分を占める数であった。関係市町村議会の議決後(岡山市においては昭和37年(1962年)12月17日、22対16の賛成多数で議決)、ほとんどの首長らの署名が行われた段階で、倉敷市長が署名を行わないまま一時失踪する騒動が発生。これにより合併の中心的存在だった岡山市、倉敷市、児島市(倉敷市児島)が合併協議から脱退するに至り、これら3市の市長が合併を知事に申請しなかったことにより構想は時間切れで頓挫した。頓挫した後は、まず岡山市と倉敷市に周辺市町村を合併し、その後岡山市と倉敷市を合併する二段階の合併によって構想の実現を目指したが、その実現には至らなかった。

相模原市

相模原市(さがみはらし)は、神奈川県北部にある市。

相模原市は、神奈川県内では横浜市、川崎市についで第3位の人口規模を擁する中核市。2007年3月11日の2町の編入合併により人口は70万人を越え、全国で第19位、政令指定都市でない市では岡山市を抜いて日本一人口の多い市となった(人口約85万人の東京都世田谷区を一つの市とみなさない場合)。現在、2010年3月末までの政令指定都市移行を目指している。

経済面や鉄道・道路などの地理上、東京都・特に多摩地域とのつながりが強く、町田市と共に首都圏南西部の核として国から位置づけられている(首都圏業務核都市指定都市)。しかし、東京都心まで電車で約35分程度(相模大野より小田急小田原線の快速急行の場合)であり、ベッドタウンの面が強く、業務機能の集中は弱いのが現状である。そのため、全国で唯一、中心市街地法で都市核が複数(橋本・相模大野)認められている都市であり、ヘソのない街として知られる。

2006年3月の合併以前の旧相模原市域は、隣接する町田市との経済的、地理的、文化的関わりが深く、共に業務核都市に一つの都市として指定されている。近年、東京都心へ旧市域南部の相模大野から30分ほど、旧市域北部の橋本から35分ほどで行けるその交通の利便性から、東京のベッドタウンとしての人気が高まり人口が爆発的に伸びる。特に20代、30代、50代周辺の人口が多く、市全体を活気ある雰囲気にしている。市内には相模原公園や相模原北公園をはじめとした大規模な公園が点在していることや、比較的自然な環境が近いことなどから若年世帯を中心とした人口の流入が続いている。市内に大学が多いことや、周辺都市の大学も相模原市内の駅を最寄とする場合が多く、更に多数の大学を抱える八王子市への交通が便利なため、学生の街としての顔も併せ持つ。また、市内には宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究本部相模原キャンパス(開所時は宇宙科学研究所)があり、日本の宇宙科学の研究拠点として知られる。

また編入した旧津久井郡4町のうち、城山町と津久井町は橋本駅を最寄り駅として利用しており、国道413号(津久井街道)を介して相模原市中心部との結びつきがあるのに対し、相模湖町と藤野町は相模原市中心部よりも、JR中央本線や国道20号(甲州街道)を介して、八王子市との結びつきの方が強い。

相模原市の小売店舗数は、県下で第4位。年間販売額は、横須賀市を抜き、横浜市、川崎市に次いで第3位。4300店あまりの小売店が市内各所に活気ある商店街を形成している。「暮らしのニーズに応える高感度商業の振興」をメインテーマに、商店・商店街の活性化、ベンチャー企業の創出、魅力ある商業地づくりなどが目指されている。

市民ニーズに対応できる多様で個性的な商業地を形成する目的で、橋本・相模原・相模大野各駅周辺地区が中心商業地に、淵野辺・上溝・小田急相模原・東林間・古淵各駅周辺の地区が地区中心商業地に位置付けられている。相模大野駅西側、小田急相模原駅東側では現在、再開発が計画されており、一部では事業が始まっている。また、再開発が一段落した橋本駅北側でも、さらに超高層マンションの計画や、南側が緊急都市再生地域に指定されたことによる再開発計画が検討されている。

市内全域に蕎麦屋チェーンである「増田屋」の数が多く、店舗数は「吉野家」や「マクドナルド」と競る多さである。

市内にある企業規模に比べ、ビジネスホテルの数が少ない事から、遠方より出張に来るサラリーマンはあまりいないものと思われていた。だが、2007年6月に「東横イン」が相模原駅前にオープンする予定である。

相模原駅、小田急相模原駅周辺及び町田駅南側の相模原市域の裏路地は風俗店が乱立している。

また、相模原市は人口構成、人口伸び率、立地などの観点から新規出店や新発売商品のマーケティング実施地域として有名で、中でも国道16号線沿線は郊外バイパスのロードサイド商業施設の「激戦区」とされ、全国展開の成否を占ううえでの試金石とされることが多く、様々な商業施設の日本第1号店が市内各地にある。(例:BOOK OFF)

相模大野駅周辺地区の商業は、近くに相模女子大学、北里大学、女子美術大学などがあるため、学生の購買力を期待しがちだが、実のところ購買力はほぼ期待できず、撤退/開店が繰り返されている。これは、駅ビルの商業形態が幾度も変更された事でも証明される。

知る人ぞ知るラーメンの町
アイワールド相模原店~市役所周辺にある「中央大通り」周辺に、2006年12月に出来た相模原拉麺横丁を核に、かなりの数のラーメン店が点在しており、別名「ラーメンストリート」の異名を持っている。(ジャンルを選ばず古今東西のラーメン店があり、不人気店は廃業に追い込まれる事から、ラーメンコロッセオとも呼ばれる。)また、ラーメン情報誌等でも、旧相模原市全域に渡りラーメン激戦区とかラーメン王国と記される事がある。(中央大通りを核にまばらながら味自慢の有名ラーメン店が放射状に分布していて、北は橋本・城山周辺、南は淵野辺周辺、西は田名・愛川町方面、東は八王子市南大沢付近にまで伸びている、また相模大野や町田駅周辺にも別のラーメンエリアが存在する。)全国各地の有名店の暖簾分けの店も多く進出し、またその味を求め週末は全国からラーメン愛好家達が集結する。

浜松市

浜松市(はままつし)は、静岡県西部にある中心都市。2005年7月1日の12市町村に及ぶ合併により、人口と市域面積は県内で最大となった。2007年4月1日に政令指定都市へ移行した。戦国時代には城下町、江戸時代には宿場町として栄えた。外国人が、3万人以上いる。隣接する豊橋市・磐田市も外国人が多い。

古代にあった浜名湖東岸の浜津郷から。また、中世に浜松と呼称されるようになったことが、史書にもある。引馬(ひくま)という地名も浜松を指していた。徳川家康が、浜松城を本拠として、引馬(曳馬)を浜松と改めたことで、以後、浜松として定着する。

南部の平野と北部の山間で構成され、面積は、高山市に次いで全国で2番目に広い。豊かな自然に囲まれており、北部は赤石山系、東部は全国でも有数の流域を持つ天竜川、南部は広大な砂丘からなる遠州灘、そして西部は浜名湖と四方を異なる環境に囲まれているため、市内各所に舘山寺や奥浜名湖、弁天島、白倉峡など数多くの多種多様な景勝地がある。

平野部の気候は温暖で、2月でも晴れた日には上着なしで外出できる日もある。しかし、「遠州の空っ風」と呼ばれる強い季節風が吹くため、気温以上に寒く感じられる日も多い。山間部は夏になるとフェーン現象により、全国一の高温を記録することもある。山間部の旧水窪町が豪雪地帯に指定されている一方、沿岸部の旧浜松市は降雪量累計の平年値が0cmであるなど地域差が大きい。

主な農産物
菊 田原市(愛知県東三河地方)に次ぐ、全国屈指の菊の産地。遠州地方の花卉の主力品目。静岡県全体の70%を、浜松市で生産している。
みかん 主要な作目の一つとなっており、「浜名湖みかん」というブランドで全国に出荷されている。特に旧三ヶ日町のみかんについては品質が優れていることから「三ヶ日みかん」というブランドが別に与えられ高値で取引されている。
ネーブル 県で全国1位、内60%を三ヶ日と細江で生産する。細江の白柳ネーブルは高品位、高級で知られる。
ガーベラ 南アフリカ原産の花で、全国23%のシェアをもち、産出額では全国1位を誇る。
セロリ 全国1位の産出額を誇る。
チンゲンサイ 浜名湖東岸での生産が盛んで、産出額は全国1位である。
植木 浜北区は全国でも有数の植木の産地である。
ジャガイモ 三方原では、ジャガイモの生産が盛んで、県1位の産出額である。北海道などの主要産地より収穫期が早く高品質であるので端境期の高級食材として有名シェフ等に利用されている。
温室メロン ビニールハウスを使った高級な温室メロンの生産が盛んである。
米 多くの水田があり、県内1位の順位を誇る。
タマネギ 郊外の篠原地区では、特に早生玉葱の生産が盛んで、日本一の早期出荷地として広く知られている。県で全国6位。その大半を篠原で生産する。
エシャロット 生食用のラッキョウを軟化させた名産品の1つで、南部の砂地を生かして生産される。産出額は全国1位である。
ミツバ 大久保町中心に大規模施設で作られる。自動制御、生産管理された近代的な水耕栽培システム。
パセリ 県で全国3位、その内70%を生産。浜名湖東岸一帯と、天竜川西岸一帯で栽培される。
次郎柿 浜北区大平を中心に生産。大きくて甘みが大変強く、四角いのが特徴。
サツマイモ
緑茶 天竜区天竜町・春野町は、遠州地方では旧小笠郡(掛川市、牧之原市など)に次ぐ緑茶栽培の中心地区となっている。「遠州山のお茶」という統一ブランドを持つ。渋味とほのかに残る甘味。
ダイコン 三方原台地を中心に生産。遠州焼き(遠州お好み焼き)の具に必ずたくあんが入るのはこのためと言われている。
葉葱 葉葱の生産が中心。尚、天竜川より東の磐田市は白葱が中心である。
ピオーネ 県内生産の40%を占める。主に都田地区周辺が産地。ピオーネは伊豆半島で生まれた種。
フリージア 静岡県の生産額は全国第一位、その内約95%を、庄内地区で生産している。
ホオズキ 全国の9割を生産する。
牛、豚などの畜産業
天竜杉などの林業 一帯は天竜美林と呼ばれ、吉野・尾鷲と並ぶ日本三大美林の一つに数えられる。天竜杉は独自の赤みを持つ。天竜区など。
シイタケ 天竜区で生産される。原木で育てられる高級品。
イチゴ あきひめや紅ほっぺといった品種が細江や和合などで生産され、県内各地に出荷されている。
ナシ 北区の聖隷三方原病院周辺や浜北区に梨農家が集まっており、夏から秋にかけて豊水や幸水、菊水など多種多様な品種が生産されている。スーパーなどにはほとんど出回らず農家の直売が主な販路。

鹿児島市

鹿児島市(かごしまし)は、九州南部に位置する市であり、鹿児島県の県庁所在地である。 鹿児島湾西岸の市街地から桜島を望む景観が、ナポリからヴェズーヴィオ山を望む風景に似ている事から、「東洋のナポリ」と呼ばれる。

南九州エリア(鹿児島県、宮崎県南部)の中心都市であり、古くは薩摩藩の城下町として栄えた。1889年4月1日に日本で最初に市制を施行した31市の一つで、現在は福岡市、北九州市、熊本市に次ぐ九州4位の人口を擁する。また、県人口の約三分の一が集中している首位都市でもある。九州新幹線の完全開業により更なる発展が期待されるが、もともと鹿児島市は地理的要因により一極集中型の地域ブロックの拠点都市として発展してきた側面もあり、北部九州と短時間で結ばれるようになることで、鹿児島県エリア拠点機能の喪失(福岡、熊本への統合)や商業面におけるストロー効果などのマイナス面も懸念されている。

九州の南端部近く、福岡市から南へ約280km、熊本市から南へ約180kmの場所に位置し、鹿児島県内の薩摩半島の北東部および桜島全域を市域とする。鹿児島湾(錦江湾)を望み、桜島などに年間約900万人の観光客が訪れる観光都市でもある。

平野部の大部分が商業地域、住宅地域、工業地域に占められ耕作地域はほとんどない。市街地に近い傾斜地や山間部の多くも宅地開発され団地やニュータウンが数多い。しかし、都市の発展に道路開発が追いついておらず、朝夕はいずれの幹線も渋滞が激しい。特に、谷山地区からの通勤渋滞は酷く大きな課題となっている。

市域中心部の対岸(直線距離約4km)に位置する桜島は、1980~90年代に比べればかなり沈静化しているが、現在もなお活発な火山活動を続けており、市中心部にもしばしば降灰する。活火山を抱えながら、これだけの人口規模を有する都市は世界的にも稀である。

山: 城山、多賀山、桜島、八重山、花尾山、上宮岳、三重岳、三方塚山、雄岳
河川: 甲突川、稲荷川、脇田川、新川、清滝川、永田川、神之川、川田川、思川
火山に近く泉源数が多い為、市内の入浴施設の殆どが温泉である。
新島(しんじま)
桜島の北東部約1.5kmにあり、鹿児島市唯一の有人離島である。島へは鹿児島市高免町の浦之前港から行政連絡船によって渡る。
面積:0.13km² 周囲約2km 人口:4世帯6人 住所:鹿児島市新島町

船橋市

船橋市(ふなばしし)は、千葉県北西部に位置する都市。中核市に指定されている。

市域の中央部一帯は標高20-30mの平坦な洪積台地で下総台地の一部である。最高所は習志野台5丁目の標高31.2m。下総台地は西部を南流して海に注ぐ海老川、東北部は東流して印旛沼に注ぐ神埼川その他の小河川があり、主に海老川水系と印旛沼水系(神崎川水系)の分水界を形成している。
河川による樹枝状侵食谷には谷津田(谷戸)が営まれ、台地上は林と畑であった。現在は台地上に住宅団地も広がる。
その先の最も海寄りの地域は沿岸流によって形成された砂丘地帯で、海神・宮本の台地をおおい、市川から千葉へと続く。
台地と砂丘の間の低地は沖積平野で、天沼・蓮沼がある。
遠浅の海岸であったが現在は殆ど埋め立てられている。

南部は商業施設や工場が多く、中部は住宅地が開発されて人口が多い。北部には農地もあり、米はじめ多くの種類の農産物が栽培されている。特にニンジンや梨の栽培が有名である。
ラムサール条約登録運動のある三番瀬(『さんばんぜ』と読む)がある。
船橋駅からやや東より、京成電鉄の大神宮下駅と船橋競馬場の間に東経140度の経線が通る。国道14号線沿いには、そのことを記した標識がある。
船橋市には隣接する市川市との間に市境の未確定地(どちらの市にも属していない土地:境界未確定地)がある。場所はふなばし三番瀬海浜公園近くの海岸(砂浜)。未確定分の面積は0.14km²。また、丸山地区は鎌ヶ谷市に囲まれた飛地の状態で存在している。

隣接している自治体
千葉県 - 市川市、習志野市、鎌ケ谷市、白井市、八千代市

河川
海老川、長津川、前原川、飯山満川、北谷津川、金杉川、高根川、念田川、宮前川、坪井川 (千葉県)、駒込川 (千葉県)、桑納川、木戸川 (新川水系)、三咲川、金堀川、鈴身川、二重川、二和川、葛飾川、木海川、神崎川、田喜野井川、二俣川 (千葉県)、海神川、南海神川

伝説では、 日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の折、川を渡るために船で橋を作ったのが地名の由来とされている。市内を流れる海老川(現在よりも水量、川幅があったとされ、現在は陸地であるが夏見干潟と呼ばれる大きな入り江があり、湊として栄えていたという)に船を並べ、その上に板を渡し橋を造った。そのような船で造られた橋の事を「船橋」と言うことから船橋となった、というのが最も有力な説。
船橋という地名が世間で言われるようになったのは鎌倉時代とされており、鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」に『船橋』という地名が出てくる。

八王子市

八王子市(はちおうじし)は、東京都の島嶼部を除く地域の南西部に位置する市で、中核市の要件を満たす、多摩地域の中心的な市の一つである。国からは業務核都市、東京都からは多摩の「心(しん)」として位置づけられている。人口全国第24位、東京都内では特別区に次いで第2位、全国の政令指定都市及び候補市(市町村合併の結果人口が70万人を越えた市)を除くと全国第5位の市。2007年4月に保健所政令市に移行した。

戦国時代には城下町、江戸時代には宿場町として栄えたことに加え、多摩地域内で最も早く市制施行したことや南多摩郡の郡役所所在地であったことから、多摩地域や南多摩地域の中心的都市とみることもできる。また、かつて絹織物産業・養蚕業が盛んであったために「桑の都」および「桑都(そうと)」という美称があり、西行の歌にも「浅川を渡れば富士の影清く桑の都に青嵐吹く」と詠まれている。国産ネクタイ地の製造シェアは日本一である。

八王子市は東京都の島嶼部を除く地域の南西部、都心から約40kmに位置している。

市域全体を概観すると、山地・丘陵を三方の周縁とし、東へ流れる浅川を中心に、八王子盆地と呼ばれる東にひらけた半盆地状の複合扇状地をなしている。かつてその扇状地は桑畑として利用されたが、現在では住宅地や工業用地として転用されほとんど見ることができない。西部の山地に源を発する浅川は市の中央部付近で南浅川と合流し市の中心域を流れ、川口川と合流、日野台地のせり出しを受けて東南に下り、山田川、湯殿川と合流して日野市へと向かう。その他の主要河川である北部の谷地川、南東部の大栗川はそれぞれ市の外で多摩川に合流する。中心部の標高は海抜100m前後である。(市内最高所は醍醐丸=上恩方町、標高862.7m、最低所は大栗川=大塚、標高63.0m)

中世から近世・近代に至るまで東西を走る甲州街道と、川越・桐生・日光(日光脇往還)など関東北西部、小田原・鎌倉・横浜(浜街道)など南西部・南東部を結ぶ街道が交差する交通の要衝であった。とくに江戸時代には、甲州街道の宿場町として栄えた。

現在でも、国道20号(甲州街道)と横浜から川越方面へと向かう国道16号(東京環状)、そして青梅を経て甲府へ向かう国道411号(滝山街道、青梅街道)の交点である。また、八王子ジャンクションにより中央自動車道と首都圏中央連絡自動車道との交点でもある。

鉄道輸送においてもJR中央本線と横浜線・八高線の交点として、またJR貨物八王子総合鉄道部や京王電鉄の始発駅2駅を抱え、主要拠点となっている。

財政
2005年度の当初予算規模は約3,160億円である。1995年度をピークに不況による税収の減少が続いているが、人員削減・経費の抑制・債務返済などの効果もあり、2005年度決算では約24億円程度の黒字であった。市債残高は2005年度末時点で2,735億円となりピークであった2000年度の3,184億円から449 億円減少している。単年度の歳入における地方債依存度は年々低下し、2005年度では4.0%であった。市債の発行目的は主に小中学校の校舎建設や都市計画事業、住民税の減税補填の費用であった。施設整備などの投資的経費の減少により地方債の発行が抑制されたため、2002年度の歳入に占める自主財源の比率は63.0%である。また、一般財源の比率は68.4%であった。

2001年度のラスパイレス指数は105.0で指定都市を除く全市区町村の中では8番目に高く、東京26市の中では7番目に高かったが、給与の引き下げなどの対策によって2005年度は101.8で全国でも20位となった。2005年度決算における歳出に対する人件費比率は20.3%で、年々縮減される傾向にある。

なお、2006年度の当初予算規模は次のようになっている。

一般会計:1,596億円
特別会計:1,649億円

第3次産業が、事業所数・従業者数ともに全体の約8割を占める。

北八王子工業団地には、各種計測機器などの精密機器製造業の他、交通の利便性により、各社の物流拠点がある。北八王子工業団地のほかには、浅川工業団地、狭間工業団地、八王子繊維工業団地、下恩方工業団地、美山工業団地、北野工業団地がある。 現在では、「織物の町」ではなく徐々に「工業」の町に変化している。 その典型的な例として、八王子駅前の再開発のときに長年八王子市民から八王子のシンボルとして親しまれた、「織物の町 八王子」とゆう モニュメントが撤去された。 現在では、繊維工業よりも圧倒的に機械工業の会社の数が多くなっている。

機業地であった歴史を受け継ぎ、絹織・ニット製品・染色業などの工場も多い。

中心市街地では、大型小売店舗の撤退・中小小売店舗の閉店により、活性化が求められている。 現在では、鉄道沿線の市区(新宿区・立川市・町田市など)や市郊外の大型小売店舗に買い物客が流れている傾向がある。

新潟市

新潟市(にいがたし)は、新潟県北東部(下越地方)の都市で、同県の県庁所在地であり、本州日本海側唯一の政令指定都市である。

北陸地方は元より、本州日本海側では最大規模の都市である。古くから港とともに栄え、幕末の日米修好通商条約開港五港の一つとなり、現在でも水陸の交通の要衝である。

2005年の大規模合併で面積や人口が増大。2007年4月1日に、本州日本海側初の政令指定都市に移行した。

1950年代まで、市街の新潟島中心部には堀が張り巡らされ、それに沿って柳が植えられていたことから「水の都」、「柳都(りゅうと)」などと呼ばれる。あまり一般的な呼称ではないが、観光PRなどに積極的に利用されている。

特筆すべきは、多数の漫画家を輩出していることである。その数は日本でもトップクラスといえる。

新潟の地は、信濃川と阿賀野川が日本海に流れ込む場所で、低湿な平野と、海にそって続く砂丘と、数多くの潟湖が形成された。

中心市街地は、信濃川の河口に発達している。郊外には潟を干拓した広大な水田が広がる一方、現在でも鳥屋野潟や佐潟、福島潟などの潟湖が残されている。うち、佐潟については、1997年にラムサール条約登録湿地となっている。

中心市街地は古くから、信濃川左岸側(西側)の旧新潟町、右岸側(東側)の旧沼垂町の、二箇所を中心に栄えて来た。両地域を結んでいたのが萬代橋(万代橋)であり、この橋が架けられてから、万代橋を中心に市街地が広がっていった。しかし、1950年代後半から、現在の新潟駅を中心とする地域の開発が始まった。又、鳥屋野潟周辺の小規模湖沼の干拓、旧市域の曽野木・両川・大江山地域と亀田・横越地区に跨る亀田郷や新津・小須戸地区の新津郷、白根地区などで乾田化が行われた。

1960年代から1970年代にかけては巻・西川・潟東地区に跨る鎧潟、豊栄地区では福島潟の一部も干拓されるなどして開発が進んだ。1964年6月の新潟地震以後からは、市内の国道・鉄道路線に沿った地区から、徐々に宅地化が進んでいった。このため、現在の市街地・住宅地は、海岸に沿うように北東から南西にかけて細長く伸びている。

関屋分水路の掘削により、信濃川左岸側の地域は全方向が川と海に囲まれるようになったため、「新潟島」と呼ばれることがある。また新潟島の対岸には「万代島」と呼ばれる地区があり、ここには新潟港(新潟西港)の区域にあたる佐渡汽船新潟港ターミナル、朱鷺メッセ(新潟コンベンションセンター)などが立地する。ここは、元々信濃川の中洲だったが、昭和初期に信濃川の両岸が埋め立てられた際、陸続きとなった地域である。

越後平野に位置するので、市域に占める可住地の割合が大きい。他の地方都市に比べると、数字上では人口密度が高めだが、住宅地が郊外に分散しているため、一箇所への人口集中はそれほど見られない。

郊外には農地が多い。海岸沿いの砂丘地帯は畑が多いが内陸部は水田が中心である。

越後平野の信濃川・阿賀野川下流域は、かつてはその多くが湿地帯で、現在も水田やその埋立地が多いという背景から、地盤が軟弱な箇所が多く、仮に大規模な地震が発生した際には揺れが大きくなりやすく、また液状化現象が発生する可能性が非常に高い。内閣府が2005年に発表した「表層地盤のゆれやすさ全国マップ」によると、新潟市付近の表層地盤は軟らかいため、非常に揺れが増幅し易いという調査結果が出ている(沿岸部の都市は総じて揺れ易い傾向にある)。又、これとは別に、大地震が発生した際には、関東平野・濃尾平野・大阪平野・庄内平野・秋田平野などと並んで、長周期地震動によって揺れが増幅し易い箇所であるとの研究結果もある。

日本海側気候のため、冬の湿度が高い。
冬の新潟は海からの風が強く、雪は横なぐりに吹きかけてくる。傘は役に立たないことが多い。
一般に雷は夏の風物詩と思いがちであるが、新潟を含む日本海側では、夏のみならず、冬の大雪のときも大気が不安定になって雷が鳴るため、「雪降らし」・「雪降ろし」と呼ばれ、冬の風物詩にもなっている。
新潟県内は全域が豪雪地帯に指定されているが、新潟市街地は広い平野の海沿いにあって越後山脈から離れているため、雪雲が山にぶつかって大雪を降らせる一般的な日本海側の降雪機序とは異なること、さらに季節風の風上に佐渡島があって壁になっていることから、日本海側の他の諸都市と比べて降雪量が少ない。また、東北・北海道にくらべて冬季の気温が高いため、厳冬期以外は自然に融解することも多い。そのため、上越市・長岡市・金沢市・富山市などに比べ、「消雪パイプ」は比較的設置されておらず、除雪での対応で事足りる。各地で記録的な大雪となった平成18年豪雪の際でも、市内の最深積雪は24cmであり例年通りだった。

東大阪市

東大阪市(ひがしおおさかし)は、大阪府の東部の市。大阪市、堺市の両政令指定都市に次ぐ、大阪府内で第3位の人口規模の市であり、中核市に指定されている。将来は政令指定都市への移行及び、八尾市や柏原市などとの市町村合併の構想もあるがまだ計画にまでは至っていない。

大阪平野の東部に位置する。市域の大半は平坦な低地で、河川の多くは天井川である。そのため1976年(昭和51年)の大東水害では大きな被害を蒙った。 一方で市東部は生駒山系の山々が連なっており、豊富な自然が残されている。 主な河川には、長瀬川・恩智川・玉串川・第二寝屋川などがある。

東大阪市の公務員問題
第一次臨調までは、地方公務員の給与水準は、民間より低いうえ、衛星都市はどこも人口流入によって行政需要が拡大する一方だったために人手